Archive for 5月, 2018

金儲けから人助けに代わる時代の幕開け

土曜日, 5月 26th, 2018

数十年ぶりの友人がやってきた

一昨日、数十年ぶりに同年齢の今年68歳になる友人のIさんが山梨に車でやってきた。

ヤフーオークションのやり方を教えてほしいとの電話だったが、実際にきたのは別な理由であり、2時間くらい話し込んで帰っていった。

それはどうやら会った40年前と同じように、私への期待を猛烈に話し始めた。

先ずは

私がゴリラ便・・それは便利屋とゴリラの恰好をしてプレゼントを届ける会社・・を讃えることではなく、

ゴリラ便という誰でもが気軽に集まれ、泊まれ、時には徹夜で話し込んだり、一緒に飯を作り食べたりすることを無料でやってきて、そういうお寺がやるべきことを 私がずっとやってきたことを讃えることから始まった。

彼はそういう精神的な癒しの居場所を提供していたことのすばらしさを私自身は気付いていないが、そうした居場所は世界のどこにもなく、貴重な場だったということから始まった。

そして、

Iさんは 自身を IT難民と呼び、そういうIT難民は 団塊の世代から上の老人たちが多いと、彼の周りの具体的環境を説明した。

そして、私みたいに、IT( information technology・・インターネットなどの通信とコンピュータとを駆使する情報技術)が使いこなせば、老人はもっと楽になる。

それをSNSなどのネットで配信するのではなく、昔のような小冊子を配布することで、老人たちの生活を楽にしてほしいというのだ。

私はそれは難しいと答えた。

どんな役立つ情報も、聞く耳を持たなければ ゴミになってしまう。

馬の耳に念仏である。たとえ、役立つ小冊子があったとしても、読むだけの好奇心がなければそのまま山積みされ、いつしかゴミとなって消えてしまうだろう。

それはSNSであっても、マスコミであっても、知人の話であっても、

老人に限らず、若者であっても、その本人にとって興味がわかないものはその存在の意味すらもない。

さらに、

ベイシックインカムの重要性を延々と述べるので、それは十分承知していることで話を止めた。

彼が帰ってから考えた。

自分と彼の視点が明らかに違っていたのは 彼は老人に対してのボランティアであるが、私は若者への命のバトンとしての活動である。

どうしてか?

はたと、彼には子供がいないことが若者への視点がなく、同じ老人への視点になった気がした。

だが、彼の私へのメッセージはもっと別なもっと大きな視点を持つことを教えてくれた。

キーワードは

1.ベイシックインカム

2.ボランティア

3.ゴリラ便のような居場所

の3つである。

 

