Archive for 2月, 2011

4月1日、金のいらない日開催します

土曜日, 2月 26th, 2011

 チャイルドマインダーの人がうちのミキシーのフリマ笹塚のマイミクになってくれた。そのときのメールがとても印象深かった。

「年に1度バザーをやりますが、ほとんど投げ売り状態…
ちっとも収入になりません。売り上げを施設退所の子ども達の為にと知恵を絞り、フリマにたどり着きました」

 フリマーケットにたどりついたとはどういう経緯なんだろうか? こちらはやもをえずフリマ会場にしたのだが・・?

 年に一度くらい無料開放してもいいかな・・とは思っていたし、たまにゴリラの歌ライブをやったが、あまり反応がうすいのでやめてしまった。そして・・次の言葉・・「ほとんど投げ売り状態!」が気になった。・・・・そしてはっと気づいた!

 無料で店を解放するから、売るものもみな無料で売ったらどうだ!?

 ミキシーの「あげますコミュ」があり、1万人以上のメンバーがいて、毎日あげたいもののメールが届く。これを笹塚フリマでやったらどうだ!と思った。

 この参加資格が実にいい、特に、●ブツブツ交換はNG。あげるのみです。

 実は「昔のわらしべ長者」「アメリカのピン長者」が可能かどうかを実験しようとホームページで呼びかけていたが、一件もなくて、店から撤去した。

 物々交換からお金が生まれたが、無償の愛からはお金は生まれないはずだ。ボランティアは無償の方が面倒なことはない。ただ、無償の愛は継続ができないのでNPO法人にならざるをえない。金がなくて暮らせるのは毎日は無理だ。

 金のいらない国を、演劇で表現していて、とてもおもしろいが、それを実際にやってみようではないか。できる! 毎日は無理だが、たった1日だったらできるはずだ!

 モノをただにするだけでなく、実はもっと実現したいことがある。サービスをただにする日も実現したいのである。

 私は元便利屋なので、地域の便利屋を30数年やっていたが、それを地域通貨でできないかという取り組みをしたが、やはり、反応は一件もなかった。

 フリマ笹塚の店で、「1時間無料掃除券」や「5分かたたたき券」をちらしと一緒に配ったこともあるが、やってみると、1件はきたが、とても大変で、体がきつかったため、1日で降参したことがある。

 無料で非常によろこばれるサービスとして、手軽なのは買い物代行である。掃除や肩たたきはプロでないと、失敗がつきものなのでやめた方がいい。そのため、無料でモノを買ったら、無料でお届けもできたら、完璧に金のいらない日になるだろう。 特に、外で買い物ができない老人や病人にはもってこいだろう。

▼金のいらない日 開催

 開催日:2011年4月1日(金)・・よいカネの日

 開催時間: 10時~20時

 場所:フリマ笹塚 (渋谷区笹塚2-11-5)

 内容:自分があげたいモノを持ってきて、誰かにあげてください。

     また、自分が無料でしたいことを書いて、誰かにしてください。

     大きいモノやサービスは写真付きで書き示し、翌日以降あげてください。

参加費:もちろん無料

参加時間:10時から20時の間いつでも自由に参加できます

申込 フリマ笹塚 岡部 (締め切り 3月20日まで)

命と魂の違い

木曜日, 2月 24th, 2011

 最近、リビアの独裁者によるデモ隊の虐殺、ニュージーランドの地震による犠牲者のニュースが毎日されている。

 「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う」を日本テレビを少しみた。そこで、ベーシックインカムで、月10万円国民にあげるという案に政治家全員が賛成した。これは見込みがある。

 たまに出てくる問題が、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という、トロッコ問題である。海猿のテーマでもあった「人を殺さねば生きられない時、人を殺してよいか?」という「カルネアデスの板」の問題 もある。

 トロッコ問題を出したサンデル教授が、「1人を犠牲にして、5人を救うか」という問題で、多くは5人を救うという功利主義を選び、「隣の1人を殺して、5人を救うか」という問題では、義務論(人格・個人自由の尊重)が多く、逆転して、何もしないという方を選んだ。

 一番ユニークだったのはタケシである。5人か1人かではなく、どっちが年寄りだ。教授はびっくりして、「では何歳で分けるのですか?」と聴くと、タケシは「60歳かな。年寄りは後はないから、若い者優先した方がいい」、教授「・・・・・・・」だった。

 また、教授はどちらを選んでも、両方正しいと答えたことも印象深い。答えのない正解というのもあることは忘れてはならないだろう。でも、もっと深く考察してみたくなった。

 命の問題で欠かせないのは「肉体は滅びても、魂は不滅かどうか」である。

 先日、大坂の友人から、数年ぶりに電話がかかってきた。このブログを読んでいてくれたらしい。そこで長話をした。彼とはサイババ批判で共通する者だ。

 そこで、魂と肉体について、私が

「魂は肉体と同じ数あるのではない。魂というのは形がない、肉体は形がある。だから、魂は肉体と同じ数だけあるのでなく、たくさんの肉体を持っている」

 と発言したら、じ~と、聴いていてくれた。

 トロッコ問題もカルネアデスの板も、その個人の命と個人の魂に関係してくるのである。

▼青年時代、魂の問題でえらい悩んだことがある

 「もしも、人の数だけ不滅の魂があるとしたら、現在生きている人間65億人だけでなく、過去数万年にわたって生きて死んでいった人の数もあわせると、地球は人の魂で埋められてしまうではないか」

