Archive for 12月, 2011

寿命クリニックを創設しよう

木曜日, 12月 29th, 2011

平成22年度の日本の死亡原因の割合を観ると、

 

ガン(29.5%)心疾患(15.8%)脳血管疾患(10.3%)肺炎(9.9%)で、病気で亡くなる方は全体の65,5%を占める。ニュースで問題になる不慮の事故は3.4%、自殺は2.5%であり、合わせても、5.9%であり、病気の9%に過ぎない。
同年の日本の人口は1億2739万人であり、死亡した総数は119万7000人であり、100人に9人亡くなり、その内病気で亡くなる方は100人に66人で、、事故3人、自殺3人である。
 病気原因での死亡総数78万4000人で、ニュースになる事故と自殺の合計は7万600人である。癌で亡くなる方は、戦後から加速度的に毎年増え、35万3 000人もいる。
 もし健康であったなら、老衰で亡くなるはずである。老衰で亡くなる方は死亡者の3.8%で、4万5000人しかいなく、ニュースにもならない。

 私達が目指すのは老衰で死ぬことである。そのための社会であり、技術が必要である。病気になってからでは遅く、病気になる前に予防する健康への積極的な生き方が今特に求められている。

 しかし、健康への知識や技術や普及が遅れていて、逆に病気を促進してしまう結果になることも多い。

 最近、無理な断食ダイエットをして、そのストレスからか、1ヶ月以上のジンマシンに悩まされ、ダイエットを中止に、断食する前以上にリバウンドしてしまった。ジンマシンのような病気には病院は対処してくれるが、健康へのダイエットには対処してくれる病院はほとんどない。

 病気には保険はきくが、予防には保険がきかない。健全な出産は保険がきかないが、病的な出産は保険がきく。病院経営からみれば、病人をたくさん造った方が経営が安定し、大きくなれるが、国民の健康保険料の負担は大きくなり、困ることになる。

 これからは健康への予防を目的にした新しい病院ができたら、健全な社会への一歩になると思える。

 その健康病院だが、医食同源というように、食をもたらす農業もまた、農薬に頼らない自然農が期待される。さらに、病院経営も顧客獲得にならない、市場競争経済ではなく、分配する自然経済が必要になってくる。

  病人を増やす社会から、寿命を増やす社会への変換として、自然農や自然経済そして、気軽に地元で健康相談できる寿命クリニックが必要になってくると思われる。

 

人類の未来予測

金曜日, 12月 23rd, 2011

 世界人口の西暦が始まってからの現在までの推移のグラフをみると、ここ200年間で、借金返済の複利計算のように、人口爆発、経済破綻とともに、人類破滅に向かうような未来が見えてくる。
 そうした予感は映画や占いなどに反映され、現実的にも自然人為災害なども増えている感じがしてくる。
 そこで、今後の世界人口の予測を自分なりにしてみた。

 日本の人口のピークは2004年で1億2779万人であり、その前に宮崎県は1996年が人口ピークで、118万人だった。このピークの線上をのばすと、2050年には世界人口は90億人でピークを迎えると思える。

 その年から人口減少になり、それは人口増加曲線と同じような放物線で人口減少し、過去数千年のゆっくりとした人口増加線上の人口になり、2500年には20億人くらいになり、第二次世界大戦が始まった1939年頃の世界人口にもどるという予想ができた。

 この根拠は人はどんなに自然に逆らっても、必ずもとの自然に戻されるからである。

 注目すべきは、日本の人口が減少したのは食糧難でも、戦争でも、病気でもないと考えられる。逆に、経済的には豊かであり、平和で、長寿である社会状況において、人口減少が起きている。

