Archive for 3月, 2016

生まれかわる私への手紙

火曜日, 3月 29th, 2016

やっと子育てが終わった。

まるで、鮭のように生まれた川を遡って卵を産んで死んでいく親のようだ。

生死は時間からみれば、繰り返す波のよう

生死は空間からみてば、表裏が廻る点滅信号のよう

宇宙の星がきらきらと輝く姿が生死の点滅のきらめきのよう

あと、10年くらいで寿命がやってくる

死出の旅路を準備する年月になるが、

それを、この宇宙自然の摂理に合わせると

生まれかわる旅路の準備年月になってもくる。

そして、

肉体が消えても、すぐに新しい肉体が生じるのが真実である

肉体は自我であるから、自我も肉体の細胞のように新陳代謝する。

死んで永遠に眠り休むことなんかできないという寸法で、

生まれた瞬間から死んでいくように、

死んだ瞬間から生まれていくのが、どうあがいても真実である。

宇宙の星の一生のように、人間の命の一生も同じく、リンクしている

私も残された寿命の10年を この宇宙と命の摂理に合わせて

生まれる準備をしていこうと思う。

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生まれかわる準備

死んでいく自分が生まれかわる自分と一番関係深くできる設定をすると

二人の娘の子か、その孫として、生まれかわると想定しておけば、案外設計しやすくなる。

どの子やどの孫の一人になるかは想定しにくいので、次ぎの世代に生まれかわる準備

・環境を整える気持ちがいいだろう。

 

戦争や飢饉が起きても、負けずに生きていけるくらいの環境を整える。

最低でも、平和憲法を守れるように、また原発は一日でも早くやめて、自然エネルギーに変換できるように、

お金が無くなっても生きていけるような畑を作っておくようにしたい。

戦争と原発とギャンブル貨幣は自爆テロであり、それに巻きこまれないようにする環境と精神DNAを残すようにすることが必要だ。

昔の人の伝記や思想を読むと、その意志が伝わってくるように、

それが言葉であれ、モノであれ、行為であれ、次の世代へと生き抜く力としての意志を伝えることだ。

それは生まれかわる私あての手紙を書くという想定がいいかもしれない

 

 

もっとも、前世の記憶を死ぬ前にまとめておくのもいいかもしれない。

それはまれなので、生き抜く知恵を精神DNAとして残せるようにした方が役に立つだろう。

 

なぜ戦争するのだろうか?ひょっとすると?

金曜日, 3月 25th, 2016

人類誕生から2050年までの世界人口の推移(推計値)グラフ

世界の人口の推移1

出典:国連人口基金東京事務所ホームページ

人口が多い主要国の推移予測をみると、ここ100年の人口は爆発的に増えたが、それも2050年にはピークを迎えるだろうと思われる。

戦後の各国人口推移1

日本やロシアやドイツは数年前より減少しだしている。

そして、

地球的規模で、人類の人口をみた場合、その増加率をみることで予測がしやすくなる

世界人口増加率1

世界の人口増加率をみると、1950年ころから減少し、2100年には、ゼロに近づく。

世界人口は、増加率に比べて、100年遅く2050年に減少すると思われる。

人口増加がピークに達したときは、第一次、第二次の世界大戦があった時である。

人類が平和を望む時に、人口は減少していくともいえるかもしれない。

人類が他の生物と同じようであり、人間の寿命のような生死があるとすると、

人類誕生から、人口増加減少する2050年をピークとして逆転させてみると、

世界人口単純自然予測1

3100年には世界人口は5億人にまた落ち着くことになるかもしれない。

世界の戦争と格差は2050年まで続くが、

2050年以降は平和と分かち合いの社会がやってくるかもしれない。

資本競争社会は自然共生時代へと変貌していくことが予想できる。

いつか死ぬということ

金曜日, 3月 25th, 2016

人は死ぬと ”千の風になって吹き渡る”というが

その一吹きでも、本当に 亡くなった人の魂を感じられたことがあるだろうか?