 そこで、過去生きて死んだ人の数を計算した。私を生んでくれた親は二人、そのまた親も二人、そのまたまた親も二人・・・・現在の65億人の二乗し、平均の兄弟数で割ったら、どうなるか? まさにねずみ算である。

 今度は人類の祖先をアダムとイブ、またはイザナミの尊とイザナミの尊の男女の二人が、子供も二人産み、その子はまた二人産み、またまた二人産み・・・したら、やはりねずみ算になり・・・地球人類の65億人はみな男女の神様の共通の先祖になってしまう。

 また、生まれ変わりの思想が真実であるとして、計算してみると、65億人の人間がみな生まれ変わって生まれたとしたろすると、すぐに生まれ変わらないで、タイムラグがあったとしたら、数万年前も65億人以上の人間がいたことになる。

 こうした悩み計算した結果、命の数と魂の数は同じではないという結論に達したのである。

▼ では魂とは何か?

 人に出会ったときに、自分と同じような生き方の人や、まったく別な生き方だと感じることがある。その中でも魂の触れ合いのような人物に出会うこともある。まったく他人なのに、なぜか相手が自分の化身のような感じの人もいる。

 突然、愛する人が亡くなっても、ずっと自分の心にその人が住んでいて、けして亡くなったとは思えない人もいる。

 魂とは肉体ではなく、心の一体感から出来ていると思えるである。考えかたは違っても、同じ方向を見ている人たちとの一体感がある。その同じ方向を見ている人は同じ魂の中に生きていると思えるのである。

 つまり、魂とははっきりとした形はないが、ぼんやりした生きる方向の先にある姿である。そして、その魂にはたくさんの肉体の命を持っている。魂は血縁とは違い、民族を超えて、繋がったモノである。

 また、生き方も考え方も違うが、同じ方向性を見ているのが魂の絆で、宗教も超えているのである。

 そのため、人類の数よりはるかに少ない魂の数があるように思えるのである。しかし、不滅ではない。もし、魂が不滅だとしたら、人類にはたった一つの魂しかなくなってしまうし、人類そのものだって不滅であるとは言い切れないからでもある。

 魂は命よりもはるかに寿命が長く、過去現在未来に渡って、数百年、数千年も生きているモノだってある。

 つまり、こう言えるのではないだろうか。

 魂とはたくさんの肉体を持ち、過去現在未来に渡って、受け継がれる心である。

▼魂でトロッコ問題をみる

 もし、5人が悪人で、1人が善人だったら・・・たぶん、功利主義にはならないだろう。

▼魂で、カルネアデスの板をみる

 もし、殺さざるをえない相手が、自分の愛する伴侶や子供だったら・・・たぶん、別な答えをするだろう。

▼魂で原発問題をみる

 今生きる人の電気需要をとるか、10万年先までの未来の子供達の命をとるか、・・・そこで判断できるだろう。

▼魂が観るもの

 今の多くの人類の欲望ではなく、過去現在未来に渡って引き継がれる命のリレーである。

 

バランス通貨の提案

月曜日, 2月 21st, 2011

 最近、日本のGDP(国内総生産)が中国に抜かれて第3位になった。しかし、「幸せの経済学」では、GNP(国民総生産)より、GNH(国民総幸福 H=Happiness)の指標が大事だどして、ブータン国王は1972年から、「経済的豊かさだけでなく、心の豊かさも入れた指標」を提唱している。

 世界的指標に世界の幸福度の指標(GDPよりGDH「国内総幸福度」)もそうであろう。

 幸福とは何か? 

 個々人の幸福はみな違うため、その1つをとってそれを幸福とはいえるものではないが、地域や国の幸福ということは共通項の部分の中で選べば言えそうである。

 one for all, all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)

 という言葉が戦うラクビーチームから生まれた。これが、チームの一体感を産みだし、幸せの幸福度(生きる充実度)を表す指標になれるように思える。

 そうした方向性をもった通貨を基盤にした社会が幸福度をあげるように思える。前回の国際通貨カードの発想もそうである。

 「自分が使った各国通貨の1%がすべて新国際通貨に両替され、1年間プールされる。そして、総村人数で、それが自動的に均等に分配される」

 この元になった地域通貨村カードをもっと発展させ、他の通貨に代わって主流になれる通貨を提案したい。それをバランス通貨と名付けたい。

 貨幣の流れは金→兌換貨幣→不換貨幣→債券 へと変わってきている。この流れの次に来る貨幣が何かである。それがバランス債券だと思うのである。

 国も、中央銀行も、貨幣を発行してもうまく機能しない。国民1人1人が貨幣を発行できることが、民主主義社会には必要なことではなかろうか。

 銀行の信用創造は「借金」から作られる。それはまさしく国民の借金が貨幣を造り出し、中央銀行券を凌駕しているといえるのではないだろうか。それは国債を最後に中央銀行が支えざるをえなくなるという現実がそれを証明している。

