Archive for 10月, 2014

経済も国と地球の二つの顔があってよい

金曜日, 10月 31st, 2014

国際経済は毎日のドルの価値の上げ下げで右往左往している

世界は実質的にアメリカドルの基軸通貨で動いているからだ。

国が国民を支配してはいるが 国はドルに支配されている

アメリカさえも 一握りのドル金持ちに支配されえいる。

 

世界に戦争や内乱があっても 国連も治めることができないのだから

世界はいわば無法地帯である。

国際法があっても それで治める権限はない。

 

多くの争いや不幸は国や民族宗教の違いから起きているが

その争いを治めることができる意識は同じ地球人であるという人類愛である。

こうした人類愛の機能を国よりも強い経済力で治めることが必要であろう。

 

基軸通貨ドルに変わる人類愛に基づいた国債通貨が今後の世界の争いや不幸を解決する糸口になるだろう。

人はそれぞれの国の顔を持つと同時に みな同じ地球の人類としての顔を持つように

それぞれの国の貨幣価値が毎日上がり下がりするような状態はまさに戦争状態であり けして平和な世界ではない

それぞれの国民がその国の貨幣が混乱したら 人類としても貨幣で暮らしを支えることができるようになればよい。

 

人は左右の両目両耳両手両足があって バランスをとっているように

経済も国の貨幣と人類貨幣の左右あってこそ バランスよく平和を保ちやすくできる。

国は動物の世界の縄張りである。人の個性の多様性があってこそ 人は等しく楽しく生きられるように

縄張りもいわば地域の顔としての特性として尊重してこそ 世界も楽しくなるが

一方行きすぎた愛国心は世界全体を残虐戦争においやることにもなる。

国を超えた愛人類意識も必要である。それは矛盾するようだが どちらが価値が高いというより バランスの問題である。

 

世界経済のバランスをとるにはドルが崩壊しても 別な基軸通貨としての国際通貨を選ぶことができるようにしておけばよい。

新山梨コインのような世界ベイシック・インカムが実現できる貨幣システムをどの国民も選べるようにすれば

ドルの価値の右往左往する必要もないし 自分の命を守る保険として 選べる国際通貨をいくつか造れば安心である。

 

国に政党があるように 世界にいくつかの国際通貨があってこそバランスがとれる。

今はドルの独裁政権のような世界だからだ。

 

 

 

 

 

 

自他は常に一体なんだなあ

木曜日, 10月 23rd, 2014

戦場のピアニスト を録画でみた

ドイツ人によるユダヤ人の大量虐殺の中生き延びたピアニストの半生である

同じ時代 日本の戦時中に同じ虐殺がされていた

民族の争いにはこうした残虐な大量虐殺が多くみられる

戦国時代では同じ民族同士でも 家系の争いにも大量虐殺があったし

今の世界でも宗派の間でも イスラム国のように残虐殺人がみられる。

 

こうした歴史をながめると 殺した人は殺され 権力で虐げた者は権力で虐げられる 繰り返しである

一体なぜ こうした残虐な戦争を古今東西で繰り返し行われるのか?

 

それは単純に 「自他一体である」というのが真実なんだと思えるのである

そもそも命は自他の夫婦から産まれたモノであるから 自他が一体でなければ命は存在しない

つまり

他人を殺せば自分も死んでしまうという命の存在定義でもある

そこに善悪なんかは関係なく 他人を殺せば自分も殺されるという単純な命の原則つながりがあるだけである

個人同士であれ 民族や国・宗教間であれ 殺せば殺されるという命の原則があるだけだ。

 

そこに上下関係があったとしても 下の者が上の者に殺されていいわけななし 逆もない

上下関係は社会の意志決定や安定には必要だが 命のやりとりだけは上下関係は無関係であり 平等であるといえる。

どんなスポーツでも勝敗あり 上下関係があっても そこに命のやりとりはないし 命を奪うスポーツはスポーツではなく戦争である。

 

