Archive for 6月, 2017

徳島大学生へのゲストレポート

水曜日, 6月 28th, 2017

今日は雨で古代小麦刈りができず、時間が余った。

学生の質問に答える時間と用意がなかったことが心残りだったので、

それを報告することにした。


徳島大 ボランティアの授業の学生の質問へのゲストレポート

2017.6.26 ありがたや 権兵衛


1.複利の落語(曽呂利新左エ門へのご褒美)

豊臣秀吉が曽呂利新左衛門の功績に報いるため、何でも欲しいものをあげようと言った時、新左衛門は「1日目は米1粒、2日目は2粒、3日目は4粒、次の日は8粒・・と前の日の2倍の米粒を次の日にというようにして51日間だけください」
と言った。秀吉はせいぜい米俵一俵か二俵くらいだと思い、にこにこしながら「欲がないやつだ」と承知した。

ところがあとで勘定方の家来に計算させたところ、

1週目は64粒 2週目は4096粒、3週目は524288粒、4週目67108864粒.,
5週目には8589934592t粒、51日目にはなんと

1,125兆8999億0684万2620粒になり、
重さ(10キロ5万粒)にして、1兆1258億9990万6842トンなることがわかりました。

これは、これまで人間が作った米全てを集めてもまだ足りないくらいの量です。
(平成22年度の日本の米の総生産量は、8,483,000トン)

秀吉は青くなり、新左衛門に謝ってほうびを別のものに替えてもらったそうです

→参考URL


2.現金と借金の違い

4人で麻雀するときに、最初に均等に15000点ずつ配り、ゲーム終了後にその全点棒60000点を回収する
それが日銀が発行する現金である。ゲームは半荘(一回転)ごとの回数を繰り返し続け、その日の勝敗表のプラスマイナスの表を作る。
この勝敗の点数表が借金・債券に当たる。

 

 


3.日銀キッズ

日銀で、中央銀行とお金って何?を解りやすく説明してある


4.マイナス金利

この動画が一番解りやすい
なお、
計算式は

 

である、
曽呂利新左エ門の米粒でいけば1日目以降0粒であり、
マイナス金利という意味は消え、御米をあげるという授受の関係になる。

 

燃え尽きた徳島大授業二日間と学生レポート

火曜日, 6月 27th, 2017

水曜学舎 (徳島大)
 6月21日(水)16:20~17:50(90分)

内容:

1.自信を持って生きること。それがこの世を生き抜く最高の力になるということ。
(老いるものから若者への命のバトンである)・・・10分    16:30まで
2.笑点と折り紙風船作り・・・30分  17:00まで
3.問題解決学
A ダンゴ虫の弁証法  10分 17:10
B メダカの群れ社会学 10分  17:20
C 依存症からの脱却 10分 17:30
禁煙 禁パチ ダイエット
D 目的と手段 10分 17:40
E 健康と自然 10分 17:50
時間が余れば ゴミこん炉 (科学が社会に負けた一例)

学生レポート:

水曜学舎 学生の授業レポート


ボランティア授業から学ぶグルーバル社会と地域社会

6月22日(木)12:50~14:20 (徳島大) 90分

内容:

1.お金とは何か?
A お金はけして借り貸しができない!・・・結論 10分 13:00
お金にもバランスが必要で、現在の貸し借りできる金銭がアクセルとすれば、
貸し借りができない真貨幣がブレーキとして発行されれば、うまく経済生活を安全運転できる。
B ロビンクルーソ・漫画 10分 13:10
C プラスの金利とマイナス金利 10分 13:20
D 貸し借りできない新貨幣ドウカ 10分 13;30
H どうしてまたお金の貸し借りができると幻想してしまったか?  10分 13:40
2. 1 for all, all for 1
A ナンバーワンとオンリーワン 10分 13:50
B 張力統合体 を作る 20分 14:10
3.働くって何だ? 10分 14:20
お金のために働く時代は過ぎ去り、ボランティアのために働く時代へと世界は切り替わる
時間が余れば 瓦理論 公私 5:5 重なり瓦模型の提示