 なぜ、国民はまず借金をするのだろうか? お金が中央銀行から発行貸出されても、借りる国民がいなければ流通も意味もない。国民の需要がお金の生産供給をさせるのである。

 国民の需要とは生きようとする意志である。お金がなくて餓死するのは本末転倒している。餓死する人こそ、お金を作り出す源泉なのである。お金で殺し合う戦争をするのは馬鹿げた幻想である。戦争で殺される人こそお金を作り出すことができるからである。

 先日、農家のAさんと漁師のBさんが物々交換を貨幣を使ってやる際、銀行家のCさんは必要ない。お互いに同額の借金証書と貸金証書を発行すればいいだけである。

 それは買い物をした際、売り主からレシート(領収書)をもらうような関係になる。

 お金はすべて貸金証明書(金額の前に+プラスが書かれる)であり、レシートは借金証明書(金額の前にーマイナスが書かれる)である。

 例えば、AさんはBさんのアジ魚を買った場合・・・Aさんはアジとレシート(借金ー100円)を受け取り、BさんはAさんからお金(貸金+100円)を受け取る。

 今度は逆にBさんがAさんのリンゴを買った場合・・・Bさんはリンゴとレシート(借金ー100円)を受け取り、AさんはBさんからお金(貸金+100円)を受け取る。

 すると、Aさんが手にしたのは・・●アジ魚 ●レシート(借金ー100円)●お金(貸金+100円)

      Bさんが手にしたのは・・●リンゴ ●お金(貸金+100円)●レシート(借金ー100円)

 そして、手持ちの貸金と借金の合計が0になったら、物々交換は完了する。つまり、誰でも債券を自分で発行して商品を売買することができ、さしずめ、現金商売ではなく、信用あるお得意さんに対する掛け売り商売である。

 この場合、国はAさんとBさんの二人が作ったようなもので、お互いの合意した内容(法律)を自動的に管理するコンピュータであり、いわば、銀行ATMである。

 ABさんは自分の持っている命と資産に合わせて、その年に借金ができる最高金額が合意で決められる。例えば年100万円だったら、それ以上借金ができないが、貸金をすべて入金すればまた100万円借りることができる。いわば、預金通帳の残高はー100万円までということになる。

 この最高借り入れ金額は毎年税金申告のように、自分のおかれた生活状況によって、借り入れができる。常に借金と貸金は同額なので、例えば、個人最高の貸金(金持ち)の金額は1億円と決められ、個人最高の借金(貧乏)の金額はー1億円というように決められる。

 例えば、二人社会のAさんの手持ち最高限度+1億円以上の1億2千万円になった場合は必ず、Bさんは手持ち借金ー1億2千万円になるから、one for all, all for one のように、超過分2千万円は全体(二人)で均等に振り分けられ、差し引き0になり、Aさんの貸金は+1億円になり、Bさんの借金はー1億円になる。

 つまり、命の代金1億円だとすると、それ以上の貸し借りは殺し合いになってしまい、経済社会は崩壊してしまうからである。

 もし、100人国家だったら、Aさんの超過分+2000万円は、借金の持ち主が10人いたら、借金の大きさの割合に合わせて、均等に配当され、合計借金2000万円分少なくなる。その逆にBさんの借金総額が2000万円超過したら、貸金の大きい分に合わせた比率で合計貸金2000万円分少なくなる。

 債券は常に国を介したやりとりでないと、有効にはならない。債券を売り買いするようなことはできなく、また、利子はつかないので、金で金を稼ぐ方法は不可能になる。格差は最高と最低が決められるので、それ以上に大きくなることはなくなる、

 また、相続の場合は今の法律と同じで、借金も貸金も相続する意志で決められる。基本的に命の代償としてお金が貸出されるので、亡くなれば、先の超過分と同じように、均等に配分される。そして、相続できる貸し借り金は最高1億円までとなる。

 このバランス通貨は貸金を日銀券で、借金を領収書にすれば、ほとんど今まで通りの経済が可能である。唯一違うとすれば、日本銀行が商業銀行に貸し出すのではなく、国民1人1人にその命の代償として、一生分の最高1億円を利子抜きで、分割で貸し出すことから始めることで可能になる。

地域通貨村を造っちゃったら

月曜日, 2月 21st, 2011

 国際教育村を造ろうとする庄司 日出夫さんという人がいる。彼は20代に10年間アジアを中心に旅した結果、世界に通用する日本人を造りたいと思った。

 帰国して、英語塾を開いたが、ほとんど英語を話せない生徒ばかりだった。そこで、幼児のころからの英語教育が必要と思い、すべて英語で話す幼稚園を造った。しかし、親も保護者も、周りもみな英語で話すようにならなければならないと、英語の村を造ることにした。