人の魂は風ではなく、その人の想い出に感じられるものだ!

その人の想い出はいま生きている人たちだけが感じられる。

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数年前から ”腐るお金”を探求してきた結果、

”腐るお金”とは、税金のことだった!

私のお金が公のお金になることが、お金が腐るということ。

公がお金を発行、私に貸し出して、税として公に回収し戻して、またそれを貸し出す

その公私の繰り返しが、お金が廻るということである。

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お金のように魂は死なないで不変である。

お金が公私の繰り返しのように、

魂は生死の繰り返しを、公私のように廻るともいえる。

公の魂とは小さくはその家族であり、大きくは地域、国、そして人類全体にまで広げることができる。

私の魂とは一個人の肉体の一生を指す。

人の魂は一個に肉体に宿って生まれ、一生を終えて死ぬと、

魂は家族や友人、地域や国や人類の想い出として、残るというより、生まれ変わるといっていい。

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”千の風になって” を ”千の想い出になって” の替え歌にすると・・・

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません、眠ってなんかいません
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
秋には笑み一杯で、柿を頬張り
冬は雪かけあい はしゃぎまわる
朝は大声で おはよう!と目覚めさせる
夜はやさしい小声で お休みと囁く
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
この大きな世界を
ずっと生きています

想い出は細胞のDNAとして、遺伝し、また学習・適応されて、配列が置き換えられえる。

人類を導くのは想い出であり、魂である。

想い出は魂として、次の人類に引き継がれ、学習され、生き抜く力となる。

その人の死は、その人の生まれ変わりであり、人類へのバトンタッチという儀式でもあろう。

 

死んでいるということ

金曜日, 3月 25th, 2016

”生きているということ”の反対は”死んでいるということ”だが、

元の谷川俊太郎の詩を 反対のタイトルを”死ぬ”にしてみれば・・・

 生きる <谷川俊太郎>
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
 死ぬ<谷川俊太郎ではない>
死んでいるということ
いま死んでいるということ
それはのどがかわかないということ
木漏れ日がまぶしくないということ
ふっと或るメロディを思い出さないということ
くしゃみをしないこと
あなたと手をつながないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
それはミニスカートでない
それはプラネタリウムでない
それはヨハン・シュトラウスでない
それはピカソでない
それはアルプスでない
すべての美しいものに出会わないということ
そして
かくされた悪を注意深くこばわないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
泣けないということ
笑えないということ
怒れないということ
自由でないということ
死んでいるということ
いま死んでいるということ
いま遠くで犬が吠えないということ
いま地球が廻っていないということ
いまどこかで産声があがらないということ
いまどこかで兵士が傷つかないということ
いまぶらんこがゆれていないということ
いまいまがすぎてゆかないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
鳥ははばたかないということ
海はとどろかないということ
かたつむりははわないということ
人は愛さないということ
あなたの手のつめたさ
いのちがないということ

左右交互に朗読してみても、けして可笑しくない詩である

そして 最後にこう付け加えれば この詩は治まる

あなたが いま 死んでいるということ

それは

あなたが いまいま 生きていないということ

もし、あなたがいま過去にとらわれていたら、あなたはすでに死んでいるということ

もし、あなたがいま未来を憂えていたら、あなたはすでに死んでいるということ

いのち とは

生きていることも、死んでいることも、両方含まれており、

生と死は表裏一体で存在し、それらは片方を否定することで、表裏が入れ替わる。

また、現実には

生きているというのは今でしか確認できない

過去はすでに無く、未来はまだ無いので

いま生きていないのであれば、いま死んでいる状態だともいえる

理論はそうだが、何か納得がいかないのは

これは言葉と心だけの想像であり、現実の肉体のことが想定されていないためである。

次に 現実のこの肉体について 考察してみよう。

 