 一方、アフリカは人口増加が激しいが、その社会状況は食糧難、戦争、病気があるという事実である。

 そのことからして、人口増加の原因は食料難・戦争・病気に打ち勝とうとする生命力ではないだろうか。

 日本の人口がピークを迎えた2004年はちょうど経済成長がとまったときであり、経済戦争をやめて、環境にやさしい社会と、社会福祉の方向へと転換していった時代である。

 世界全体が向かおうとする豊かさ・平和・人道・自然環境こそ、人口増加をゆるめて、人類が安全に地球上に長く暮らせる道だと思える。それは1人1人の人間の命の重さを感じる社会への変貌こそ、人が人らしく生きられる地球環境ではないだろうか。

 つまり、人類の未来は、「1人の命は地球よりも重い」という命の大切さを向かうことによって、開けるということになる。そうすれば、やたら、未来に対する災害や戦争や病気を恐れて、不安がる必要がないと思えるのである。

 たくさんの死を恐れるのではなく、1人の産まれる命の幸せを夢見ることにかければ必ず、人類は自然環境に合わせた社会をゆっくりと築いていくと信じられるのである。

すべての願いを叶える方法

火曜日, 12月 13th, 2011

 税と社会保障の一体改革として、今国は取り組んでいる。それは国民すべてからお金を集めて、生活困窮者にお金を寄付し、回すことである。今のお金はそうしないとお金が回らないからだ。
 でも、どうしてこんな面倒なシステムにするのだろうか?

 アラジンのランプの話のように、「もし、3つの願いをすべてかなえるとしたら、あなたは一体どんな願いをするだろうか?」

 1つの願いだけで、3つの願いだけでなく、百・千の願いすべての願いを必ずかなえることができる願い事がある。それは「どんな願いもかなえる神様を下さい」というお願いである。

 これは1つの原因からたくさんの問題(結果)が生まれるという因果応報の事実があるからだ。

 税と社会改革の一体改革の根本にあるのは「お金」である。このお金は永遠の所有権のように扱われているために、集め配分するという繰り返しをする必要が出てくる。しかし、お金そのものは、単に発行され、回収されるだけの、数字の書かれた紙切れに過ぎない。

 今各国はお金の財源として、回収する手段として税収に苦労しているが、お金は発行と回収ではなく、通常の紙と同じく、発行し、使い終わったら、廃棄にすれば回収する必要がなくなる。つまり、お金の発行が社会保障になり、お金の廃棄が税になる。

 その方法は簡単で、ただ使用期限のあるお金を発行して、必要な社会保障に配ればいいだけである。期限切れのお金をそのまま持ち主が廃棄(国に寄付と同じ)してもいいし、それを法人税や所得税や消費税の代わりに使ってもいい。

 発行された社会保障のお金は最終的にすべて金持ちのところにすべて集まってくるので、金持ちがすべて税金を払い、社会事業を推進することができるようになる。

 すべての社会保障をかなえるには、すべての願いをかなえる神・・通用期限のある紙を発行廃棄することで即実現できる。

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備考:「どうすれば実現できますか?」というコメントがfacebookでありましたので、重要と思い追筆しました。

 社会保障と税の一体改革法案を国会に提出して、了解をえるだけ。
その法案要項とは
1,社会保障に必要な費用はすべて日銀で通用期限付き紙幣として発行することができる。
2,通用期限と電子マネーによる税金振り分け率は国会の審議によって決められる。
3,通用期限付き紙幣は日銀券に通用期限終了年月日を記載する。
4,通用期限付き紙幣を電子マネーとして銀行に預金された場合、通用期限の日割り(10年の期限だったら、1日に付き、預金額の3650分の1)を税金支払い用に振り分けられる。
5,期限切れの通用期限紙幣は期限切れから1年間は納税のために使用でき、また電子マネー化することができる。
6.紙幣滞在期間の税収調整のため、電子マネーの出し入れ毎に、通用期限の日数の数倍分の1の額と基本定額を税収分として振り分けられる。

