コンドルは飛んで行く
おいらも跳んでいく
♫♫♫ ♫♫ ♫♫
どうも、尺八だけの曲は暗く悲しいものが多い。
民謡・演歌でも、なぜか日本人は哀しい感じがぐっとくるようだ。
高校生のころ、近所に、琴古流尺八の大家、兼安洞童先生がおられたので、
一年習い、病気で数年あけ、また一年習ったが、
どうにも自分に音楽の才能がないという壁に突き当たり、
もちろん、子供の時から音痴であることは十分解ってはいたが、
あの尺八のワビサビのかすれた音が好きで、その門に飛び込んだが、
所詮、尺八は音楽そして芸術である。
悩みに悩んだすえ、
洞童先生に聞いた。
「先生、音楽は才能でしょうか?」
「そりやあ、そうだよ・・」
と何気なく答えてくれたが、私には愕然としてしまった。
どんなに努力しても、尺八は上手くならないし、納得いくような作曲もできないもの、
それは天性の才能であり、どんなに好きであっても、どうにもならないものだと。
当時、私はいろいろと物事を深く考えることが好きであり、それは尺八よりも好きだった。
そこで、自分の才能は「考える」ことであって、「音楽」ではないと、決断し、尺八をそれ以降やめてしまった。
当時8万円もした尺八は押し入れの隅っこに隠れて、ふと懐かしく手に取ってみたら、縦半分にぱっくり割れていた。そこで、ボンドをつけて、何本もの結束バンドでくっつけたが、音がどうにもならないので、また数十年間ほったらかしていた。
最近、深呼吸しならの瞑想をいろいろと試していたら、けっこう飽きるのだ。
どうせ、深呼吸するなら、尺八の音出しでもしてみようかと、あの割れて鳴らない尺八を吹いたら、
なんと、いくらか鳴ったのだ。
どうやら深呼吸で、腹式と胸式をゆっくり吐き出す訓練をしていたからかもしれない。
腹式だと低い音がでて、胸式だと高い音がでた。まるで、肺全体が尺八の胴みたいにみえた。
また、
好きな考え事も、一段落してきたので、昔の楽譜を引っ張り出して、好きな曲を吹き出した。
でも、やっぱり、暗い、今の時代感覚に合わない曲想だ。
一番心に響くのは宮城道夫の曲だが、それは琴曲で、尺八の音を活かした曲ではない。
尺八の音を活かす曲は虚無僧が吹くような古い本曲である。
だが、暗い、虚無を表すような曲ばかりなので、どうにも納得暗譜なんかできない。
そこで、現代尺八が合うような曲はないものかと探していたら、
アンデスのケーナが音も楽器も尺八に近い、ケーナはどうやら、日本雅楽の笙と合わして吹いている。
コンドルは飛んでいくという曲は実に優雅である。高山に住んで、その風にのって飛翔するコンドルの姿が目に浮かぶ。
その楽譜を見つけたが、なんせ五線譜のドレミである。私はそれが読めない。尺八の楽譜ロツレチリしか読めないので、いちいち、翻訳して、自分で尺八楽譜を描いていくしかない。
音楽の才能があれば、みな耳できいて、それをそのまま尺八でふけるだろうが、
才能のない私はいちいち理論と努力で、楽譜をかき、それをまた吹き込むまで、相当の手間と情熱がいる。
だが、
老年になって、明日の予定なんかなにもない暇だけが死ぬまでいくらでもあるので、暇つぶしには絶好かもしれない。要は自分が納得いくまで楽しめればいいだけなので、才能なんか必要もないし、そんなものどうでもいいものだ。
才能は人のためにあるもので、努力は自分のためにある。
そこで、あの博山さんの「汚な美」を思い出した。文字だって、下手な文字の方が味があるものである。
音痴な自分をそのまま楽しめれば、それが一番幸せなことである。
それがまた
自信を持つということではないだろうか。
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コンドルは飛んでいき、
おいらも跳んでいく・・・
コンドルは優雅に、
おいらは自信をもって・・
コンドルはアンデスを
おいらは山梨を・・飛んでいく
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60歳からの手習いと言うではないか。
私は66才からの手習いである。
つまり、定年になって時間と金が自由に使えるようになったからできることである。
ついでに、時間と金の他に、自由に使えるのが自信である。
若いときは、その若さ故、自信が持てないが、
老いどきは、その老いさ故、自信が過剰なほどではないが持てる。
それは長い経験と、恥ずかしさが消え
ほとんどの他人が自分より年下になるからだろう。
そこで、66才からの尺八の手習いの流儀を打ち立てることにした。
その名も、
尺八音痴流
である。
才能はないばかりか、音痴である馬鹿まで付く。
だが、努力だけは惜しむこともなく、とにかく楽しく使える。
なんせ、音痴馬鹿に、つける薬の「時間と金」はいくらでもあるからだ。