祈りの科学

土曜日, 3月 19th, 2016

白鳥哲の映画は「不食の時代」で衝撃を受けたことがあり、昨年では「蘇生」が発表されている。

蘇生の予告に、「琉球大学の比嘉照夫教授が微生物で放射性セシウムが75%も減った」とあり、本当かどうかネットで調べてみたが、どうも怪しい。

不食を実際10日間行ったが、とても持続できるものでなく、失敗した経験がある白鳥哲監督の祈りの実験が本当かどうかは怪しいことは想像がつく。

祈りそのものが、実証できないので、それが科学とは言いにくい。

「祈りの科学」というより「祈りの似非科学」と言った方が正確であろう。

だが、「嘘も方便」というくらいだから、その使い方によっては、「事実より行動させる力があり」、その結果が良否あるが、有効であることは間違いないであろう。

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「自分には祈ることしかできない」

「最後の神頼み」

という言葉があるように、為すすべがなくなってしまったときに、最後の最後にかける渾身の力が祈りとなることは真実であろう。

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祈りとは何か?

漢字の語源から考えると・・

祈り・祷り・禱り

「示」へん+「斤」「寿(寿)」つくり

  示1  上の「一」はものを、下部はものを乗せる高杯の象であり

高杯にものを乗せて「示す」というのが、現在最も有力な説

他説に、「示」は「光」の変字だとするものがある

不3 」は高杯の上にものが無いので「あらず」の意とされる

(但し、「不」は甲骨文などから「つぼみ」の象形とする説が有る

斤・斧(己)

斧1 名詞は木を叩き切ったり割ったりする道具の斧

代名詞は「己」で、一人称

その人またはそのもの自身のことをさす

寿・壽

寿1 (老人)」+音符「𠃬𠷎(トウ、「口」は後に挿入、神器の意とも)」

「𠃬」は長く続くあぜ道で「」の原字。老人が長く生きる

長生きであること。長生きの祝い。めでたいこと

(長く声を出して祈る)」などにその意が残る

 祈りの語源から推察すると

「己の長い一生の意志を示す」

という意味になるだろう。

古語日本語の「いのる」の語源は「」(斎) + 「のる」(宣る)であり、

斎・斉

斉1 形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形

(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の

意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や

行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する 

宣る・告る

 宣る  告げ知らせる。述べる。口に出して言う

本来は、神や天皇が重大な事実を宣言する、

また、みだりに言うべきでないことを表明する意で

後世は「名のる」に残存する

「神様に捧げる」「神様に誓う」「神様に感謝する」などになるが、

「祈り」の意味からすれば、むしろ

「い・・」は意志の「意」であり、それは己(自分)の意志のことであり、

「・・のり」は 「法 規 憲 則 典」であり、誓いや信条に当たる。

「・・・のる」は「乗る 載る」で、自分の意志に乗る(従う)という意味になり、

祈り=意則 祈る=意載る 

という感じになるだろう。

通常 祈りとは神さまへの願いの意味ではあるが、

その神さまというのは「自分の一生を支える意志(信条)」のことであり、

神さまへの願いというのは、「自分の一生の意志に従って生きる力(技・言葉・法)」であるといえよう。

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最近、洋式トイレをどうしても汚してしまう「立ち小便」を止めて、大小便とも、座って行う習慣が慣れてきたら、トイレの悪臭は無くなり、快適になってきた。

これは「トイレを常に清潔に保つ」という自分の意志に従った習慣行為によって快適な一生ということである。

「トイレを常に清潔にしたい」というのが「祈り」であり、その祈りを叶える習慣の変化が「祈りの技・力・知」といえよう。

 

