僕たちはみな障害者だ

We are all disabled.

家族でバリの旅 A family trip to Bali

家族で海外の旅の初日、娘二人だけでツアーのオフィスへWi-Fiレンタルに行った。

そのオフィスはホテルから歩いて15分くらいのところですが、1時間後の午後9時に、日本人に会って一緒に飲みに行くというラインのメールがあった。

夜中の12時を過ぎてもホテルに帰ってこないし、なんの連絡もないので、何かあったのかと、心配になった。

翌朝の午前1時にやっとラインで、「大丈夫、一緒に飲んでいる」とメールがきた。

朝7時半にツアーの送迎車がやってくるのに、それっきり連絡はなく、午前2時を過ぎてもホテルに帰ってこないので、ライン電話を二人にかけつづけたが一切の返事がなかった。

ホテルの人と相談し、朝5時までに帰ってこなかったら警察に捜索をお願いすることにした。

その後、親の私は二人から連絡がくるまでラインで電話とメールし続けた。

飲む相手の日本人も知らない、どの店で飲んでいるのも知らない、知らない外国の真夜中の道、いろいろな事件がニュースになる街、何か事件でも巻き込まれたのかと、心配で眠れることも、ラインで電話とメールして呼び続けるしか、自分を落ち着かせる方法を見出せなかった。

午前4時半にやっと下の娘からラインメールが

「大丈夫 生きている。今から帰る」

30分後の5時にホテルに下の娘一人で帰ってきた。

姉は日本人と一緒にどこかに行ったと妹は言い、部屋のベットで寝てしまった。

親の私は帰らない娘にラインで、電話・メールを6時半まで、し続けたが、一切返事がなかった。

その日のツアーを送迎車がくる7時半にキャンセルするかどうか迷った。

私一人だけでそのツアーに行くことを決断し、予約していたホテルの朝食を食べながらこう思った。

「娘たちのことを心配するのはバカバカしい。二人に自由にさせておけばいい。私一人で自由に楽しもう」

離婚してから父親一人で20年間二人の娘を育ててきて、一番辛い一日だった。

私の心が大きく飛躍するのを感じた。

(娘たちが怪我しようと、病気になろうと、不幸になろうと、最悪死のうとどうでもよい。そんな心配するのは馬鹿げたことだ。)

娘たちはそれから、あかの他人のように感じた。

それまで、娘たちが幸せな一生を築けるように、自立させようとしていたが、親の私が娘たちから自立する道を歩き出したのを感じた。

つまり

親独りで自由に生きているだけで、子供たちが自立し自由になる。

それはちょうど、

それはちょうど娘たちの顔を忘れるくらいの認知症になった時の状態に近い。

どうして歳をとると認知症になりやすいのか?

それは子や他人に依存することから解放され自由になることかもしれない。

人はみな障害者

上の娘は親の私に

「声がでかい!」

と、何かと注意され、その都度努力して小さな声にするが、

その努力さえもすぐに忘れてしまう。

この「声がでかい!」という叱責は知人からよくされ、その都度努力するがやはり忘れる。

つまり

私の声がでかいのは、自分の個性として認めるしか自由な生き方ができないってことだ。

娘二人が朝帰りするのは親に迷惑をかけ、エゴではあるが自由である。

私がでかい声でしゃべるのは他人に迷惑をかけ、エゴではあるが自由である。

つまりつまり

エゴであることは回りや他人に迷惑をかけるが、それは個性であり、その個性は自由である。

自我を持つことはエゴになるということでもある。

そのエゴは一種の障害者であるということだ。

自分で自分のエゴを他人が望むように、他人に迷惑かけないように、どうしてもできない障害者だ。

つまり

「僕たちはみな障害者である」

と、認めることが、それぞれの個性を認め、活かす出発点だ。

ともに山歩き

グループで山登りするとき、一番足の遅い人を先頭にさせ、リーダーは一番後方を歩くのが一番楽しく過ごせる。

これは社会を生きるのにも応用できる。

生きるのが難しい障害者を先頭に、基本の流れにした、政府リーダーの方針にする社会が一番楽しい社会になる。

宗教の核心は

「人はみな神であり、仏である」

だが、それを出発点にした信仰や思想はみな絶対君主制のような上下関係の恐怖制に陥りやすい。

「人はみな障害者であり、エゴを持ち、不自由である」

という憲法の基礎にした方が生きやすい国になる。

そして、みな障害者という基礎に立つならば

神仏というのは人全体や人の集まりの総称であり、個人の呼び名ではないと定義して憲法草案していくのがヒューマニズムの一歩であろう。

人はみな障害者
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