学生レポート:

ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会 学生授業レポート


ゲスト レポートをしたいが

なんせ、今一年で一番忙しい梅雨時の麦刈りと脱穀と、稲の種巻きと雑草除け天然マルチと雨水だけ栽培の実験が待ち構えている。稲種が生きるか死ぬかの梅雨時の雨水しだいなのである。

だが、なんせうれしい学生レポートなので、

ただ、水曜学舎とボランティア授業の学生が同じでなかったことはまったく想定していなくて、

私は内容を二日に分けて話したので、反応がまるで反対になったが、それもまた、相手が誰であるか、また相手が何を望んでいるかで、まったく反応が違うことも実感できたが、それもまた私には大きな収穫であり、逆に学ばさせていただいた。

私の「年寄りの 命のバトン 若者へ」はしっかりとその炎は伝わったと確信した。

畑仕事実験がすんだら、ゲストの私からのレポートも提出できたらと思う。

私にとって、

徳島の健康と自然の会は、毎回、その予習と復習が一か月間以上かかってするのが、一番幸福な日々である。

私にとって唯一の社会との交流であるからだ。

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然

徳島大の話予定表ができた

水曜日, 6月 21st, 2017

水曜学舎 (徳島大)
 6月21日(水)16:20~17:50(90分)

1.自信を持って生きること。それがこの世を生き抜く最高の力になるということ。

(老いるものから若者への命のバトンである)・・・10分    16:30まで

2.笑点と折り紙風船作り・・・30分  17:00まで

3.問題解決学

A ダンゴ虫の弁証法  10分 17:10

B メダカの群れ社会学 10分  17:20

C 依存症からの脱却 10分 17:30
禁煙 禁パチ ダイエット

D 目的と手段 10分 17:40

E 健康と自然 10分 17:50

時間が余れば ゴミこん炉 (科学が社会に負けた一例)

 

ボランティア授業

6月22日(木)12:50~14:20 (徳島大) 90分

1.お金とは何か?

A お金はけして借り貸しができない!・・・結論 10分 13:00
お金にもバランスが必要で、現在の貸し借りできる金銭がアクセルとすれば、
貸し借りができない真貨幣がブレーキとして発行されれば、うまく経済生活を安全運転できる。

B ロビンクルーソ・漫画 10分 13:10

C プラスの金利とマイナス金利 10分 13:20

D 貸し借りできない新貨幣ドウカ 10分 13;30

H どうしてまたお金の貸し借りができると幻想してしまったか?  10分 13:40

 

2. 1 for all, all for 1

A ナンバーワンとオンリーワン 10分 13:50

B 張力統合体 を作る 20分 14:10

 

3.働くって何だ? 10分 14:20
お金のために働く時代は過ぎ去り、ボランティアのために働く時代へと世界は切り替わる

 

時間が余れば 瓦理論 公私 5:5 重なり瓦模型の提示

 

第三者機関とは中央銀行にあたる。ブロックチェーンではその中央銀行を必要としない

 