もしベイシックインカムが実現したら、

人は生きるためにガツガツ働くこともなく、金儲けやギャンブルや犯罪にのめり込む危険性が減り、

人はお金を得るためでなく、人に役立つことをお金を出してまでボランティアでやることを望む社会がくる。

すると、

周りの困った人のために、海外の困った人のために

ボランティアで働きたい人が増えてくるだろう。

そのボランティアを具体的にどうしたらいいか

語り合い、イベントしたり、組織化していくだろう。

そうしたボランティア組織はNPOまたNGO団体として、個々のベイシックインカムとは別に

国などの公共団体からの公共ベイシックインカムとしての最小限の活動費が入ってくるようになるだろう。

そういう

NPOまたNGO団体が

古民家で無料で憩い、ともに語り合い、ともに食べ ともに寝れる ゴリラ便のような誰でもが気楽に止まることができる居場所になってくるだろう。

すると、

今活動に参加している 「健康と自然の会」の知足庵は

まさにそうした将来NGO団体になるだろう活動の拠点になっていく気がする。

そうした

NPO・NGO ボランティアの会がそれぞれの個性ある活動を通じて行うような会社が

今の株式会社(株式という資本金で集まる組織)に代わって主流になる時代への転換期に来たともいえる。

中央銀行紙幣で動く中央集権世界から

電子マネーとブロックチェーンで動く民主自遊世界へと転換期もまた

連動して革新的に起きてきている。

ひょっとすると

「健康と自然の会」の知足庵は

「ボランティア」と「ベイシックインカム」と「楽しく語ることができる居場所」

それが実現する新しい時代への最初の着火剤になるかもしれない。

電子マネーの今の仮想通貨の弱点は巨額な金が簡単に盗難されやすいことだ。

ブロックチェーンは誰でもがそのお金の流れを知ることができることが特徴で、

いわばガラス張りの会計帳簿みたいなものである。

上記の仮想通貨ウオーズで指摘するように、

「盗まれた仮想通貨の流れは把握できるが、盗んだ犯人を捜すことができない」

というのが問題である。

だが、

この仮想通貨とベイシックインカムと合わせることで、

その売買・交換はみな日本ではマイナンバー、アメリカでは社会保障ナンバーで、

その本人と確認されなければ、売買もベイシックインカムもできないとすれば、

盗んだ犯人はすぐにわかることになる。

いわば、今の仮想通貨は中途半端な公開性と民主主義なのだ。

本音で語りあうように、お金も、実名と本心で、分かちあうことで、

盗み気力さえもなくなってしまい、意識はお金を儲けることではなく、

いかに困っている人を助けるか? そういう意識へと代わってくるだろう。

仮想通貨の投資は金儲けではなく、人助けになってくるだろう。

 

人の意識が

金儲けから 人助けに代わる時代が

今始まろうとしている!

 

逆転の着想で乗り切れ

土曜日, 5月 26th, 2018

物事の流れが滞っていた場合とか、

新しい革新的なやり方に変えたい場合、

逆転の着想で、その物事を逆にして発想し、試行してみる。

例えば

6月21日の授業をヤングフレンド相手に行うと想定した場合、同格になり、

どちらが生徒で、どちらが教師かわからなくなり、

同じ学ぶ者同士になる。

 

そこで、逆転の着想をしてみると・・・・

その授業は逆に私が生徒で、相手が教師になる。

年齢差は18歳と68歳で、50歳も違う。

ボケた老人が青年にいろいろと教えてもらうようなものである。

だが、

私はまだボケていない。

では

どのような逆転の着想をしたらいいのか?

信長協奏曲というドラマがあった。

現代の青年が過去の信長になり替わるというものだが・・

それは 時空を超えて

現在の青年が過去の信長に運命と生き方を教えるという設定でもある。

この信長協奏曲の現在と過去の差を50年としよう。

それは

未来の青年が50年前の現代の老人に

その運命と生き方を教えるという着想ができる。

つまり

68歳の老人の私が未来の18歳の青年に、その運命と生き方を学ぶという着想ができる。

現代18歳の学生の姿は

いわば

現在68歳の老人の生まれ変わった未来の姿だともいえる。

では

この50年の時空を超えての逆転の着想を試行するには・・

私は授業の予習で、50年前の自分に振り返っている。

すると、50年前の過去の自分と現在の自分に同じ事実をみても、かなり違った認識を持つことが解る。

それは

現在の認識で、自分の過去の姿が変わってくるということでもある。

同じ物事をみても、そのとらえ方(認識)で、違った物事に見える。

それは鏡をみるように、左右逆に見えるようなものである。

では・・逆転の着想で・・

現実の授業をどう展開するか?

私が50年前の18歳だった時の姿を現在18歳の青年に語って、

それがどう見えるか問えばいい!

 

50年前の青年が現在の青年に、その運命と生き方を学ぶという姿になるだろう。

それはまた、

現在の青年が50年後の未来の青年(現在の老人)に、その運命と生き方を教わるという姿にもなる。

それは

老人が昔の体験を話して、

当時はそう思っていたが、今はこう思っている

という感想を述べることで、

現在の青年の生き方の参考となればいい。

 

いわば、

考古学が人類の未来の生き方を教えるようなものだ。

過去の反省をどう未来の生き方に反映させていくか?