 文部省に話しをしても手続きが大変なので、自分で土地2000坪を買って、村を造ろうとして、周りの土地所有者に話しをしたら、OKとなり、さらに、いろいろな援助者が韓国、フィンランドからも来た。

 そして、国際教育村の建設が始まっている。

 お金は約束や信用から造られるように、その元は言葉のコミュニケーションである。英語が世界のコミュニケーションの道具の一つであるように、お金もまたこれからの世界の人たちとのコミュニケーションをモノやサービスで行う道具の一つである。

 各地で地域通貨が造られても、それはほとんど会員だけの間で、それが生活すべてに使われるものではない。それは英語を教えても、英語が話せないのと同じである。生活すべてが英語で行われることが必要なように、地域通貨すべてで、生活できるようにすることが、世界に広がる地域通貨になれる。

 使うのは地域通貨であるが、いずれ、それが世界の新国際通貨になれるような広がりをもったものであることが必要だ。

 国際教育村を造るのに、国や自治体に働きかけても、面倒な手続きが多くて、実現が難しいので、自分で土地を購入して造ることで実現を早めたように、地域通貨村を10000坪の中に建設して、そこですべての生活が地域通貨で可能になるようにしたらどうだろうか?

 地域通貨村に必要なものは、生活に最低限必要なもので、スーパーマーケット、ホームセンター、病院、役所、そして、電気ガス水道、学校 をコンパクトにした、大型のショッピングセンターそのものを建設したら、可能になるのではないだろうか?

 しかし、こうした地域通貨村を実際に造るのではなく、バーチャル内で地域通貨村を造る方がより簡単であり、普及しやすい

 バーチャル銀行のように、新貨幣クレジットカードを発行する地域通貨村を造るのである。世界中でその新貨幣に賛同したものだけがすぐ村人になれ、しかも、世界中のどこへ行っても、その貨幣は普通に使えることになれればいい。

 新貨幣クレジットカードの中の新貨幣を自動的に、計算して、日銀円でもドルでも、他のどこの国にいっても使えるようにすればいいのである。

 新貨幣システムを造ったら、VIZAカード会社みたいなところと、提携すれば意外と簡単にできるかもしれない。

 それは汚い水をフィルターを通してきれいな水にして、飲むようなものである。社会を健全化するようなフィルターのような装置の新貨幣をつくることが、バーチャル地域通貨村建設になってくる。

 例えば、この地域通貨村カードを新国際通貨カードにしたとする。

 自分が使った各国通貨の1%がすべて新国際通貨に両替され、1年間プールされる。そして、総村人数で、それが均等に分配される。それは自動的に計算徴集配当されるだけである。

 これが、消費税を社会福祉ベーシックインカムに自動的変換ができるシステムである。よけいな法律を作ったりする必要もなく、経費も人件費もほとんどかからないだろう。

 

金は金でしか得られない

日曜日, 2月 20th, 2011

 銀行家Cにまんまとダマされ破産した農家のAさんと漁師のCさんは今後のことを話し合った。

 どんなに働いても、未来永劫にわたって、みな銀行家のCさんにすべて持って行かれることは確実に予想できた。

 そこで、働くことを一切やめ、借金を元手にして、金を稼ぐ方法を編み出した。

 Cさんから、10%の利息で金を100万円借りる。この債券で他の人と賭け事をすれば、それが簡単に何倍にもなる。

 そこで、ABさんはDさんと賭け事をする。それは単純な賭け事である。コインを投げて表か裏かの50%の確率の勝つか負けるかの賭け事である。そのとき、ABは談合して二人は必ず別なものに賭けるとした。

 まず1万円ずつABDは賭ける。その倍率は2倍にして、Dさんは勝っては喜び、負けては悲しむ。しかし、ABさんはけして勝つことも負けることもないが、Dさんが負けた分を二人で山分けできることは確実であった。