明日水曜学舎で、明後日はボランティア授業

火曜日, 6月 20th, 2017

徳島大学常三島キャンパスに

明日 水曜学舎 明後日 ボランティア授業に呼ばれた。

そこで、何を話して欲しいとか、どんな集まりなのか。どんな人が来るのか、どんな形式で行われるのか

まったく教えてもらえず、とうとう、前日になってしまった。

そもそも水曜学舎とは何を目指しているのか? ネットで調べてみた。

新しい学びのコミュニティ「水曜学舎」

~ ボランタリースクール ~ 平成22年度

1.はじめに
平成20年度文部科学省採択の徳島大学全学共通教育センターの取組「地域社会人を活用した教養教育」は、このような授業スタイルとは異なり、学生、地域社会人、教員が同じテーブルについて、意見交換をしながら自らの意見をまとめる過程において、他の学習者からお互いに学び合うというスタイルを基本としている。
社会人と学生が教員と共に一つのテーブルを囲みながら、議論を重ねながら、学生のコミュニケーション力の育
成を目指してきた。このように地域社会人が果たす役割がこの取組の中で大きな意味を持っているために、社会人同士でこの取組の意義を確認する場を設けることが極めて重要になってくる。
どのような場を設定することが、この問題解決のために有効であるかについて、幾つかの試みがなされてきた。 
2.地域社会人の自主学習会
授業に参加する地域社会人が、学生や教員と授業に先立って打ち合わせ会をもつことが出来れば、授業の展開がスムーズになることが期待される。しかしながら、学生の自主学習会への参加を求めることは困難な面がある。教員や地域社会人も授業とは別の時間帯に集まることも時間的に難しい。
そのために、次善の策としてより実現しやすい取組を進めることにした。
一つは、授業後に反省会を含めたコーヒータイムを、地域社会人と学生で持つことであった。授業の後で、場所を移動して受講生の学生と社会人が、一緒になって授業の振り返りと次週までの学習課題を話し合うことを目指した。
しかしながら、実際には社会人の側からこれまでの様々な社会生活の中での体験が語られる場面が多く、学生はひ
たすら社会人の話を聞く役目を担っていた。社会人にとって、次世代を担う学生に聞かせたい自身の体験談を数多く持ち合わせており、この時間は社会人にとっては貴重な時間になったと思われる。
学生の側も、地域社会人の人生を聞くことにより、見聞を広めるという意義があった。また、このような場を通じて地域社会人との連携が深まったことから、授業の場においても円滑な会話が進むという効果があった。
このように、この試みは当初の目的とは少し異なった方向に進んでいったが、学生と社会人が授業では話が出来ないような話題を共有する場として一定の機能を果たした。
また、この取組に参加している地域社会人の自宅を学生と訪問して体験型学習をする機会を設ける試みや、地域社会人との合宿を行いながら、体験学習をすることなどが試行された。
地域社会人との意思疎通を円滑にするという目的は、ある程度は達成された。このような試みは、一定の成果をあげたが、参加する地域社会人と学生が限定されるために、この取組全体に参加している社会人を対象としたものとは言い難いという面があった。
このような背景の元に、地域社会人が主体的に企画運営する水曜学舎という自主勉強会の構想が出来た。これに学生の参加を求めて、徳島大学ボランタリースクールとして、地域社会人と学生が授業時間外の自主勉強会が定期的に開かれることになった。
勉強会のテーマは、毎回発表者の興味のあるテーマを取り上げる方式と、時事的な国際問題と社会問題を取り上げる方式を行っている。
参加者は、地域社会人が7-10名程度、学生が数名である。
この学習会においては、地域社会人がリードする形で積極的な議論の輪が形成され、お互いの視点の違いが明確になることにより、学びを深めることに役立っている。
この学習会では、知識を借りてきて紹介するだけでなく、そのテーマの社会学的な背景や様々な方面の関連事項との関連など幅広い視点で議論が展開している。
この学習会は、単なる自主的な勉強会が開催されたという意義だけでなく、このような機会によりこの取組に参加
している地域社会人同士の大学教育の場での関わり方などに関する意思疎通が図られるという効果があり、正課の授業時間における社会人同士の関係の持ち方により良い効果が現れていると思われる。
3.今後の展望
社会人が参画する全学共通教育の共創型学習や教養科目の正課の授業における学生のアンケート調査でも、授業に参加する地域社会人が大きな貢献をしているという声が多く、このような地域社会人と学生の自主勉強会に参加する学生が、授業時間の議論においてその成果を生かして他の学生をリードするようになれば、授業の充実が図られ
ることが期待される。
また今後の発展としては、他地域の生涯学習者との交流から生涯学習者のネットワークを構築して、複数の地域で共通に抱える課題について議論をする場をつくり、その成果を正課の授業で活用することが考えられる。
このようにして今回の取組が、社会に開かれた大学教育を実現していくための教育改革に、繋がっていくことが期待される。