というものでもある。

 

過去の反省で未来も変わるし

その過去さえも、観方が変わる

 

逆転の着想は

正反 正反 正反 正反・・・・の団子虫のように

個人組織 個人社会 個人国 個人国際 個人地球 個人自然・・・メダカのように

 

その道でダメだったら・・

反対の道を歩いてみよう・・

それでもダメだったら・・

元の道を歩いてみよう・・

それでも・・・・

人生は迷って迷って、いつしか

その迷路は抜け出せる・・

どんな生き物でも・・

まして人類だけができないなんてことは・・

ありえないでしょう

生きるってことはそういうことではないですか?

 

染井吉野にサクランボが?!

月曜日, 5月 21st, 2018

いつもの散歩道のソメイヨシノの坂道

桜の染井吉野になんとサクランボが

十数本の桜のソメイヨシノに、なんと数個のサクランボが実っているのを発見した。

十数本の染井吉野の枝にサクランボが数個実っていた

その確率からすれば、万が一というよりも、もっと奇跡的な確率に近いものではないだろうか。

染井吉野はたった一本の実のならない桜の木の枝の挿し木から作られ、全国にその花の美しさから、挿し木によって広がっていった。

ところが、その染井吉野に身がなるという事実を発見した。

 

物事の多くはこうした「絶対に・・染井吉野にはサクランボがならない」というような考え方が多いのではないか。

この世界に絶対という現象はないことからも、どんな思想、どんな信条、どんな科学にも、絶対という知識はないということである

そもそも、この世を眺める自我を持つ人間が生まれる確率からにしても、奇跡の自己をもつ人間であり、

そうした人類を生み出す自然現象は、みな奇跡的なものであり、人類が想像するよりも、

もっともっと 奇跡的な現象であり、

そこに「絶対! 何々・・」という断定!など、できるはずもなく、

どんな考え方、どんな感情、どんな法則も、どんな知識も、絶対的な事実も真実も ありえないと言えるだろう。

まして、

我々の未来を占い断定するなど、馬鹿げたギャンブルにすぎない。

 

そもそも

希望はどうして生まれるのだろうか?

もし、絶対的な現象が真実だったら、

そこに希望など産まれやしない!

この世界はみな奇跡的な現象に満ちているからこそ、

希望が産まれるのではないだろうか?!

まして、

「あの人は 絶対こうだ!」

というレッテル貼りなど、典型的な妄想、迷信であると思った方が間違いが少ないだろう。

「あの人がこうだ!」と断定できる確率は奇跡的確立だからである。

それはまた

「自分はこうだ!」という断定もまたそうであろう。

 

癌ウイルス療法も自然治癒を助けるのか

木曜日, 5月 17th, 2018

癌の最前線のウイルス療法は

免疫細胞を活性化させるために、がん細胞を病気にさせて弱くさせ、そこを攻撃できるようにする。

その癌細胞が消滅する映像は実にきれいに写されている。

 

癌細胞と免疫細胞のやりとりをみると

アリとアブラムシとそっくりだ。

アブラムシが甘い液を出すと、アリはアブラムシを食べないが、

甘い液を出さないと、アリはアブラムシを食べてしまう。

甘い液をアブラムシが出せない場合でも、アブラムシは

自分は甘い液を出すアブラムシというアリ騙しの液を出す。

そうしてアブラムシはアリに守られ、また、アブラムシを食べるテントウムシからもアリで守られる。

癌細胞はアブラムシ、免疫細胞はアリだとすれば、ポイントは

自分は敵か味方かというメッセージが基本になる。

要は、敵か味方かの信号をどうかえるかであるが・・

その方法はもっと安全な方法があるような感じがする。

例えば、敵と味方の信号の周波数を読み取って、癌が免疫細胞の敵であると判断させればいいことになる。

それがウイルスか その他かというものだろう。

ともあれ、

自然治癒をまねていることは確かだ。

自然治癒をいかに助けるかが病気を治すコツなような気がする。

 

9秒台で走れるハイヒール

水曜日, 5月 16th, 2018

友人K医師の影響か、

足の健康にはつい注意がいく。

娘たちには外反母趾防止用ハイヒールをプレゼントしたくなった。

ハイヒールは足を美しく見せるが、実に歩きにくく、まして走りにくい。

最近、こんな記事をみた。

ShockStop Seatpost: Add Suspension to Your Bike

 