 Dさんが破産すると、ABはすかさず、Dさんを仲間に引き入れ、Eさんをだます方法を考えた。

 Dさんは、博打をとりもち、掛け金の10%を所場代としていただくことをEさんと約束した。

 ABはDの負け分で儲け、Dは勝っても負けてもその所場代で確実に金が入った。その金はすべてEの金からでてきたものである。

 こうして、銀行家CにABもDも、他人の多くをだまして金をえ、Cに全額返済し、自分たちがCと同じ銀行家になっていくのである。

 お金を印刷発行できるCは何も利息をとらなくても、いくらでも自由に金を印刷できるので、ほとんど貸した金を返却させる必要もないので、そんな努力はいっこうにしない。

 しかし、ABDはすっかり博打のおもしろさにはまってしまい、しかも、全世界の金を手に入れ、世界中のものを自分のものにすることができるので有頂天になった。

 こうした博打は株式であり、外国為替である。

 私の30数年の便利屋を真面目にやったが、けして金はたまらなかった。小さな経営者だと、働けば働くほど借金が増えるだけで、けして豊かにならないことを実感するだろう。

 でも、それが維持できるのは仕事とは別に金で金を稼ぐ方法で、その穴埋めをしていたにすぎない。国自身だって、投資ギャンブルして、国を維持発展させている。

 しかし、博打から生まれるものは、だましだけであり、だまされるのは真面目に農業や漁師などをして働いている人たちである。

 金はただ人をだまして相手を支配するためだけのモノである。それを人々が協力して物々交換したり、助け合う手段にするかは、新しいお金のシステムを造るしか道はない。

 その方法は借り貸しも、利息も、賭け事もできないお金を造り出すだけで可能である。

利息はドラッグで奴隷化する

日曜日, 2月 20th, 2011
どうしてお金を借りたら利息を払うの?
    
 もし、サラ金から100万円を月10%で借りたらどうなるだろうか?
 Aさんは農家であり、Bさんは漁師である。いつも野菜と魚を物々交換していた。そこに銀行家のCさんがやってきて、こう言った。
 
銀行家C:「私が造るお金を使えばいつでも物々交換できますよ。一度使って見てください」
 
農家のAさんと漁師のBさんはりんご1個とあじ1匹をお金100円として売りたい品物を金額として見積、そのお金をCさんから無利子で二人とも100万円分借り、お互いに売買し、品物がうまく交換できた。
 
   
C:「いかがですか? とても便利でしょう。特に、野菜や魚がとれない時期でもお金があれば欲しいものが手にいれられます。それにたくさんの人と交換が自由にできますから。」
 
 物々交換が終わり、AさんBさんからすべてお金を返却してもらおうとしてこういった。
 
 
C:「もし、今後このお金を使いたかったら、月10%の利息を払ってくれませんか? 私もお金を造る経費と管理サービスで、利息がないとやっていけませんから。
 
 元金まですべて返してもらったら、困りますから、利息分だけ払っていただければ、ずっとこのお金をお貸しできますよ。」 
 
 AさんもBさんも納得して、お金で売買したが、10ヶ月後、まったくお金がなくなってしまった。
 二人とも100万円の10%の利息10万円をCさんに毎月払ったら、10ヶ月後にはまったくお金がなくなることはあきらかである。AもBも売買するためには、毎月100万円なければできない。そのため、毎月利息は銀行家Cさんに払うことはできなくなるのは当然の結果だった。
        
 しかし、約束は約束であり、Cさんは10ヶ月後、まんまと、Aさんのすべての野菜とBさんのすべての魚を自分のものにしたのである。
  利息率がどうであれ、お金を借りたら、利息を付けて返さなくてはならない!
 これが、ドラッグ率の洗脳奴隷なのであるが、誰もあたりまえのことだと疑う人はほとんどいない。
 
 これは、銀行家による詐欺なのである。
 
 これが実際世界中で行われていることは世界中のお金の流通量(発行額)の推移でみることができる。
 単純にいえば、世界中のお金は中央銀行から発行され、貸し出されるため、世界中の商品・権利・サービスは中央銀行のものにすることができるということだ。
 
そのため、世界中の人間はお金を発行貸し出しする銀行と、お金を返却しないで得た金持ちに支配され、奴隷労働させられることになる。
 

今のお金はドラッグでパチンコ玉だ

日曜日, 2月 20th, 2011

 昨日のソフトバンクの社長の孫正義さんのツイッターで、こんなものがあった。

親父は永遠に偉大です。 RT  佐野眞一の週刊ポスト連載。孫正義 の父三憲氏は舌好調。「携帯は金食い虫」「パチンコ屋は弱い者イジメ」「株取引は乞食」。「株で利益は不労所得」まったくその通り。息子を含む自己批判は、さらに大々的にやって欲しい
 息子である孫正義は今は携帯のシェアで争い、以前、テレビ朝日の株を買おうとしたことでも知られている。この親子の会話は実にお金の矛盾をついている。
  
 パチンコは10数年前に夢中になり、月20万円くらいの負けを出してもやめることができなくて困り果てたことがあった。パチンコは勝つとうれしくなってやりたくなるし、負けると悔しくて、またやりたくなる。そこで使われるお金は自分の生活費の100%以上になり、はては、借金してもやりたくなる自分自身の行為の矛盾が理解できずに途方に暮れたことがある。
  
 元うちのパチンコ好きなスタッフに彼女ができ、彼女からパチンコをやめるか、自分とつきあうかで、選択を攻められたことがあった。結局彼はパチンコを選ばざるをえなかった。また、娘の小学生の同級生の両親がパチンコにはまって、学校から帰っても、親はいなく、夕食の金だけ渡され、コンピニで買って、ほとんど1人暮らしをしていた。ニュースでは、赤ん坊を車に残して親がパチンコをしているうちに、その子が熱中症で死亡した記事もあった。
  
 ギャンブルは愛よりも強し!
 ギャンブルは心の麻薬 !
  