これはダイエットにもいえる。

「一生健康な体でいたい」というのは祈りであり、

この祈りを叶える習慣・技がダイエットである。

「美味しいものをたくさん食べたい」ことは一時の願いであり、「健康な体で一生いたい」は一生の祈りであるので、似ても否成るものである。

「神様」を「一生」という言葉に代えた方が「願い」から「祈り」となって、強い力がでて、それを実現しやすくなる。

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祈りを神様ではなく、一生に換えてみると、

信じる神様や思想や国や民族の違いがあって戦争になったとしても、

お互いの一生の祈りが「平和」であることが多く、

もし共通していれば、

神様や国や民族の違いを乗り越えて、

戦争をせずに、お互いの平和を実現しやすくなる。

それは

敵味方の共通の永い平和への祈りがあれば、必ず一時の戦争をやめ、永い平和を実現することができる

ということである。

 

道端の美味い雑草を食べた

火曜日, 3月 15th, 2016

夕時になると 近くのフルーツ公園に

散歩して 富士を景色に 珈琲飲む

富士景色に珈琲1

帰りに 玄関横に、花言葉 不屈の心がよく似合う

雑草「タネツケバナ種漬花」がドサッと咲いている

タネツケバナ1

根元から茎ごともぎ取り、水洗いし、切り分ける

タネツケバナ2

半煮だちして、水気を絞り、

硬い茎を除き、葉と花のお浸しを作る

タネツケバナ3

道端の タネツケバナの お浸しに

オカカに醤油を注し 卵かけご飯に メンダイコと 珈琲で頂く 晩御飯

味は ほとんどホウレン草のお浸しと変わらない。

誰かに、ホウレン草として出しても、通じるものだ。

こんなに 雑草をおいしく食べたのは 始めてかもしれない。

 

日本を一家族とみると・・?

火曜日, 3月 15th, 2016

◆公私とは

私の生死は人類からみれば一個の命の生まれ変わりである。

それは 私の死は新たな私の生となることだ。

人類は一個の私からみれば公であり、公からみれば私が生まれ変わるとするならば

逆も真なりで

私からみれば公も生まれ変わり、公の死は新たな公の生となる。

つまり、

公は鏡に映った私である。

私がなければ公もなく、公がなければ私もない。

私は実存しているが、

公は虚像であり、見える姿は左右逆である。

◆公とは

公とは人間の私が集まった社会、国、世界であり、

目的を共有する似たもの同志の集まりでもあるが、一個の私のようには実存していないが、

鏡に映った私の虚像として見ることができる。

公としての国を私のような一家族としても見ることで、国の現状を理解しやすくなる。

◆日本の家計簿を私のレベルで見ると・・平成28年2月財務省資料から・

平成28家計だと1

これを私の家計レベルにすると

平成28家計我が家レベル1

これは実質経済の一般会計からみた家計だが、もっと大きな金額である金融経済である特別会計をみてみると、

歳入と歳出のバランスシートが同額でなくなるという可笑しな数字になり、また、どう考えるかによって、その数字が大きく変るので、まさに、幻想的な会計の世界である。

そこで、平成26年度の歳入と歳出の決算した、一般会計と特別会計でその大まかな姿が見えてくる。

一般会計26年度決算書

特別会計26年度決算書

一般会計と特別会計を合わせた歳出がほぼ全体像がでている。

27一般会計と特別会計合算1

これと、一般会計の歳出と比較しながら見てみると

平成28歳出1

我が家の家計が月30万だとすると、別に45万円で、貯金や借金をして、株式や外国為替でお金のやり取りをし、その収支を合計で75万円でやっていることになる。

公は鏡の中の私なので、左右が逆であり、歳入と歳出は実際は逆になる。

国債の中身をみてみると、

国債内訳1

90%は国内の日本国民から借りているので

公という政府に国民である私は貸している立場であるといえる。

社会保障費を出している政府は国民に年金や医療を受けている私のような国民にとっては受け取っているので、歳入になる。

債券を株式にするだけで、企業は借金で苦しむことなく、思い切った事業ができるようになる。

国も、国債を株券にして上場して売買できるようにすれば、

国民にたいして増税することなく、

政府も借金で苦しむことなく、

今までの税収の多くを国債返済に回すことなく、社会保障費に回すことで、

すぐに解決できる会計内容にみえる。

つまり、国債は国民の投資先にし、国民がその株主になることで、

政府の仕事を監視し、政府大臣をも首にすることもできる権利を持つことができるようにすることだ。

いわば、日本政府を日本株式会社化(日本法人)にすることで、初めて、国民が株主となるような日本株式会社となり、経営できる民主主義が実現できるようになるだろう。

 

To be,or not to be は I do, or I don’t ? 問題だ!