7.発行してから10年後に電子マネーにおける税額と発行額の差額は次期に繰り越しされ、その分次期の預金日割り額に増額して調整する。

脱税防止策
 脱税として、紙幣のままへそくりし、期限切れ寸前に銀行預金し電子マネー化して、税金の支払を防止するためには紙幣に銀行から出金されてから1ヶ月後までに銀行にもっていかなかった場合は、一部の色が変わり、銀行を一度通さないと使えないようにすることもできる。こうした時計付きの働きができるようなICチップを埋め込んだら、銀行のコンピュータが検知計算しやすくなる。

 でも、今は紙幣発行は現実的でなく、ほとんどが電子マネーなので、最初から通用期限付き電子マネーとして発行したら、上記のような面倒な計算も、脱税防止も必要なくなる。使用する際はクレジットカードのようなもので、すべて支払をすれば、税金との振替は自動にでき、しかも、税金支払いも自動でできる。

 

「余った食べ物」と「余ったお金」の使い道比較

木曜日, 12月 1st, 2011

 山梨に引っ越すと、東京の大手の銀行がないので、地方銀行かゆうちょ銀行に移転する必要があり、なにかといくつかの銀行を観察した。

 そこに置かれている雑誌やパンフレットやビデオの話題をしめるのは「いかにお金を増やすか」というものばかりだった。

 一番びっくりしたのは、銀行は保険や株式・債券・外国通貨をもとに金融商品を販売する大手ファンドの下請けみたいのをしていたことだ。

 たまたま、大きな資金を東京から山梨の銀行に入れ替えたとき、それをアリコの三大陸という金融商品を、まるでモデルのような美人で知的な女性が私に対応した。まさに、映画をみてる感じで、実にてきぱきと説明した。

 私はこのスラッとした美女はてっきりアリコの出張社員かと思ったくらいである。彼女がしきりに進めるのは豪ドルによる配当式貯金である。そのパンフには米ドルとユーロがあったが、豪ドルしか進めなかったのは最近のニュースがどちらも価値が下がっているからだろう。

 私は一度も投資みたいなことはやったことがないし、やる気もない。ただ、一度くらい経験したいと任天堂のゲームソフトを買ったことがあったが、それも一日坊主で終わってしまった。

 結局、普通預金を定期預金に変更しただけにした。

 銀行におかれていた雑誌に目を通すと、このスラリ美女のお勧め内容と一致しているのにもびっくりした。今は外国通貨に投資するのが一番だというのである。

 その理由をメモした。
「2011年6月末で、944兆円の国の借金がある。たとえ毎年10兆円返済したとしても94年かかる。国の歳入は48兆円、10兆円返済して38兆円になる。しかそ、今年の歳出は92兆円になり、さらに借金は増えることになり、このままでは永遠に借金を返すことはできないだろう。

 日本の借金は国民総生産GDPに対して220%あり、世界一の借金率である。今債務不履行の危険があるイタリアでさえ、GDPに対する借金率は125%である。

 ただ、日本の借金のほとんどは外国ではなく日本国民から借りていることが債務不履行にはならないだろうと予測される。

しかし、日本国民の個人資産は1476兆円あり、そこから住宅ローンを差し引くと、1100兆円しかない。国と地方の借金総額は1000兆円だから、もうすぐ借金が資産を上回る時期がくるだろう。

 このような状況で、膨れあがる借金を税金で返済することは不可能である。税金に代わる返済方法はインフレである。日銀が国債地方債の1000兆円すべて買い支えるしかなくなり、新たに1000兆円の現金が印刷されることになる。すると、ハイパワーインフレになり、物価は数千倍にもなり、すべての借金は紙くず同様の0円になる。日本の円はどんどん円安になっていくのは確実である。」

 こうしたインフレと円安になる将来、自分の財産を守るには海外の資源が豊富にある国の通貨に換えるのが一番である。」

 というような内容だった。なるほどとは思いつつ、今円高なのは、海外の投資家もまた日本の通貨に一時的避難投資しているためだろうと想像したら、どっちもどっちだというような感じで隣の芝生はよく見えるのではと、ひとり笑ってしまった。

