Archive for 2月, 2012

自由とe中銀券

火曜日, 2月 28th, 2012

 先日、分かち合いのe中銀券が、納税の自由があるとして、自分で分かち合い率や参加を決めるということを発想したが、これだと、個々人が新マネーを発行し、回収、配分することになるので、個人の意志が入り込んでしまい、自分の心の中での葛藤を常にしなくてはならなくなる。

 これでは自由ではなく、心の不自由である。貨幣そのものは法により規制があって初めて信用し、モノの価値を決められる。そのため、貨幣の発行と回収と配分においては自由があってはならない。

 それは、人の自由とは何かである。貨幣は地球の働きをそのまま映し出したものである。雨はどんな人にも等しく降り注ぐようなものである、自然の産物の減価率も人間が決めるものでもないし、米や麦が人間の意志だけで、作られるものではないのだ。稲も麦も、他の雑草や生物と同じく、自分で生きようとしているだけである。

 人間は天地の神様ではないのだ。

 人は貨幣を発明してから、個人主義になってきた。そして、その貨幣を取り合い、争い、そして、勝者と敗者ができ、経済格差が大きくなって、社会は限界を迎え、没落する。

 自由とは個人主義のことである。自由と自由を合わされば、分かち合い社会が産まれ、損得や争いがなくなったときである。

 地球自然の流れに任せることが社会の自由であり、それに逆らうのが個人主義的自由である。環境破壊や争いは個人主義的自由であり、自然環境保護や平和は社会的自由であり、法(社会のルール・・自然に合わせた)の元における自由である。

 そのため、先日の中銀券でも分かち合いができるというのは無理であり、個人主義的自由になってしまうので、法的通貨としてe中銀券は発行しないと、社会的自由は確保できない。

 そのため、中銀券による分かち合い電算機はe中銀券の発行運動にして、国の発行をうながすようにする目的でのこじんまりした数人でやるといいだろう。そうなれば、手作業で、分かち合いができる。

 さらに、e中銀券を法的貨幣にするには、どうしても、法律制定をうながすような運動をする必要がでてくる。そのため、政治と新貨幣は切り離せないので、新しい政治の形を模索することになるだろう。

 

e中銀券は分かち合い電算機

月曜日, 2月 27th, 2012

 e中銀券には納税の自由がセットであることが必要であると思い、それをどう実現化していったらいいかを模索していた。

 思いついたのが、私意を持つ議員や政府を必要としないで、発行・配分・回収をすべて自動化することである。

 簡単にいえば、分かち合い電算機を作ることだ。

 現代バカ族のように、収穫したものはすべて平等に分ける機械である。その手順は・・

1,e中銀券の発行(回収)と平等配分

 参加者(国民)の銀行残高の数パーセントが「分かち合い口座」に1ヶ月間振り込まれ、その回収総額が発行金額となり、参加者(国民)の人数分で割った金額を参加者(国民)全員の口座に毎月振り込まれる。

 いわば、最低生活保障であるベーシックインカムがe中銀券の配分になり、貯蓄税回収額がe中銀券の発行金額と同額になる。

2,e中銀券は単に貯蓄税の国民分配機

 このようにすると、わざわざe中銀券を発行しなくても、また日銀や政府が制度化しなくても、参加者が使っている銀行に依頼すれば実現可能になる。分かち合い口座はどの銀行でもいいわけだ。

 そのため、「貯蓄税」は「分かち合い率」と言った方が語弊がないだろう。

3,分かち合い率は納税の自由の原則に

 自分の銀行残高の何%を分かち合い率にするかは、自分で決めることが、自由納税であろう。また、ベーシックインカムを望むか、望まないかも、自由であることも大事なことである。

 この分かち合いバンクに参加するかしないか、また退会も自由であることが必要であろう。

4,分かち合いは国外でも可能である

 自分の銀行口座の数パーセントを海外の人々と分かち合いも可能だ。それができるのはVISAやJCBのように現地通貨に変換可能なクレジット会社である。そこで、海外の分かち合いを呼びかければ、即実現できるだろう。