つまり、授業ではなく、社会人。教員、学生の自主学習会ということで、その学習のリード役がその日呼ばれた社会人、今回の私である。

となれば、私が好き勝手にリードして、議論を盛り立ててかまわないということだ。

となれば、やはり、笑点方式がおもろいし、学生だけでなく、社会人、教員にも応用ができ、その違いがでて面白くなるかもしれない

だが、なんせ、この情報は7年前で古すぎる。それを更新しないのが嫌に気になる。

 

ボランティアの授業

この意味がどうも解らない。ボランティアをするまた興味ある学生のためなのか、それを大橋教授に聞いてみたが、なんともはっきりしない。

何を話せばいいのか? なんでも! と、返事が返ってみたので、

「地域通貨については?」「学生には難しくて解らないと思いますよ!」

そこで、またネットで調べた。

まず、学生のボランティアの情報を見つけた。

徳島大学の学生ボランティア

まあ、清掃や学習や特に特に話題の東日本大震災と普通にあった。

創造力をカタチにする知的財産事業化演習はおもしろいが、なんせ、この情報も4年前なので古く、現在も続いているとはとても思えない。高度すぎるからだ。

どうやら、学生ボランティアの活動とは縁はなさそうである。

ボランティアというのは、社会人ボランティアのことで、無償で大学の授業をするということのようである。

地域社会人ボランティアを活用した教養教育~知の循環型社会の構築を目指して

–学生-社会人-教員 三者の学び合い 与え、与えられる人からの学び

 

図6 - コピー.png

で、今までどんなことをしたのかと調べてみると、

現在は、留学生との国際交流がメインという感じであるが、なんせ情報が7年前で古すぎ、更新されていないが。。

どうやら、他に、遊び、読書会、他大学を交えての障害学習、宇宙観測、グローバル社会の環境問題と異文化交流。スペシャリスト、環境問題からくる科学、地域ボランティア活動、ものづくり、埋もれた文化遺産

水曜学舎もこの一環の中に入るようである。

特に、気になったのは環境問題からくる科学である。

これは、ゴミこん炉を作って実験した内容を大橋教授に話したら、とても気に入ってもらえ、さらに、実践までしてくれたので、その話しをしてもらいたくて、私を呼んだのかもしれない。

プラゴミを燃やすことは法律で禁止されているので、それを推奨することは、大橋教授にはできないが、私なら、そんな教育者のしがらみがないから、話せることになり、問題がないだろう。

そこから、発展して、現在のボランティアの在り方がどう変わってくるかを話すことができる。

また、遊びのコーナーで、

私が用意した、張力統合体を作ることから、

人の健康、社会の絆、科学と社会(古代麦とゴミこん炉)へと、発展して、

ボランティアとお金にまで話せたら、あっという間に授業は終わってしまうだろう

 

半世紀ぶりに尺八を吹き出した

土曜日, 6月 10th, 2017

コンドルは飛んで行く

おいらも跳んでいく

♫♫♫ ♫♫ ♫♫

どうも、尺八だけの曲は暗く悲しいものが多い。

民謡・演歌でも、なぜか日本人は哀しい感じがぐっとくるようだ。

高校生のころ、近所に、琴古流尺八の大家、兼安洞童先生がおられたので、

一年習い、病気で数年あけ、また一年習ったが、

どうにも自分に音楽の才能がないという壁に突き当たり、

もちろん、子供の時から音痴であることは十分解ってはいたが、

あの尺八のワビサビのかすれた音が好きで、その門に飛び込んだが、

所詮、尺八は音楽そして芸術である。

悩みに悩んだすえ、

洞童先生に聞いた。

「先生、音楽は才能でしょうか?」

「そりやあ、そうだよ・・」

と何気なく答えてくれたが、私には愕然としてしまった。

どんなに努力しても、尺八は上手くならないし、納得いくような作曲もできないもの、

それは天性の才能であり、どんなに好きであっても、どうにもならないものだと。

 