 ただ、債務不履行を回避するために、ハイパワーインフレをすることはないだろう。特に日銀は極端にそれを恐れているからだ。日本の借金は日本国民から借りているということは、つまり、身内の親子の間の借金ということになる。いわば、借り主と貸し主は同じ国民だってことになり、今までの借金は帳消しして、新たにやり直そうとするので、日銀にお世話にならないだろう。

 大体、国債を持っている人はたとえ、その国債が0円になったとしても、それらは余ったお金で買ったものだから、自分の生活が困ることはない。むしろ、インフレになって、生活困窮するよりもはるかによいことであると判断し、債券放棄して、日本全体を救う力になると思える。

 こうした、借金返済不履行で世界経済が混乱する昨今だが、そもそも、金で金が儲かったり、損したりすること自体おかしなことである。金の貸し借りができ、しかも、利息も付けられ、そうした借用証書が売買できること自体、幻想であり、妄想である。借金をすべて利息付きで返せると信じることが盲信であり、その幻想が明るみにでた姿にすぎないだけである。

 お金よりももっと大事なものは食べ物である。お金があっても食べ物が無ければ人は死んでしまうが、お金がなくても、食べ物があれば人は生きていけるからである。

 しかも、お金の制度ができた元々は命をつなぐ食べ物を分け合うことで、みんなが生きていけるようにする智恵からである。

 あなたの畑でたくさんの食べ物が出来、自分で食べきれずに、たくさん余ったらどうするだろうか?

 そのままにしたら、腐って土にもどってしまうので、近所や知人に余った食べ物をあげようとするだろう。

 しかし、あなたの会社でたくさんのお金が入り、使い切れないくらいのお金が余ったらそれをどうするだろうか?

 まずは銀行に貯金するだろう。そして、その貯金がいくらかでも増えるような対策をするだろう。お金はそのままにしておけば食べ物のように腐ることはなく、うまくいけば増えることになるからだ。

 「余った食べ物」と「余ったお金」の使い道を比較してみよう。そこに何かが見えてくる。

 もし、お金が食べ物と同じように命を繋ぐ大切なものであったならば、余ったお金を生活困窮者に寄付しようとするだろう。そうすれば、将来もし自分が生活で困ったときは、逆にきっと助けてくれると予測できる。

 逆に、もし、食べ物がお金と同じように腐らないものであったら、家中食べ物ばかりになってしまうので、誰かにあげようと必死になるだろう。それをもっと増やそうとしたりすることはけしてなく、いかに食べ物を減らそうとするようになるだろう。

 このように、今のお金は、生活の糧である食べ物とはまったく分離したものである。お金が腐らないで、増えるような仕組みは現実の生活とはまったく関係ない幻想にすぎないことは明白である。

 そうした幻想であることをなかなか容認しないのが今の世界の金融市場である。

 もし、銀行が、お金と食べ物は一体のものであるという現実を受け入れたら、けして投資してお金を増やそうとはしないだろうし、貸し借りで儲けたり、金融商品の売買手数料をとろうなどとは考えないだろう。

 預金者だって、貯金して、金利の高い金融商品にしようとはしないだろう。銀行も、預金者も、余ったお金をいかに困った人たちに寄付するか、効果的な寄付対策をするだろう。

 単に赤十字社に募金することで、震災被災者を効果的に助けることができるだろうか?
日本の国債を買っても、その利息も元金も期待しないだろうし、国が無駄遣いするようなら、国債を買わずに、直接助けたい人や団体に寄付をしようとするだろう。

 こうした寄付は将来自分も同じように助けてもらえるようにして、投資のような寄付をする対策をするだろう。いわば、保険として、そのボランティア団体の株式のような援助金にあてるだろう。

 そして、根本的にお金のシステムは食べ物と同じ性質をもった減価するお金を基本にしたものに変革されて、幻想から現実の生活に移行していくと思われる。