水曜日, 3月 9th, 2016

シェイクスピア ハムレット 第三幕第一場

 

ハムレットは父の復讐をするか、しないか?と迷う。

戦って死ぬか、戦わず生きるか?

名誉ある戦死をするか。耐え忍び生きるのか?

武士ならば、

戦わずして生きるよりも、戦って死ね!

人の道ならば

どんな無様でもいいから、死ぬな!生きろ!

こういう迷いは

アメリカに攻められた日本の兵隊や民間人が迷った。

民間人の場合は、敵の辱めを受けるくらいなら自殺しろ!

兵隊なら、降参するくらいなら、自害せよ!

というのが 武士道である。

ハムレットもそうだが、歴史を反省すると

敵に降参して、どんな屈辱をも我慢して生きる道を選んだことの選んだ人の道の方が、より良かったと思える。

 

To be は、I am, You are, He is, She is すべてを含んだ

私の存在、あなたの存在、彼の彼女の存在すべてを含んだ存在そのもののことで、人としての存在である。

このセリフには

I , me: You , you : He, him : She , her  という言葉は一つもない

あるのは

We , us : 我々は(主語)と我々に(目的語)という言葉だけである。

つまり、私の心も、私の肉体も、 聴衆者のあなたの心身も、敵という彼の心身も、オフィリアという彼女の心身も

みなWe と Us という我々の肉体(存在)と我々の心(魂)ということになり、

To be は We are.  to us. 我々が  我々に

not to be は We are not,  not to us  我々でない者が  我々でない者に

ということで、ハムレットは

自分が生きるか死ぬかの選択において迷い

我々が生きるか、死ぬかの選択として、考察し、決断している。

 

ちなみに、我々の主語Weと目的語Usは・・・

我々の身体と心がどちらか、先か、後か?という問いであるから、

これは 鶏の卵が先か、親が先かというという哲学的命題でもある。

これは科学的にDNA解析から、決着しており、親が先で、子が後である。

我々の親は我々の肉体であり、我々の子は我々の心(魂)である。

ハムレットは我々の肉体が我々の心に、問いかけているのであり、

そこで、問題になっているのは、我々の肉体という生死のことである。

我々の心と魂は死なないので、その生死は関係ないからだ。

 

「板垣死すとも自由は死なず」

という名言もそうでしょう。

板垣という肉体は死んでも、板垣が求めてやまなかった自由という心は死なないとおいう意味である。

 

人の生死という問題は、一個人の体の生死の問題であり、

我々全体の肉体ではなく、また個々人の心と魂の問題ではない。

 

つまり、

To be, or not to be  という問題は

To do, or not to do という問題なのである。

しかも それは

I do, or , I don’t   という問題である。

ハムレットの悩みの核心は

父の復讐を 私はするのか、しないか? だけなのである。

復讐をしたとしても、ハムレットは死ぬとは限らないし、

復讐しなくても、ハムレットは殺されるかもしれないということでもある。

それは 生死の問題を悩むとき大事なのは

私は何をするのか、しないのか?

私はどう生きるのか?であり、

「生きるとは何だ?」ではなく「私はどう生きるか?」が核心である。

 

そして、そこに在る先の問題は二つあり、

一つは主語である私の肉体が、

目的語である私の心であり、魂であり、理想である魂に向かって 何を具体的にするかである。

 

二つ目は

敵も味方もなく、私もあなたもなく、彼も彼女もない、

人として 我々という一体感で、考え、行動していくことである、

その場合、必ず、

我々のそれぞれ別々の肉体が、

我々の目的であり目標である、理想や夢(共通の心と魂)に向かって

どう行動していくかが大切である。

我々といった場合、個々人には生死があっても、

我々という人類には生死はなく、生き続けることだけがあるのだ。

 

→参照:ハムレット To be, or not to be, that is the question.