 

 

 

不労と金貸しは自由、労働と金借りは奴隷

月曜日, 2月 27th, 2012

 NHKスペシャルの「なぜ人間になれたか第4集」が昨夜放送された。(その動画は中国動画サイトyoukuの検索「NHKスペシャルヒューマン」で見られる。2・3集は見られ、数日たてば4集も見られる)

 一番印象に残ったのは、メソポタミア文明の発祥地・世界最古の都市であるテル・ブラク(シリア北東部・ハッサケ地方) 麦のお金が使われ、経済格差がおきると、そこで4百人の惨殺された死体が残飯と一緒に捨てられていたという事実だった。大量殺人が行われる原因がお金にあったことがうかがえる。

 さらに印象に残ったのは、アフリカ中部のカメルーン、そこの狩猟採種生活するバカ族に最近貨幣が使われ出して、どう社会が変貌していくかが、実際に解ることである。

 バカ族の奥地のジャングルではお金は必要なく、そこでは収穫したものは「なんでも平等」に分配するというルールがあり、それが当然であるため、分配された者が「ありがとう」の心はない。

 しかし、国道沿いのバカ族にお金が流入し、狩猟採種したものの一部を都市からきた商人にお金に換えてもらい、そのお金で、塩や石鹸を買う。さらにもっとお金を欲しくなり、高く売れるカカオ農園を作りだし、個人主義が当然になっていき、現代社会のように発展と格差社会を作りだしていくことが解る。

 バカ族の子供の言葉はとても印象的であった。

「昔は分かち合うために働いていたと、お母さんは言うけれど、僕はやはりお金が欲しいです

 こうしたお金社会において、自由とは何か? 

 ギリシャのアテナイで銀行家の奴隷であった人が、金をたくさん稼ぎだし、平民の資格を得たことも自由であった。

 もっと昔、紀元前2400年メソポタミアの都市から出土した文献にこう記されていた。

 「都市ラガシュに自由をもたらした。母を子に、子を母に戻し負債を帳消しにした」

 という、借金帳消し制度「アマギ」があったことである。

 都市の支配者に税金として麦を納めるのだが、その麦が納められなかった場合は、借金をする。その借金がたまって、支払えなくなると、家族は引き裂かれ、子は奴隷として支配者に売られていった。

 しかし、引き裂かれた庶民はまずます労働意欲がなくなり、税金も払えなくなってきた。そのため、年に1度、借金帳消しすることで、バランスをとって、社会を持続させていた。

 この借金帳消しが自由であったことを知ることができる。逆に借金のために働くことは束縛・隷属であり、借金のために働く人のことを奴隷であるともいえる。

 つまり、金は個人主義と経済発展と格差を生み出し、金貸しである自由人と金借りである奴隷人とを作りだしたことになる。それは古代だけでなく、現代でも同じである。

 この4集の最後は、「発展と格差 そのバランスをとることができるのか?」というテーマのもと、ラトカーズ大学でのマネー配分の実験結果で締めくくっている。

 見知らぬ人同士二人に、くじ引きで、金持ちと貧乏人になってもらい、金持ちには80$、貧乏人には30$をあげ、実験開始する。追加の50$を金持ちにあげる場合と、貧乏人にあげる場合において、金持ちの脳にある快楽中枢 腹側線条体(金儲けすればするほど快楽度が増す)の変化を調べるのである。

 80$持っていた金持ちがさらに50$もらうと、腹側線条体は快楽度を増した。しかし、30$持っていた貧乏人に50$が渡され、自分と同じ80$になった場合、金儲け快楽予測とは逆のさらに5倍の快楽度が増したのである。

 この実験結果から、分かち合いが人類を進化させ、それが最も望むことであるDNAがあることがわかった。

 そして、遠い外国の人、ずっと未来の子供たちと、はたして「分かち合い」することができるだろうか? そこに人類の未来がたくされているというテレップが流れた。

 