 

このスプリングをハイヒールに着けたら

動かなければ 足が綺麗に見えて、

歩いたり、走ったりしたときは

ひょっとして、そのスプリングの調整したいでは

100m 9秒台で走れるハイヒールになるかもしれない。

バネ式ハイヒール 電動バネにしたらもっと楽に年寄りでも楽に歩けそう

自転車は根本的にあまり進化しない

まして靴などほとんど進化しない

電話も携帯スマホになる時代、

靴だって オリンピック選手並みに走れるようになってもいいではないか。

昔 縮思考の日本人という本があった。

日本庭園、盆栽、俳句にいたっても、世界を縮ませて物事を表現するのに得意で、

それがモノづくりにも表れている。そうして縮み思考の日本のオカブは

すっかり米のアップルのアイフォンにとられてしまったが、

靴に自転車をとりこんだ縮み思考のアイデアがあってもいい。

 

小さな幸せ見つけよう

火曜日, 5月 15th, 2018

日本一高い富士山が目標だとすると・・・

目標の富士山への道が三つあったら・・

そもそも人生の目標って何か?

どんな人であれ、いずれ死ぬのだから、

みんなの人生の目標は死ぬことと共通であり、一つでもある。

逆に

この人生がどこから生じたのか?

それはどんな人であれ、死の世界と同じ生まれる前の世界である

それを生死を併せ持つ自然の世界ということもできる。

それは

それぞれ人生の目標というものは・・・

生死を併せ持つ自然の世界にはみな同じ、一つということもできるし、

それらは無いということもできる。

 

人生の目標があるとしたら・・

それは  生まれてから死ぬまでの

生きている間に

望んだ姿が実現することである。

 

その望む姿が大きくも小さくも、変わっているも、

望んだ時に、目標が生まれる。

生きている限り、生きる望むがあるのだから・・

最低限の生きる欲望がある

何か食べたい!

眠りたい!

温まりたい!

哺乳類と同じ望むの他に、人類だけの望みが付け足されたものがある。

そしてまた

人は自我を持っている限り

自由でありたいことと、

自分だけの望みがあるということである。

 

そうした望みがいろいろあるけれど

確かなことはみな小さな望みを叶えることから始まるということだ。

それはまた

人生の目標というものは

その小さな望むを叶えるという小さな幸せを得るところに

すべて集約され、それだけで十分人生全体の目標を満足させられるということだ。

例えば

一生涯健康であることを 人生の目標にしたら・・

ほんの少し食べられる小さな幸せだけで満足

足るを知ったら・・

沢山食べ過ぎる中目標を叶えて、病気したら・・

大きな目標である健康を失うことになる。

小さな幸せをかみしめることは 人生最大の幸せを得る一歩でもあり、

その小さな幸せこそが、人生最高の幸せであるともいえる。

 

モノは大を小を兼ねるというが、

望みは逆で、

欲望の小は大を兼ねる

といえるだろう。

ー^-^--^

昨年の11月7日に雑草化した野沢菜を収穫し、それをキムチ漬けした。

それがあまり発酵しすぎて、途中から冷凍して保存して

少しずつ1人で食べてきた。

今日やっと最後のの野沢菜のキムチを カレーにして、食べ終えた。

野沢菜キムチを沢山づくり半年後やっと全部食べ終えた5.15

うちの雑草化した野沢菜をキムチ漬けして、

半年間食べられたこと

私にとって

小さな幸せをまた一つ見つけた!

 

小さい幸せ見つけた

月曜日, 5月 14th, 2018

小さき幸 どんな苦悩も 癒やされし

古代麦の穂が出てきた

古代麦の穂が草から顔を出してきた 2018.5.14

陸稲もなんとか蕎麦の草の下で頑張っている

陸稲の芽は、麥間ではまだ出ないが、蕎麦下では3センチくらい伸びてきた2018.5.14

蕎麦の花も咲き誇ってきた

2018.5.14傍の花も咲き誇ってきた ちっちゃな花だけど

ふと見上げると

今年5年目になるリンゴの実が初めてなってきた

ちっちゃなリンゴの実がほんのりと赤くなってきた2018.5.14

こんな唄も聞こえてきた

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい幸せ ちいさい幸せ ちいさい幸せ みつけた

麦さん、稲さん、蕎麦さん、・・リンゴさん

の花と実・・・見つけた (^^♪

 

どう生き抜くか?

