命と魂の違い

 最近、リビアの独裁者によるデモ隊の虐殺、ニュージーランドの地震による犠牲者のニュースが毎日されている。

 「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う」を日本テレビを少しみた。そこで、ベーシックインカムで、月10万円国民にあげるという案に政治家全員が賛成した。これは見込みがある。

 たまに出てくる問題が、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という、トロッコ問題である。海猿のテーマでもあった「人を殺さねば生きられない時、人を殺してよいか?」という「カルネアデスの板」の問題 もある。

 トロッコ問題を出したサンデル教授が、「1人を犠牲にして、5人を救うか」という問題で、多くは5人を救うという功利主義を選び、「隣の1人を殺して、5人を救うか」という問題では、義務論(人格・個人自由の尊重)が多く、逆転して、何もしないという方を選んだ。

 一番ユニークだったのはタケシである。5人か1人かではなく、どっちが年寄りだ。教授はびっくりして、「では何歳で分けるのですか?」と聴くと、タケシは「60歳かな。年寄りは後はないから、若い者優先した方がいい」、教授「・・・・・・・」だった。

 また、教授はどちらを選んでも、両方正しいと答えたことも印象深い。答えのない正解というのもあることは忘れてはならないだろう。でも、もっと深く考察してみたくなった。

 命の問題で欠かせないのは「肉体は滅びても、魂は不滅かどうか」である。

 先日、大坂の友人から、数年ぶりに電話がかかってきた。このブログを読んでいてくれたらしい。そこで長話をした。彼とはサイババ批判で共通する者だ。

 そこで、魂と肉体について、私が

「魂は肉体と同じ数あるのではない。魂というのは形がない、肉体は形がある。だから、魂は肉体と同じ数だけあるのでなく、たくさんの肉体を持っている」

 と発言したら、じ~と、聴いていてくれた。

 トロッコ問題もカルネアデスの板も、その個人の命と個人の魂に関係してくるのである。

▼青年時代、魂の問題でえらい悩んだことがある

 「もしも、人の数だけ不滅の魂があるとしたら、現在生きている人間65億人だけでなく、過去数万年にわたって生きて死んでいった人の数もあわせると、地球は人の魂で埋められてしまうではないか」

 そこで、過去生きて死んだ人の数を計算した。私を生んでくれた親は二人、そのまた親も二人、そのまたまた親も二人・・・・現在の65億人の二乗し、平均の兄弟数で割ったら、どうなるか? まさにねずみ算である。

 今度は人類の祖先をアダムとイブ、またはイザナミの尊とイザナミの尊の男女の二人が、子供も二人産み、その子はまた二人産み、またまた二人産み・・・したら、やはりねずみ算になり・・・地球人類の65億人はみな男女の神様の共通の先祖になってしまう。

 また、生まれ変わりの思想が真実であるとして、計算してみると、65億人の人間がみな生まれ変わって生まれたとしたろすると、すぐに生まれ変わらないで、タイムラグがあったとしたら、数万年前も65億人以上の人間がいたことになる。

 こうした悩み計算した結果、命の数と魂の数は同じではないという結論に達したのである。

▼ では魂とは何か?

 人に出会ったときに、自分と同じような生き方の人や、まったく別な生き方だと感じることがある。その中でも魂の触れ合いのような人物に出会うこともある。まったく他人なのに、なぜか相手が自分の化身のような感じの人もいる。

 突然、愛する人が亡くなっても、ずっと自分の心にその人が住んでいて、けして亡くなったとは思えない人もいる。

 魂とは肉体ではなく、心の一体感から出来ていると思えるである。考えかたは違っても、同じ方向を見ている人たちとの一体感がある。その同じ方向を見ている人は同じ魂の中に生きていると思えるのである。

 つまり、魂とははっきりとした形はないが、ぼんやりした生きる方向の先にある姿である。そして、その魂にはたくさんの肉体の命を持っている。魂は血縁とは違い、民族を超えて、繋がったモノである。

 また、生き方も考え方も違うが、同じ方向性を見ているのが魂の絆で、宗教も超えているのである。

 そのため、人類の数よりはるかに少ない魂の数があるように思えるのである。しかし、不滅ではない。もし、魂が不滅だとしたら、人類にはたった一つの魂しかなくなってしまうし、人類そのものだって不滅であるとは言い切れないからでもある。

 魂は命よりもはるかに寿命が長く、過去現在未来に渡って、数百年、数千年も生きているモノだってある。

 つまり、こう言えるのではないだろうか。

 魂とはたくさんの肉体を持ち、過去現在未来に渡って、受け継がれる心である。

▼魂でトロッコ問題をみる

 もし、5人が悪人で、1人が善人だったら・・・たぶん、功利主義にはならないだろう。

▼魂で、カルネアデスの板をみる

 もし、殺さざるをえない相手が、自分の愛する伴侶や子供だったら・・・たぶん、別な答えをするだろう。

▼魂で原発問題をみる

 今生きる人の電気需要をとるか、10万年先までの未来の子供達の命をとるか、・・・そこで判断できるだろう。

▼魂が観るもの

 今の多くの人類の欲望ではなく、過去現在未来に渡って引き継がれる命のリレーである。

 

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