 と、思った。煙草も麻薬の一種であるため、それをやめることは非常に難しいように、ギャンブルもまたそれをやめることは同じく至難の技なのである。
  
 煙草をやめると、1.経済面 2.健康面 3.人間関係 4,安全面 5.清潔面 6,心の安心面 などが向上し、煙草を吸った時期は地獄であり、やめたときは天国に感じることができる。
 
 同じく、パチンコのようなギャンブルをやめると、1,経済面 2.自分や家族の時間 3.空しさからの解放 などが向上し、やめる前の地獄と、やめたあとの天国の差を実感することができる。
 
 健康に害があっても、煙草の栽培と販売と喫煙は法律で認められている。一方、さらに健康に害ある麻薬になる麻の栽培も販売も、喫煙は法律で禁止されている。パチンコは庶民の遊行として認められるが、博打や賭け麻雀は禁止されている。
 
 煙草と麻薬、そして、パチンコと賭博は本質的に同じであるが、それが遊びか犯罪かの区別はその程度によってされている。
 
 今のお金をこの面でみると、麻薬よりも犯罪性が高い洗脳奴隷であり、マネーゲームのギャンブル性は国を売買できるくらい巨額であり、その犯罪性は何千万の殺人を引き起こす戦争仕掛け人であり、その死の商人でもある。

愚智は欲望の裏表

木曜日, 2月 17th, 2011

昨夜、BS1の「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」をかいま見た。2010年のデンマーク作品で、フィンランドの隠し場所を意味するオンカロの地下500mに原子力廃棄物を10万年埋めて封じ込める建設がされているドキュメンタリーである。

 デンマークやフォンランドは幸福度の大きい国であり、環境先進国である。この中で印象的な言葉だったのが・・・

原子力発電所を造る、造らないという問題ではなく、その最終放射能廃棄物をどう処分するかの問題だ

 もう、原子力発電所の安全かどうかの議論はらちがあかないから、今ある世界の放射能廃棄物25万トンをどう処分かの実行の段階だ! と言っている。

 10万年の人類の命を代償にしてまで、ウランが枯渇する数百年の一部人間に電気を供給をすることがはたして賢いことなのだろうか?

 日本が海外に原子力発電の技術を輸出しようとしていることは本当に幸福に役立つ技術輸出なのか? 地下数千メートルに放射能廃棄物を処分するというが、今あちらこちらに、地下数千メートルに穴を掘って温泉がわき出しているから、混じる危険性はないというのか? 

 それに、日本は地震大国だ。どんなに深く、堅い岩盤に埋めたとしても、漏れ出す危険はないといえるのか? 

 テロが今ある原子力発電所を爆破したら、それは原爆をそこに投下することと同じといえないか? 

原子力発電所が最終的に造っているのは電気ではなく、全人類破壊物質である。これこそ、環境破壊どころか、人類絶滅行為であろう。

 このままいくと、フィンランドのように、核廃棄物処理場として、地下のピラミッドをおちらこちら造り、そこに「けして開けるべからず、もし開けたら人類すべてが絶滅する危険あり」と表示するか、それよりも、人類の記憶からそこを抹消するかどうかを、迷う段階にきている。

 原子力を発見したときは、人類の智恵のすごさだっただろう。だが、その智恵が限りない欲望と結びついたとき、愚かな道をまっさかさまに落ち始めるのは人の性なのだろうか?

 欲望をコインだとすれば・・

愚かさと賢さは欲望の裏表

 といえるように思える。ソクラテスの「無知の知」、老子の「不知の知」というよりも、「愚智は裏表」、「賢愚は表裏」だろう。

 「亡き王の再生を願ったピラミッド」、「核廃棄物の完全処理を願ったオンカロ」が重なってみえる。

また、「モアイ像を造って人が住めなくなったイースター島」と、「原子力発電所を造って、地球に住めなくなった人類」と重なってみえてきた。

 はてしなき欲望の栄枯盛衰の姿は恐竜の時代にも、今の資本主義にも、アメリカの姿にも見えてくる。

 北朝鮮に核廃棄をせまるアメリカ・・

 原爆犠牲国が原子力発電する日本・・

 愚智・賢愚は矛盾をふきだす空しさに感じる。

昨夜、BS1の「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」をかいま見た。2010年のデンマーク作品で、フィンランドの隠し場所を意味するオンカロの地下500mに原子力廃棄物を10万年埋めて封じ込める建設がされているドキュメンタリーである。

 デンマークやフォンランドは幸福度の大きい国であり、環境先進国である。この中で印象的な言葉だったのが・・・

「原子力発電所を造る、造らないという問題ではなく、その最終放射能廃棄物をどう処分するかの問題だ」

 もう、原子力発電所の安全かどうかの議論はらちがあかないから、今ある世界の放射能廃棄物25万トンをどう処分かの実行の段階だ! と言っている。

 10万年の人類の命を代償にしてまで、ウランが枯渇する数百年の一部人間に電気を供給をすることがはたして賢いことなのだろうか?