税金を払いたくない理由がある

土曜日, 2月 25th, 2012

 e中銀券が社会に受け入れない最大の理由は「税金を払いたくない」ことであろう。

 私も今の政治家を見ていると、彼らを雇う税金は払いたくない。自分が社会に望む(脱原発して再生可能なエネルギーに転換する)こととは反対の政策を推し進めるからである。

 もし、e中銀券が実現してしまうと、莫大な税金が自動的に集まることができてしまい、政治家や役人が私腹を肥やすことがいくらでもできてしまう。まさに、社会共産主義の失敗のような北朝鮮みたいになってしまう。

 そのため、今の政治にこのe中銀券を実現させては困る。e中銀券の実現には「納税の自由」が必須条件になる。つまり、あなたが望む社会に対して税金を払うこと、進んで税金を払いたくなることがどうしても必要な前提条件である。

 e中銀券はまったく税務署のような役人を必要としない電算システムであるから、議員もまったく必要としないコンピュータシステムに置き換えることが可能である。議員定数削減どころか、国会業務そのものも自動化することが可能である。

 株式の売買を昔は手作業でやっていたが、今では家庭のパソコンで簡単にできるように、国会における評決を議員によるのではなく、家庭のパソコンやテレビのdボタンで、国民の多数決が可能な時代だからである。

 つまり、税金の使い道を支払う国民が自由に決められることがe中銀券の発行とセットになる。私が自分のお金の一部をどんな公的事業に使うかを選べることが最低条件になるのだ。

 

e日銀券の実現に向けて

金曜日, 2月 24th, 2012

 復興カードの実現を期待されているが、それをどうやれば実現できるのかが、さっぱり解らないままである。ただ言えることは今までのように、議員にお願いしたり、デモをしたりしても、ほとんど効果がないと思えることだ。

 理論的にも、技術的にも、問題なく実現できるはずであるが、その発想を社会が受け入れるかが問題であるようだ。

 しかし、自分一人だけで、e日銀券を発行し、それを使い、回収することも可能であるので、社会全体が受け入れなくても、自分一人楽しみながら、e日銀券生活をすることができる。

 これはスポーツと同じで、社会的評価である勝つという結果を目的にすると、まさに戦いであり、勝つまで苦労することになり、負けるとストレスがたまることになる。

 しかし、相手がいなくても、自分一人でスポーツはできるものであり、あえて、相手が必要であれば、明日の自分自身を相手にすることができる。そうなれば、マイペースで実現に向けて、楽しみながらすることができる。

 自分一人だけでの、e日銀券の実現は公私の循環生活をすればいいだけである。それは私的生活を事業とすれば、公的生活をボランティア活動にすればいいだけである。

 独りでe中銀券生活をする方法

1.自分が持っているお金、これから入ってくるお金のすべてをe中銀券として想定する。
2.その減価率(貯蓄税率)を決定する。
  私の場合、残された平均寿命に余裕をつけて、20年で、お金を使い切る計算にすると、貯蓄税は年1/20=0,05=5%になる。今の消費税額と同じである。平均1000万円の残高があった場合、年50万円の貯蓄税がかかる計算になり、一月41700円の税額になる。

3.貯蓄税の分を公的な社会事業に使う。一番簡単な方法は助けたいところに寄付をすればいい。私の場合は公的な事業に使うことにする。e中銀券の発行は公的事業を援護する力になるので、その発行運動は充分公的事業にあたるので、それに使うことにする。

 これで、e中銀券の発行は公的事業になる。その回収は中銀券でする。私の場合は、不動産の収益の一部がそこに当てられることになる。

 つまり、e中銀券の実践は簡単にいえば、自分のお金の一部を必ず社会のために使うという習慣を身につけることである。

 それは健康のために、腹八分で満足するようなもので、腹八分は自分の胃袋に、腹二分は他人の胃袋に入れる食習慣をつけるようにするようなものである。

     

