バランス通貨の提案

 最近、日本のGDP(国内総生産)が中国に抜かれて第3位になった。しかし、「幸せの経済学」では、GNP(国民総生産)より、GNH(国民総幸福 H=Happiness)の指標が大事だどして、ブータン国王は1972年から、「経済的豊かさだけでなく、心の豊かさも入れた指標」を提唱している。

 世界的指標に世界の幸福度の指標(GDPよりGDH「国内総幸福度」)もそうであろう。

 幸福とは何か? 

 個々人の幸福はみな違うため、その1つをとってそれを幸福とはいえるものではないが、地域や国の幸福ということは共通項の部分の中で選べば言えそうである。

 one for all, all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)

 という言葉が戦うラクビーチームから生まれた。これが、チームの一体感を産みだし、幸せの幸福度(生きる充実度)を表す指標になれるように思える。

 そうした方向性をもった通貨を基盤にした社会が幸福度をあげるように思える。前回の国際通貨カードの発想もそうである。

 「自分が使った各国通貨の1%がすべて新国際通貨に両替され、1年間プールされる。そして、総村人数で、それが自動的に均等に分配される」

 この元になった地域通貨村カードをもっと発展させ、他の通貨に代わって主流になれる通貨を提案したい。それをバランス通貨と名付けたい。

 貨幣の流れは金→兌換貨幣→不換貨幣→債券 へと変わってきている。この流れの次に来る貨幣が何かである。それがバランス債券だと思うのである。

 国も、中央銀行も、貨幣を発行してもうまく機能しない。国民1人1人が貨幣を発行できることが、民主主義社会には必要なことではなかろうか。

 銀行の信用創造は「借金」から作られる。それはまさしく国民の借金が貨幣を造り出し、中央銀行券を凌駕しているといえるのではないだろうか。それは国債を最後に中央銀行が支えざるをえなくなるという現実がそれを証明している。

 なぜ、国民はまず借金をするのだろうか? お金が中央銀行から発行貸出されても、借りる国民がいなければ流通も意味もない。国民の需要がお金の生産供給をさせるのである。

 国民の需要とは生きようとする意志である。お金がなくて餓死するのは本末転倒している。餓死する人こそ、お金を作り出す源泉なのである。お金で殺し合う戦争をするのは馬鹿げた幻想である。戦争で殺される人こそお金を作り出すことができるからである。

 先日、農家のAさんと漁師のBさんが物々交換を貨幣を使ってやる際、銀行家のCさんは必要ない。お互いに同額の借金証書と貸金証書を発行すればいいだけである。

 それは買い物をした際、売り主からレシート(領収書)をもらうような関係になる。

 お金はすべて貸金証明書(金額の前に+プラスが書かれる)であり、レシートは借金証明書(金額の前にーマイナスが書かれる)である。

 例えば、AさんはBさんのアジ魚を買った場合・・・Aさんはアジとレシート(借金ー100円)を受け取り、BさんはAさんからお金(貸金+100円)を受け取る。

 今度は逆にBさんがAさんのリンゴを買った場合・・・Bさんはリンゴとレシート(借金ー100円)を受け取り、AさんはBさんからお金(貸金+100円)を受け取る。

 すると、Aさんが手にしたのは・・●アジ魚 ●レシート(借金ー100円)●お金(貸金+100円)

      Bさんが手にしたのは・・●リンゴ ●お金(貸金+100円)●レシート(借金ー100円)

 そして、手持ちの貸金と借金の合計が0になったら、物々交換は完了する。つまり、誰でも債券を自分で発行して商品を売買することができ、さしずめ、現金商売ではなく、信用あるお得意さんに対する掛け売り商売である。

 この場合、国はAさんとBさんの二人が作ったようなもので、お互いの合意した内容(法律)を自動的に管理するコンピュータであり、いわば、銀行ATMである。

 ABさんは自分の持っている命と資産に合わせて、その年に借金ができる最高金額が合意で決められる。例えば年100万円だったら、それ以上借金ができないが、貸金をすべて入金すればまた100万円借りることができる。いわば、預金通帳の残高はー100万円までということになる。

 この最高借り入れ金額は毎年税金申告のように、自分のおかれた生活状況によって、借り入れができる。常に借金と貸金は同額なので、例えば、個人最高の貸金(金持ち)の金額は1億円と決められ、個人最高の借金(貧乏)の金額はー1億円というように決められる。

 例えば、二人社会のAさんの手持ち最高限度+1億円以上の1億2千万円になった場合は必ず、Bさんは手持ち借金ー1億2千万円になるから、one for all, all for one のように、超過分2千万円は全体(二人)で均等に振り分けられ、差し引き0になり、Aさんの貸金は+1億円になり、Bさんの借金はー1億円になる。

 つまり、命の代金1億円だとすると、それ以上の貸し借りは殺し合いになってしまい、経済社会は崩壊してしまうからである。

 もし、100人国家だったら、Aさんの超過分+2000万円は、借金の持ち主が10人いたら、借金の大きさの割合に合わせて、均等に配当され、合計借金2000万円分少なくなる。その逆にBさんの借金総額が2000万円超過したら、貸金の大きい分に合わせた比率で合計貸金2000万円分少なくなる。

 債券は常に国を介したやりとりでないと、有効にはならない。債券を売り買いするようなことはできなく、また、利子はつかないので、金で金を稼ぐ方法は不可能になる。格差は最高と最低が決められるので、それ以上に大きくなることはなくなる、

 また、相続の場合は今の法律と同じで、借金も貸金も相続する意志で決められる。基本的に命の代償としてお金が貸出されるので、亡くなれば、先の超過分と同じように、均等に配分される。そして、相続できる貸し借り金は最高1億円までとなる。

 このバランス通貨は貸金を日銀券で、借金を領収書にすれば、ほとんど今まで通りの経済が可能である。唯一違うとすれば、日本銀行が商業銀行に貸し出すのではなく、国民1人1人にその命の代償として、一生分の最高1億円を利子抜きで、分割で貸し出すことから始めることで可能になる。

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