当時、私はいろいろと物事を深く考えることが好きであり、それは尺八よりも好きだった。

そこで、自分の才能は「考える」ことであって、「音楽」ではないと、決断し、尺八をそれ以降やめてしまった。

当時8万円もした尺八は押し入れの隅っこに隠れて、ふと懐かしく手に取ってみたら、縦半分にぱっくり割れていた。そこで、ボンドをつけて、何本もの結束バンドでくっつけたが、音がどうにもならないので、また数十年間ほったらかしていた。

最近、深呼吸しならの瞑想をいろいろと試していたら、けっこう飽きるのだ。

どうせ、深呼吸するなら、尺八の音出しでもしてみようかと、あの割れて鳴らない尺八を吹いたら、

なんと、いくらか鳴ったのだ。

どうやら深呼吸で、腹式と胸式をゆっくり吐き出す訓練をしていたからかもしれない。

腹式だと低い音がでて、胸式だと高い音がでた。まるで、肺全体が尺八の胴みたいにみえた。

また、

好きな考え事も、一段落してきたので、昔の楽譜を引っ張り出して、好きな曲を吹き出した。

でも、やっぱり、暗い、今の時代感覚に合わない曲想だ。

一番心に響くのは宮城道夫の曲だが、それは琴曲で、尺八の音を活かした曲ではない。

尺八の音を活かす曲は虚無僧が吹くような古い本曲である。

だが、暗い、虚無を表すような曲ばかりなので、どうにも納得暗譜なんかできない。

 

そこで、現代尺八が合うような曲はないものかと探していたら、

アンデスのケーナが音も楽器も尺八に近い、ケーナはどうやら、日本雅楽の笙と合わして吹いている。

コンドルは飛んでいくという曲は実に優雅である。高山に住んで、その風にのって飛翔するコンドルの姿が目に浮かぶ。

その楽譜を見つけたが、なんせ五線譜のドレミである。私はそれが読めない。尺八の楽譜ロツレチリしか読めないので、いちいち、翻訳して、自分で尺八楽譜を描いていくしかない。

音楽の才能があれば、みな耳できいて、それをそのまま尺八でふけるだろうが、

才能のない私はいちいち理論と努力で、楽譜をかき、それをまた吹き込むまで、相当の手間と情熱がいる。

 

だが、

老年になって、明日の予定なんかなにもない暇だけが死ぬまでいくらでもあるので、暇つぶしには絶好かもしれない。要は自分が納得いくまで楽しめればいいだけなので、才能なんか必要もないし、そんなものどうでもいいものだ。

 

才能は人のためにあるもので、努力は自分のためにある。

 

そこで、あの博山さんの「汚な美」を思い出した。文字だって、下手な文字の方が味があるものである。

音痴な自分をそのまま楽しめれば、それが一番幸せなことである

 

それがまた

自信を持つということではないだろうか。

♫ ♫ ♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫ ♫♫ ♫♫ ♫

コンドルは飛んでいき、

おいらも跳んでいく・・・

コンドルは優雅に、

おいらは自信をもって・・

コンドルはアンデスを

おいらは山梨を・・飛んでいく

♫ ♫ ♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫ ♫♫ ♫♫ ♫

60歳からの手習いと言うではないか。

私は66才からの手習いである。

つまり、定年になって時間と金が自由に使えるようになったからできることである。

ついでに、時間と金の他に、自由に使えるのが自信である。

若いときは、その若さ故、自信が持てないが、

老いどきは、その老いさ故、自信が過剰なほどではないが持てる。

それは長い経験と、恥ずかしさが消え

ほとんどの他人が自分より年下になるからだろう。

 