食わざる者は働くべからず

木曜日, 2月 23rd, 2012

 労働を義務化した考え方に、「働かざる者は食うべからず」がある。

 日本国憲法では国民の三大義務として、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)がある。

「教育の権利と義務」

1,すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2,すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 
「勤労の権利と義務」

1,すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2,賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、労働基準法でこれを定める。3.児童は、これを酷使してはならない。

「納税の義務」

 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。

義務とは権利に対応するものであるが、納税だけに義務があって、権利がないのは変である。これは税がお金であり、そのお金そのものに矛盾が含んでいることからおきる論理的矛盾である。

 納税の権利をいうと、それは寄付する権利になるが、寄付する権利に対応する寄付する義務はないので、やはり論理的矛盾をおこすことになる。

 これらの三大義務全体がよく考えるとおかしな矛盾が多いことに気づく。ちなみに、それ以前の大日本帝国憲法では、臣民の三大義務として、兵役の義務・納税の義務・教育の義務があった。兵役の義務が勤労の義務に置き換えられたことになる。役人のやることはしばしば言葉の言い換えがあるが、本質的には変わりないことが多いが、この兵役の義務と労働の義務もまた同じ本質があるように思える。

 「兵にならざる者は非国民とみなす」=「働かざる者は食うべからず」

それに企業や公務体質が、軍隊体質とそっくりなのも、ここからうなづける。

 こうした権利と義務は、自由と責任と言い換えることができ、論理的矛盾をとくカギとなる。

 勤労の権利と義務を、勤労の自由と責任に言い換えると、「働かざる者は食うべからず」ではなく、「働きたい者は食べる責務を負う」になり、「食わざる者は働くべからず」になる。

 自由主義社会を基本にするならば、国民の三大義務を法定化するのではなく、国民の三大自由を法定化すべきである。

 すなわち、教育の自由と責任、勤労の自由と責任、納税の自由と責任である。例えば、納税して議員を雇ったら、その議員が国民のために働かせる責任をもたなければならないということになる。

 そして、勤労の自由においては、「食わざる者は働くべからず」であるから、国民が自由に働ける環境をまず与えることが政府の義務になり、国民すべての最低生活保障であるベーシックインカムをすることが必須条件になる。

 かように、「権利と義務」という意識から、「自由と責任」という意識改革をすることから、新しい日本自由国平和憲法を制定しなおそうではないか。

矛を治めるは笑いなり

火曜日, 2月 21st, 2012

 イラクで、アメリカ兵がその村の宗教指導者に会いにいった。しかし、そこの住民はアメリカ兵がつかまえにやってきたと勘違いして、「帰れ!」と住民は怒った。
 そこで、指揮官が「grin (歯を見せて笑え)!」と命令した。すると奇跡が起きた。住民はアメリカ兵に敵意がないことを知って、smile(微笑)したのだ。
  
 参考:NHKスペシャル ヒューマン第一集 でこの場面を放送されている。

 人類の歴史において、隣国や隣部族同士は常に争いがあり、軍事的衝突がある。これは移動する狩猟生活から、定住する農耕生活に変わったときから、自分のなわばりを死守する集団行動である。

 日本は海に囲まれていても、隣国とのいさかいは治まることは難しい。中国、ロシア、韓国との島の領有権で争いがある。

 こうした問題を治めるためには、お互いの二国間だけでは治まりができない。第三者が必要であり、その第三者が、お互いの関係諸国全体でないと治まりが付かない。

 二国間での争いを二国間で治めようとすると、最終的に生死をかける武力闘争の勝敗で決着をつけるしか道がなくなる。

 これが、各国の防衛軍事力の必要性なのである。今問題となっている普天間米軍基地や核の問題も武力防衛が基本になっていて、部族民のヤリと大して替わりがない。

 あなたの家庭と隣の家庭の争いを治めるときに、ピストルは必要かどうかの問題と同じである。その場合、武力を持つ警察や軍隊で解決できるだろうか? それはできないだろう。できるのは、両者が加盟する国の法律である。