土曜日, 5月 12th, 2018

最後の授業

 

”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”の授業にどう答えるか?

私が学生に直接伝えることができるのは今回の6月が最後のような気がする。

呼んでくれるO教授が来年3月に大学退職するからだ。

いわば、私にとって、”人生最後の授業”になること大である。

そのつもりで、最後の90分に臨むことにする。

 

生涯学び

 

テーマの”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”に、私が答えると?

私が今までやってきた活動であり、これからの活動とも同じになる。

「グローバル社会と地域社会」とは、今の現実社会のことであり、

「ボランティア活動から学ぶ」とは、金儲けのために働いてこなかったし、これからも金儲けしたいとも思わない。また、これまでどんなことにも学びをしてきたし、学びをやめたこともないし、死ぬまで学んでいきたいと思っているからだ。

生涯学ぶということは「不悟の悟」「不知の知」「無知の知」ということでもある。

相田みつを の言葉が好きだ。

男のTシャツにするなら

女のTシャツなら

これが我々の課題である!困難なことは解っている!よ! みんな!

 

ガンジーの名言

「毎日 明日死ぬと思って生きなさい」

「永遠に生きると思って学びなさい」

この知と経験に対する決して消えることのない不屈の精神

どんなに馬鹿げていても

どんなにマニアックでも

どんなに扇動的に思われても

この学ぼうとする意欲が

我らがハンガリー人

ロボチェック氏、テスラー氏、バルトーク氏など そして私自身の

そしてここにいる皆さんの

思い描く未来を形作るものです。

Ez a mi munkank; es nem is keves.

これが我々の課題である!困難なことは解っている!

Jo napot,pacak!

よ! みんな!

➡全文

 

 

どう生き抜くか?!

 

聴講する学生は ちょうど18歳~19歳だろう

そのころの私の疑問は

「何のために生きるの?」

だった。

それから 半世紀の間 なんとか生き抜いてきた。

その間、家族友人知人が 自殺したり、ガンで亡くなったりしてきた

そして 68歳になる私の疑問は

「どう生き抜くか?」

である。

 

そして、老人が若者へ 伝えることは

 

「どう生き抜いてきたか?」

 

地域問題は大きく国際問題と関わり合いながら、

お金だけでは何も解決できなかった現実をどう生きてきたか?

それを学生に伝えることが一番最後の授業としては適当だと思える。

 

 

命は種だけでバトンされるのではない

金曜日, 5月 11th, 2018

ブドウの木の下草のキングライ麦が実る前に刈り取られてから 1週間が過ぎた。

刈とられたキングライ麦は1週間すぎてまた芽生えてきた

根が残っていればすぐにまた生えるのは 雑草だけでなく、キングライ麦も同じだった。

それは 栽培していう古代麦でも同じだろう。

だが、雑草も 実って種をつけたあとには枯れていく。枯れた根から、すぐにまた生えるのは僅かだ。

植物の種類によっても、みな違う。

実っても、根が枯れない球根類は株分けして増えていく。もちろん種からもだがまた生える力は根よりも小さい。

ー^-^-^-^-^

命のバトンは種だけではない

 

種以外に根があるし、また

果樹は種よりも枝からの方がよく生える。

挿し木、接ぎ木の方が しっかりと芽がのびる。

 

さつまいもにいたっては

根よりも、葉を土に入れ込んだ方がまた根ができ、そこから目が出てくる。

 