こうした命の存在原則には

死刑制度は悪法であり 命の尊厳と存在意義を無視している。

無実の罪で死刑になるえん罪も絶えないのもそれを証明している。

 

死刑は殺したから殺されるのは当然という命の歴史的原理からきているが

自他一体であるという命の存在意義からは逸脱している

死刑は犯罪を犯した者が再び同じ犯罪を犯さないようにするためのものである。

だが、 殺人者をどんなに死刑にしても 殺人者はけして減ることはないというのも歴史的事実である

殺人犯罪を減らすには死刑制度ではなく

殺人を犯した人が他の殺人を犯さないような力になるか 殺されそうな人を救うかどうかが大事になる

日本の将棋の駒のように 相手も駒をとったら それを味方の駒にできるようなゲームが命のゲームに適応している

つまり 死刑よりも

一人殺したら 一人救わねばならないという法律に替えた方がより自他一体の命の原則にあう

 

いろいろな宗教の最終目的には 神や仏と自分が一体になることであるが

神仏を命の源とすれば 自他が一体となって命が産まれるのだから それは自他一体のことである

神仏との一体や自他一体の姿は悟りのように求めてもけして今生では得られないものではない

すでに 命があるならば そに者はすでに神仏と一体であり、自他一体であり

それは最終目標ではなく 当初の真実なのであり 出発点である。

 

だから

何人も他人を殺せば殺されるか また他人を助けなければならない運命を持つのである。

 

自分の命を守るにはどんな極悪人でも殺さず、人を救う嘘は大いにつけ

水曜日, 10月 22nd, 2014

たいそう昔から私は寝て考えるくせがある

寝る前に「問題を頭に入れる」と 翌朝起きると「その解決策が出てくる」!

まるで解決機械のようなものが 睡眠である。

ちなみに 問題が大きすぎて 死にたくなったら

死なずに寝れば解決策がでてくるので 死なない方がよい 死んだら問題をさらに大きくしてしまう。

 

昨夜問題を与えないのに 普段から疑問に思っているせいか答えが出てきた

残虐な事件で 「極悪人が その者をおまえが殺さねばおまえを殺す!」として

次々に被害者が被害者を殺し 悪の連鎖が出てくる。

もしあなたがその被害者であったならば どういう態度に出るだろうか?

 

映画のように

仲間を殺そうとしながら 命じた極悪人を殺すのがスッキリとした答えだが

これは正当防衛の一種にすぎない。

もしそれが失敗したら すぐに殺されるのが落ちである。

 

ではどのように自分の命を守るのか?

 

ガンジーの無抵抗主義には多くの犠牲者が出たが まったく犠牲者がでない方法はないものか?

戦争も極悪政府の殺人命令のようなもので 兵隊は殺される危険が大きいのである。

 

「嘘も方便」という法話がある

映画「雨あがる」で 「何をしたというより 何のためにそれをしたのか それが大事 ぼんくらには解りますまい!」

も同じ意味である。

 

逆らえば殺される命令には 自分の命を守るために大いに嘘をついて従うのが一番である

つまり

中間を殺す命令を快く引き受け 実際はその中間を救ってしまう

命じた極悪人には まんまと逃げられましたとか、 銃が壊れていましたとか嘘をつけばよい。

 

極悪人とはオーム教祖のような いわば被害妄想患者みたいなもので 妄想という嘘で人殺しさせるようなものだ

そうした妄想患者には同じような妄想つまり嘘で応対して 相手をなだめて 自分も相手も極悪人の命さえも守る方法がいいだろう。

 

だが

相手を救う嘘でなく 相手を殺すための嘘だったら 極悪人以上の最悪人であろう。

ともあれ

自分の命を守るには どんな極悪人でも殺さず 人を救う嘘は大いにつけ

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイエットは食っちゃ寝の逆 食っちゃ動き 食わずに寝ろだ

月曜日, 10月 20th, 2014

今年の4月からの半年ダイエット生活にチャレンジして やっと一つの原則に近づいた

82キロ以上あった体重を20キロ減の62キロに戻すのが目標だが

それが今朝驚いたことに1キロも痩せ

目標頂上が間近に見える 62.9キロとなった。

 

寝ている時にふと気が付いたのは

食っちゃ寝するから肥るのだから

ダイエットはその逆をすればいいじゃあないか!?