  国際間の紛争を解決できるのは武力ではなく、国際法である。しかし、今の国際法が単なる和平案でしかなく、実行力がない場合は国際紛争解決はできない。

 現在、多くの問題解決で最も有効なのは金である。

 「ペンは剣よりも強し」
 これをさらに発展させると、
 「金はペンよりも強し」
 「笑いは金よりも強し」 

 武力制裁ができない商いの世界では銀行取引ができない「ブラックリスト」を作ってそのかわりにしている。

 例えば、北東四島の領有権について、日本が国際法に訴えるとする。その結果、日本の領有権が認められたとする。その実行は武力では解決できない。国際法に加盟する国連諸国は国際法に違反するロシアをブラックリストに載せ、ロシアとの貿易などの一切の金銭取引を停止する処置をすると、解決ができることになる。

 人類ホモサピエンスが地球上で生存発展できたのは協力と分かち合いのDNAであるならば、武力で治めようとしたネアンデルタール人の絶滅種に見習うべきであろう。

 世界の防衛問題は武力ではなく、国際法による協力で金と笑いで解決できるものである。

 

人間らしさ、それは分かち合いだった

月曜日, 2月 20th, 2012

  NHKスペシャルのヒューマン なぜ人間になれたか の第1集では、人は見知らぬ人との協力することができることで、地球に多く繁栄できたという。

 これをなんと私の自他の瓦理論の5:5のような、絆実験があったことを知ってびっくりした。

 最近、自分で考えていることが、他の人も同じように考えていると発見することが多い。実際は逆なのかもしれない。他の人の多くがそう考えるから、私もそう考えるようになったともいえるからだ。

 ともかく、絆実験は世界15カ国で同時に行われた。伝統的な社会、農村、漁村、都市で、次のようなシンプルな実験をした。

通行人には見えないように車の中に10ドル札10枚を運転席に置いておく。同時に運転席と助手席に見知らぬ人同士を座らせるというものだ。

 すると、15カ所とも同じような平均的結果が出た。

アメリカでは自分が53%もらい、他人に47%あげた。
日本では自分が56%もらい、他人に44%あげた。

 これが分かち合いの精神が人間本来に備わっていることが、証明されたといっていいだろう。

 この集では、人間が笑顔で他の人間と分かち合うことで、人類は地球全体に広がり、生き延びてきたという結論を見いだしていく。

 第4集はまだ放送されていないが、なんと、お金について放送するそうだ。そうなると、その放送内容は想像がつく。分かち合わないお金は経済格差を生み、それが衰退する結果になるというものだろう。逆にいえば、分かち合う貨幣(e中銀券)を生み出すことで、人類はさらに豊かになるというのが私の主張なのだが、それは放送されっこないなあ。

結果がすべてなら、すべて無意味である

火曜日, 2月 14th, 2012

 あの世は地球
 この世は個人の意識

 であると公私の関係から発展させた。それをさらに展開してみたい。

 スポーツや経営において、「結果がすべて」という考え方がある。勝つか負けるか、契約をするか、しないか で、大きく人生の姿が違ってくる。

 しかし、人生においての結果はすべて「死」である。70億人の人生の結果はみな共通の死である。もし「結果がすべて」ならば人生のすべては死になり、すべて無意味になる。

 そのため、人生の意義とは結果ではなく、その過程にあるといえる。生きた成果ではなく、「どう生きたか?」である・

 人は生まれながらにして、けして平等ではなく、不平等である。病気や障害で生まれたり、その環境はみな違っている。しかし、人は死ぬときはどんな人であれ平等である。死ぬとは個人の意識がなくなることだから、個人個人の差もなくなるからである。

 しかも、死ぬとあの世である地球になる。土と水と空気などになって、地球を構成する元素になるが、それらの元素の違いはないので、地球の一部というより、地球自体になるといってもいいだろう。