哺乳類の人間は男女・雌雄から 子が産まれ、命がバトンされることが多いが、

今ではアンドロイドとして、その細胞からも子を生み出す技術が生まれてきている。

それは 哺乳類であれ、植物であれ、アメーバーであれ、

命あるものは、その命のバトンが基本的に最小単位の細胞の核分裂においてされる。

となれば、

人の心・精神を 肉体の最小単位の細胞よりもさらに小さい核細胞と考えたら、

男女の生涯にパートナーを35億から選びだすのは その心・精神であるともいえるので、

その人の心が命のバトンにとっては一番の根底力だといえるだろう。

ー^--^--

雑草・キングライ麦・古代麦が

命のバトンをするのに 最も大きな力は

その心 つまり 種の保存力であり、

それは 根 茎 枝 葉 種 のどれにも存在し、

それらのどこからも 伝えられ、再生する。

つまり

人類に当てはめれば

自分の命のバトンは血縁の子だけでなく

その人の心である魂が 血縁を超えても

他のどんな人類においても、

最も大きなバトン力

だということだ。

 

苦痛は小さな幸せで克服!

木曜日, 5月 10th, 2018

ガッテン!「痛みを脳で克服!慢性痛治療革命」の録画を観たら

友人Kがハマっていた「腱引き」「柳生心眼流健康法」の「痛みをとる術」のメカニズムが解った。

これらは、一種の催眠術、偽薬(プラセボ効果)、意識ズラシ、神技洗脳による治療法のように思っていた。

その痛みをとる神技のメカニズムをNHK放送(ガッテン)では見事に科学的に説明している。

いわば、マジックやトリックの種を教えないのが「腱引き」「心眼流」であり、種を教えるのが「ガッテン」である。宗教的痛み解消か、科学的痛み解消かの差でもある。

1.痛みには2種ある

 一つは原因が解る痛み、2つは原因が解らない痛み

原因がわからない痛みを慢性痛と呼び、それも2種あって、

過去の痛みの原因が無くなっても、

(1)その痛みが持続する思い込み慢性痛と

 (2)痛みで活発になる偏桃体が誤作動

である。

2.側坐核が痛みを和らげる物質を出す

この痛みを和らげる側坐核を活発にさせるには

・小さな幸せを得られるような、小さな目標を達成した時、

・ほんの少しの痛みが減っただけでも 大きな喜びを感じる時

であり、その時はまた側坐核から痛み和らげ物質が出るからともいえる。

 

柳生心眼流の無刀取りは相手の注意を逸らして、そのスキに相手の刀を取る神技であるが、

それは相撲の相手の目の前で手を叩く猫騙しも同様だが、いわば意識ズラシである。

今痛い箇所でない別な箇所(近い箇所や左右反対の箇所)を意図的に指で強く圧迫することで、

より痛みを感じさせて、直ぐに指の圧迫を外し痛みを解放すると、その開放感が大きな喜びとなり、

側坐核から痛み和らげ物質が出てきて、元の痛みを和らげるいうメカニズムであると考えられる。

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苦痛は小さな幸せで克服できる

 

肉体的な痛みは、精神的な苦しみと相似しており、

勉強や仕事そして恋愛やダイエットなどにおける苦痛は

脳の中心部にある側坐核を活性化させる小さな達成感をより発展させて

心身共に”小さな幸せ’を感じさせることを

先ずやることで、苦痛を和らげ、ストレスを減らすことで、

それらから逃げることなく、持続して、”より大きな幸せ”を実現する応援力になる。

 

これは「大きな目標も、小さな一歩の目標から」で、

 

ボーリングでストライクを狙うとき、遠いピンのストライクゾーンを狙うのではなく、

そのストライクゾーンの線上にある目の前にある▲印(三角ピン)にボールを落とすだけ

あとは自然に 落としたボールは遠いストライクピンに向かっていき、ストライクが実現するようなものである。

 

また、

仕事や勉強や恋愛でうまくいかなくて自棄になっているときに、

ちょっとしたゲームや遊び、旅なんかして、

意識をズラシ、遊びや旅の小さな楽しみで幸せを感じると

脳の中心の側坐核から たくさんの安らぎホルモンが出て、

仕事や勉強や恋愛の苦痛を癒してくれ、またそれに挑戦し、持続して

”より大きな幸せ”に向かって進むことができるようになるだろう。