逆転の着想で乗り切れ

物事の流れが滞っていた場合とか、

新しい革新的なやり方に変えたい場合、

逆転の着想で、その物事を逆にして発想し、試行してみる。

例えば

6月21日の授業をヤングフレンド相手に行うと想定した場合、同格になり、

どちらが生徒で、どちらが教師かわからなくなり、

同じ学ぶ者同士になる。

 

そこで、逆転の着想をしてみると・・・・

その授業は逆に私が生徒で、相手が教師になる。

年齢差は18歳と68歳で、50歳も違う。

ボケた老人が青年にいろいろと教えてもらうようなものである。

だが、

私はまだボケていない。

では

どのような逆転の着想をしたらいいのか?

信長協奏曲というドラマがあった。

現代の青年が過去の信長になり替わるというものだが・・

それは 時空を超えて

現在の青年が過去の信長に運命と生き方を教えるという設定でもある。

この信長協奏曲の現在と過去の差を50年としよう。

それは

未来の青年が50年前の現代の老人に

その運命と生き方を教えるという着想ができる。

つまり

68歳の老人の私が未来の18歳の青年に、その運命と生き方を学ぶという着想ができる。

現代18歳の学生の姿は

いわば

現在68歳の老人の生まれ変わった未来の姿だともいえる。

では

この50年の時空を超えての逆転の着想を試行するには・・

私は授業の予習で、50年前の自分に振り返っている。

すると、50年前の過去の自分と現在の自分に同じ事実をみても、かなり違った認識を持つことが解る。

それは

現在の認識で、自分の過去の姿が変わってくるということでもある。

同じ物事をみても、そのとらえ方(認識)で、違った物事に見える。

それは鏡をみるように、左右逆に見えるようなものである。

では・・逆転の着想で・・

現実の授業をどう展開するか?

私が50年前の18歳だった時の姿を現在18歳の青年に語って、

それがどう見えるか問えばいい!

 

50年前の青年が現在の青年に、その運命と生き方を学ぶという姿になるだろう。

それはまた、

現在の青年が50年後の未来の青年(現在の老人)に、その運命と生き方を教わるという姿にもなる。

それは

老人が昔の体験を話して、

当時はそう思っていたが、今はこう思っている

という感想を述べることで、

現在の青年の生き方の参考となればいい。

 

いわば、

考古学が人類の未来の生き方を教えるようなものだ。

過去の反省をどう未来の生き方に反映させていくか?

というものでもある。

 

過去の反省で未来も変わるし

その過去さえも、観方が変わる

 

逆転の着想は

正反 正反 正反 正反・・・・の団子虫のように

個人組織 個人社会 個人国 個人国際 個人地球 個人自然・・・メダカのように

 

その道でダメだったら・・

反対の道を歩いてみよう・・

それでもダメだったら・・

元の道を歩いてみよう・・

それでも・・・・

人生は迷って迷って、いつしか

その迷路は抜け出せる・・

どんな生き物でも・・

まして人類だけができないなんてことは・・

ありえないでしょう

生きるってことはそういうことではないですか?

 

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