 「死なばみな仏」とはそういう意味で、「死なばみな地球」といえることになる。

 そして、自己の意義とは人生の結果や時間ではなく、生きていたときに、何をし、どんな挑戦をし、どんなふうに生きたかであるといえるだろう。

 また、死ねば、どんな人間であれ、どんな生物であれ、みな同じ地球と一つになることは確かだ。そこに個人意識(「自分・他人・生物の差などの意識)もなくなった地球の活動だけが存在することになる。そこから、また新しい生物や人が生まれてくることになる。

 まったくの自分ではないが、また似たような自分が生まれてくるのだろう。その似たような自分もまた、「どう生きたか?」がもっとも価値あることになるのだろう。

 

地球と個人

月曜日, 2月 13th, 2012

 公私は正確には地球と個人になる。その関係はコインの表が自分だとすると、裏は地球(自然)ってことだ。 e中銀券は各国が発行し、その所有権を公(国)と私(個人)交互にもつことになる。これは生命の循環と同じで、あの世とこの世を行き来するようなものである。

 あの世とは実際は地球のことであり、この世とは生きている自分個人のことである。命のあるかないかは、意識があるかないかで判断することが多い。それは個人が肉体ではなく、個人意識であるということである。そして、意識(心)のない肉体は地球の範疇に入るということである。

 意識は心の中心にあるものであるが、意識だけの存在も、肉体だけの存在もあり得ないものであるから、問題なのは意識のない肉体(植物人間)と、肉体のない意識(幽霊)の存在である。この両者ははたして生きているか死んでいるかとはっきりと分けることはできないが、永遠に生死の境に存在し続けることはない。その存続期間はまわりの人間の介護によっても、変わってくるが、幽霊は、昔から言われるのは初七日、長くても、49日であろう。植物人間は医療技術と経済問題と家族の介護の判断によるが、1月から1年の寿命があるようだ。

 とはいえ、植物人間も幽霊も、1年間は見守ることが、礼節にも、また地球と個人の旅立ち期間があるように思える。それ以上こだわりすぎると、残された人のトラウマになって、正常な生存に支障をきたすように思える。

 さて、e中銀券の公私の循環を公である地球と私の個人の間で、発行と回収をした場合はこうなる。

 例えば、お米を生産する場合、

 地球は大地である田畑であり、個人は農民である。お金の発行金額は米の生産量であり、貯蓄税は再生産するための種籾量である。個人の消費量は「米の生産量ー種籾量」になる。

 現在の中銀券の場合は、

 お金の発行金額は未来を占ったお米の生産量であり、 消費税は実際に生産したお米の一部の種籾量にあたる。個人の消費量は「未来の米の生産予測量ー種籾量」になる。

 e中銀券も中銀券も未来の予測はするが、その違いは、e中銀券の場合は来年に必要な米のための種籾を予測することに対して、中銀券の場合は、来年、またその先の未来の米だけでなく、米を飼料、燃料、道具、特にゲームコインのための生産のための種籾量を予測する。

 そのため、e中銀券は必要なだけの生産を行うが、中銀券の場合は出来るだけ多くの生産をしようとする。

 しかし、今や、中銀券は人間の欲望の限界に達し、自然に、e中銀券を発行せざるをえなくなるだろうと思われる。そうしないと、地球と個人は行き来できなくなるからだ。

 奢れる者は久しからず

 どんなに人間が地球に対して、その欲望を満たそうとしても限界がくる。 食べ過ぎれば病気になり、最後は死に至る。電気をいくらでも造ろうとして、放射能廃棄物を生産し続ければ、その放射能廃棄物で、人類は絶滅するだろう。

 恐竜が突然絶滅したように、人類もその飽くなき欲望で絶滅する危険がせまっている。それを強力にうながすのが中銀券である。金で金を造るゲームに夢中になって、本来の米作りを忘れてしまう亡国政策TPP、各国の協力を忘れて、通貨売買する妄信金儲け為替政策、どれをとっても、人類種絶滅への歯止めはきかなくなっている。

 その歯止めこそ、e中銀券の発行である。必要は発明の母である。欲望は破壊の父である。人類が欲望を制する智恵をもてるかどうかが今の正念場であろう。