 日本が海外に原子力発電の技術を輸出しようとしていることは本当に幸福に役立つ技術輸出なのか? 地下数千メートルに放射能廃棄物を処分するというが、今あちらこちらに、地下数千メートルに穴を掘って温泉がわき出しているから、混じる危険性はないというのか? 

 それに、日本は地震大国だ。どんなに深く、堅い岩盤に埋めたとしても、漏れ出す危険はないといえるのか? 

 テロが今ある原子力発電所を爆破したら、それは原爆をそこに投下することと同じといえないか? 

原子力発電所が最終的に造っているのは電気ではなく、全人類破壊物質である。これこそ、環境破壊どころか、人類絶滅行為であろう。

 このままいくと、フィンランドのように、核廃棄物処理場として、地下のピラミッドをおちらこちら造り、そこに「けして開けるべからず、もし開けたら人類すべてが絶滅する危険あり」と表示するか、それよりも、人類の記憶からそこを抹消するかどうかを、迷う段階にきている。

 原子力を発見したときは、人類の智恵のすごさだっただろう。だが、その智恵が限りない欲望と結びついたとき、愚かな道をまっさかさまに落ち始めるのは人の性なのだろうか?

 欲望をコインだとすれば・・

愚かさと賢さは欲望の裏表

 といえるように思える。ソクラテスの「無知の知」、老子の「不知の知」というよりも、「愚智は裏表」、「賢愚は表裏」だろう。

 「亡き王の再生を願ったピラミッド」と、「核廃棄物の完全処理を願ったオンカロ」が重なってみえる。

また、「モアイ像を造って人が住めなくなったイースター島」と、「原子力発電所を造って、地球に住めなくなった人類」と重なってみえてきた。

 はてしなき欲望の栄枯盛衰の姿は恐竜の時代にも、今の資本主義にも、アメリカの姿にも見えてくる。

 北朝鮮に核廃棄をせまるアメリカ・・

 原爆犠牲国が原子力発電する日本・・

 愚智・賢愚は矛盾をふきだす空しさに感じる。

  
  

悪貨は良貨を駆逐した

月曜日, 2月 14th, 2011

 悪貨は良貨を駆逐するとは、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則である。

 金→薄められた金→管理紙幣→ ・・・ と、実質価値よりも流通価値の高い貨幣が優先するようになるという歴史的法則は正しいように動いている。基軸通貨であるドルの管理通貨がもはや実質価値を失いかけているため、その100倍も流通している債券が正貨になりそうな勢いである。

 管理通貨→債券 

 悪貨が良貨を駆逐するのは、貨幣の本質が逆だからである。実際は「良貨が悪貨を駆逐している」。貨幣を金にすること自体が間違っているからだ。管理通貨よりも債券の方が優先流通されるのは、管理通貨がアメリカの国内事情と中央銀行が独占的に発行され、貸し出されるためである。しかも、管理する何の基準もないためである。

 国際通貨としてのアメリカドルは何万年もたってもけして返済されないであろうアメリカ国債を支えるためにどんどん印刷されている。そのこと事態、債券が主で、管理紙幣が従の関係になっている証拠である。

 世界の経済ニュースは株式市場と為替市場が中心である。株は企業債券であり、為替は国の債券みたいなものである。

 ではなぜ「紙幣と債券」の主従関係が逆になってしまったのだろうか? 

 それは経済社会が「借りた金を利息を付けて返す信用(法律)」から成り立っているためである。そのため、貸した人が借りた人を支配し、利息を多く得た人が利息の少ない人を支配することになった。

 持っているお金を一番多く増やしてくれる投資銀行が、商業銀行よりも、返済の必要のない中央銀行よりも、頼りにしたからである。

 物々交換から発展させた貨幣でも、どうしても債券は重要な自由経済には必要な貨幣になる。数学おける0、ー1、+1の数字がなければ数学ができないように、貨幣にとっても、債券は欠かせないものである。

 物価を調整するためには、債券がなかったら、紙幣の発行数を増減させることで可能である。債券で物価を調整しようとして、よく金利の増減で行おうとするが、それ効果はうすいことは経験で証明済みだ。

 債券による物価調整はその発行総額であろう。株も債券だから、その価格が暴落すると、債券の総発行総額は減少するので平均物価は安くなる。その逆も真なりであろう。

 しかし、債券の価格はその信用度に大きく左右されるため、管理するのは難しい。株が企業の債券であれば、為替は国の債券だといえそうだ。アメリカの国債の信用度が下がるとドルは下がり、日本の国債の信用度が上がると円は上がるからだ。

 こうした国の為替価格を国が決定できる管理通貨にすれば、債券を管理することができる。中国は自国の管理通貨だから、他国が不景気でも自国だけ景気をよくすることが可能だったといえよう。

 しかし、国内の債券も管理通貨にしないと、物価調整ができない。

 例えば、日本の国債の価格を信用度ではなく、管理価格で決定できれば、物価調整が可能になる。それは利息の上げ下げではなく、債券そのものの価格である。国債を返済しようとして、消費税を上げ、物価を上げ、不景気にする必要がなく、国債に物価調整税をかけて、価格を下げれば、庶民の減税効果になり景気がよくなる。