そこで、66才からの尺八の手習いの流儀を打ち立てることにした。

その名も、

 

尺八音痴流

である。

才能はないばかりか、音痴である馬鹿まで付く。

だが、努力だけは惜しむこともなく、とにかく楽しく使える。

なんせ、音痴馬鹿に、つける薬の「時間と金」はいくらでもあるからだ。

 

病院が匙を投げたら自宅や田舎で自然療法しよう

木曜日, 6月 1st, 2017

入院ストレスは深刻な状況に

入院ストレスが深刻であり、

病気を治す病院が、さらに病気を悪化させているという事実が解ってきた。

西洋医学において、「原因不明」の病気というのは、ほぼ「ストレス」が原因であるともいえそうだ。

ストレスは個人的な心や生活スタイルから生まれるもので、

それは目に見える病気ではないから、西洋医学では病気でも、病気の原因とは言えない。

そのため、入院生活におけるストレスの増加には気に留めない。

これからの病院の経営方針も、患者の「ストレス」をいかに無くすかを最優先する必要になってくるだろう。

 

ストレス緩和する「病院と自宅」のネットと訪問治療システムへ

 

東洋医学では「病は気から」といって、多くの病気の原因が「ストレス」であるという。

参照:西洋治療と東洋治療の違い

直接原因を治療する西洋医学だけでなく病気になる前の患者の生活スタイルや心の在り方まで治療する東洋医学との併用をしないと、根本治療は難しい。

患者のライフスタイル改良や心のケアは自宅でやる法が効果的であろう。

それで、「病院と自宅治療」をセットして、

ネットと訪問介護治療を合わせたシステムを構築していくことが望ましい。

 

私の母は自宅治療で天国へ

 

私の母は、大腸がんになり、新宿の東京医科大学病院に入院して、手術し退院したが、

数か月で肝臓に転移してしまい、手術もできないので再入院できないと断れ、近くの初台にある

私立で、古ぼけた玉井病院に入院させらえたが、医師も看護師も不足して、ただ死を待つ病院であり、その看護と治療をみて、あまりに母が苦しむのを、また、家族が24時間そこで寝泊まりできないので、すぐに自体介護へと切り替えた。

ベットとトイレは渋谷区役所で、無料で提供され、また訪問医師は中野から来てもらい、看護師は近くの幡ヶ谷から来てもらった。

そこで、やっと、私と鎌倉の妹と交代で、24時間ケアできるようになった。

たった一か月の自宅看護ではあったが、亡くなったときはたぶん先に逝った父からの愛の告白に乙女のように赤らめ、幸せのような顔をして去っていったのを、記憶している。

癌の痛みはモルヒネをいくら注入しても、消えないが、

息子や娘が、痛い肝臓を手をさすってあげると、不思議と痛みは和らぎ、

母は「ありがとよ、良くなったよ」と繰り返し、幸せそうな顔をした。

 

自然治癒を中心にした自宅・田舎治療がいい

 

こうした家族による手当はどこの病院でも、いつでもできない。

それは20年も昔であるが、訪問医師と訪問看護士で、十分自宅治療ができた。

死を待つ家のような病院として、ホスピスがあるが、家族も一緒に暮らせることはできないだろう。

また、西洋医療がさじを投げた癌であったならば、

そこから、自宅治療や病院が近い田舎の空き家・借り家で、

東洋医療(自然療法など)を中心にした「自分の病気は自分で、家族で治す」という意気ごみで、

楽しく遊びながら、余生を満喫するのがいい。

ひょっとしたら、ストレスを無くした自然治癒で治る確率が30%はあるとも言われるので、完全治癒することだってあるかもしれない。

あきらめた時が最後で、あきらめなけらばまたの始めりである。

自殺ではなく、天(自然)のお迎えがあるまで、共に楽しく生き抜きたいものである。