つまり

食っちゃ動き

食わずに寝ろだ!

実にシンプルな解決策ではないか!?

 

最近それに近い生活は実現してはいないがチャレンジしている

つまり

朝食をとったら働き

昼食をとったら働き

夕食夜食をとらずに早く寝て早く起きろ!

これが難しく まだチャレンジの段階だが

それでもチャレンジを1週間くらいしただけでも2キロくらい痩せた

このダイエット生活原理はベイシック・インカム必要性にも通じており

働かざる者は食うべからず! ではなく

食う者は働くべし!

食わざる者は働くべからず! である

なお

働くとは字のごとく 人が動くということで どんなことであれ動くことだ

ダイエットの基本はベイシック・インカムの基本精神になるだろう

 

 

 

 

 

お金の原点に戻り平和に暮らそう

火曜日, 10月 14th, 2014

宗教がその教祖を神の子と信徒が思いこむことで多くの苦難が生まれるように

お金があればなんでも買える なんでもできると思いこむことで多くの問題が起きる。

 

そもそもお金は商品の値札つまり物価にすぎない

物価は市場やオークションそして為替相場のように 売り手と買い手の言い値(需要と供給)の中間で決まる。

 

需要と供給の関係は商品と貨幣発行額にも言えて

各国通貨は金融商品であるから 日銀が円の供給をに増やせば円安になる

ジンバブエのように無制限に大量に発行すれば国内はハイパーインフレとなり 外貨との交換はできないので紙くずとなる

 

現安倍政権がデフレ脱却するために物価を2%上げるまで 円の発行を無制限にしようとした結果はどうなっただろうか?

もちろん円安 そして物価だが 株だけが高くなったが 一般消費物価はほとんど変わらなかった。

そして 無理矢理 消費税を5%から8%に3%アップして 物価を3%あげたが 景気は好転しないでいる。

 

日本とジンバブエの貨幣発行の差は日本は国債や株などの金融商品を買う対価であるが

ジンバブエは国策需要である実体商品やサービスに対する対価である

この点が大きく違い、日本では金融商品市場が大きく変わり ジンバブエは実体経済が大きく変わったといえる。

 

金融商品とは商品とは関係なく 金で金を生み出すギャンブルである

投資はゲームの掛け金であり、損得は勝負結果である。

金融市場と実体経済市場比率は9:1と言われており、人類がもし一つの家族だとしたら

親父の収入の9割はギャンブルで消え、残り1割で母親が家計をやりくりして苦労しているようなものだ。

 

お金の原点に戻って 平和に暮らしてみようではないか!

 

お金のない部族では親父たちが採ってきた獲物を部族全員で平等に分けて平和に暮らしている

その場合のお金とは獲物を平等に分ける引換券のようなものである。

獲物が少なければ引換券は少なく 獲物が多ければ多くなる。

獲物の数に合わせたお金が発行され、部族民には平等にお金が配られ 獲物と交換できる。

物価は獲物の量とお金の発行額に合わせて変化するので 生産と消費の関係ではなくなる

もし部族の需要がなければ生産もしないので、それは受注生産ということで 金儲けのための無駄な生産もしない。

食べる分だけの獲物をとればいいので 無駄な殺生をして 動物を絶滅はさせることはしない。

 

これからのお金を

世界の商品とサービスの量だけのお金を発行し、ギャンブルを控え

それを全人類が平等に分配していく

そして よりよく生きるのに必要以上の生産をしないで 地球環境を守っていく道が見えてくるだろう。