 為替も管理債券にすれば、1ドル90円にもでき、輸出業者を守ることも可能になる。 自由市場は最低と最高価格を制限しなくては成り立たない。自由には義務が必要のように、自由価格には最低と最高限度が必要なのである。

 今後世界は管理通貨制度から、管理債券・管理為替制度に変わらざるをえなくなるように思える。自国の経済の主権は自国にあるようにすることが、自国の自由を守るには必要だからだ。

お金はどこからやってくるのか

日曜日, 2月 13th, 2011

 麻雀通貨、物々交換通貨をまとめてみて、びっくりしたことに、それが一致したシステムだったことだ。しかも、それをシステム展開すると、今の貨幣とはまったくひっくり返った貨幣が生まれてきた。

 税金を国民が国に払う義務があるのではなく、逆に、国が国民に税金を払う義務があるというシステムにひっくりかえってしまった。

 今は国民が自分の資産や所得や消費に対して国に税金を納めているが、それが、国は国民の資産と所得や消費に対して必要なお金を製造し渡さなくてはならなくなるシステムである。

 いわば、お金の天動説から地動説に変わるような変革である。

▼4人が、麻雀の1ゲームする前と後の差をみると、

 4人とも平等に2500円ずつ配当されるが、ゲームの結果は必ず、4人の差が最初の2500円よりもプラスいくらになるか、マイナスいくらになるかになる。

▼物々交換をお金を使って交換すると、やはり、自分が持ってきた商品よりも、プラスになるか、マイナスになるかになる。

 これは商売における仕入れと売上げの差額が出ることである。例えば、100円のリンゴ10個を他と物々交換するとしたら、それに対して貸し出されるお金は1000円であり、それ以上買えないとする。

 もし、借りた1000円で他の果物レモンやブドウを買ったが、自分のリンゴは3個しか売れなかったので、売上げ300円ー仕入れ1000円=ー700円で赤字になる

 もし、借りた1000円で他の果物を500円を買ったが、自分のリンゴは10個全部売れてしまった。

 売上げ1000円ー仕入れ500円=+500円で黒字になる。

 つまり、麻雀でも物々交換でも、当初よりも、かならずプラスマイナスができることは共通している。

 そして、このブラスの金額とマイナスの金額は全体では必ず同額になることも共通している。

 お金は麻雀でも、物々交換でも、まず国は国民1人1人に生きるための必要な最低限のお金と、経済活動するための国民の資産に合わせたお金を製造して、貸出しして、全額回収しなくてはならない。

 そのため、お金の発行額は国民の基本的生存と、その国民の資産の総額でなくてはならない。

そして、お金は2種なくては経済活動はできない。1つは国民の基本的生存と資産に対応するお金、2つはそこから生じる+ーの債券である。

 従って、この債券の発行額は債務額と債券額は同額でなくてはならない。その発行総額は1の基本発行金額を超えてはならない。

 例えば、1000円のリンゴを交換し、もっとも借金が増えた場合は、まず、手持ちのリンゴを1000円全部売って、貸し出された1000円と合わせて、2000円分のレモンやブドウや桃を買うことができるからである。 しかし、リンゴを一個を1000円以上に売ったり、他の果物を安く買ったりしたら、借金は2倍以上に増える。また、他人が支給されたお金をたくさん借りて、たくさんの果物を買ったら、その借金額は返済ができないくらい大きな金額になるからである。

 債券が2倍を超えないようにするには、同時にお金は国以外から借りてはならないという規制が必要になる。これは店の又貸しを禁止するように、お金の又貸しを禁止することである。

 金融恐慌は借金が返せないような状況になったことから始まった。お金は日銀しか発行できないが、債券は国民が誰でも無制限に発行できるために起きた混乱である。日銀もそうだが、債券もまた国しか発行できないようにしないと、経済は混乱してしまうことになる。

 闇金で交わした債券は国が発行していないので、それは賭け事の負けは返済する必要がないことと同じである。

 国が国民に貸し出したお金は必ず全額100%返済できるようにしなくてはならないが、それはなにも税金をかけたり、集金したりするような人為的にする必要はまったくない。

 ただ、お金や債券に通用期限をつければいいだけである。リンゴをお金とすれば、りんごが腐るように、お金も1年後使えなくすればいいだけである。そして、常に新しいリンゴを栽培するように、お金も毎年、国民の生存と資産に合わせた金額を製造し、配布するだけでいいのである、

 配布する際、債券のプラスとマイナスを精算すれば、配給額が決められることになればいいだけである。

 税金のようなものは支給額から引かれた債務分や増やされた債権分になるだろう。

 これは、団体や組織のような法人にも適応されられる。その場合、人件費は大幅に削減でき、それよりも、その法人の社会的必要度の大きさで、国からの配給金が決められてくるだろう。