いったいどうしたらよいのか 問題はそこだ
荒れ狂う運命の矢先を
心で受けて耐え忍ぶのがよいのか
それとも敢然と立ち上がり寄せ来る苦難を跳ね除けて
終わらせるべきなのか? 死ぬことは眠ること
それ以上ではない 眠ってしまえば
心の痛みも肉体に付きまとう苦しみも
終わらせることができる
これこそ願ってもないことではないか
死ぬことは眠ることにほかならない
眠ることは多分夢を見ることだ そこにつまづきがある
この世のわずらいから開放されたあとで
死の眠りの中に待っているものはどんな夢か
それを思うと誰もが躊躇する
だから苦しい人生をいつまでも長引かせるのだ
でなければ誰が我慢するものか
世間から浴びせられる鞭や侮り 圧制や権力者の不正
愛を引き裂かれる悲痛 裁判の引き伸ばし
役人どもの横柄さ 立派な人物がつまらぬものからこうむる
屈辱といったことを誰が我慢するものか
短剣の一突きでこれらのすべてから開放されるというのに
こんな重荷を背負い続けて
汗水たらしながら耐え忍ぶのも
死後に待っているものが恐ろしいからなのだ
死後の世界のことは誰にもわからぬ
そこから戻ったものがいないからだ
その不安が人間の決断を鈍らせ
未知の世界よりもいま生きている世界の不正を耐え忍ばせるのだ
余計な心配が人間を臆病にさせ
もって生まれた決断力も
未来への不安を前にして色あせるのだ
こうして壮大な志も
正しい道からそらされて
実現されるということがないのだ (第三幕第一場)
HAMLET
To be, or not to be: that is the question:
Whether ‘tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them? To die: to sleep;
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache and the thousand natural shocks
That flesh is heir to, ‘tis a consummation
Devoutly to be wish’d. To die, to sleep;
To sleep: perchance to dream: ay, there’s the rub;
For in that sleep of death what dreams may come
When we have shuffled off this mortal coil,
Must give us pause: there’s the respect
That makes calamity of so long life;
For who would bear the whips and scorns of time,
The oppressor’s wrong, the proud man’s contumely,
The pangs of despised love, the law’s delay,
The insolence of office and the spurns
That patient merit of the unworthy takes,
When he himself might his quietus make
With a bare bodkin? who would fardels bear,
To grunt and sweat under a weary life,
But that the dread of something after death,
The undiscover’d country from whose bourn
No traveller returns, puzzles the will
And makes us rather bear those ills we have
Than fly to others that we know not of?
Thus conscience does make cowards of us all;
And thus the native hue of resolution
Is sicklied o’er with the pale cast of thought,
And enterprises of great pith and moment
With this regard their currents turn awry,
And lose the name of action.–

 

 

 

一事が万時、万事が一時

水曜日, 3月 9th, 2016

一事が万時、万事が一時

一時の我慢は一生の幸せ

一時の楽しみは一生の苦しみ

ダイエットにも原発事故も金融恐慌も

ハイリッヒの法則が成り立つ!

一時が万事1

これを時系列にすると・・・

メタボリックドミノ理論になる

ドミノ理論1

今の戦争被害は

「やられればやり返す」・・・目には目を歯には歯を(ハムラビ法典

「やられる前にやっちまえ」・・・・先制攻撃・過剰防衛

アメリカがイラクを先制攻撃してから、今のシリア難民が急増した

戦争ドミノ1

こうしたドミノ犯罪を防止するには

戦争ドミノ防止論1jpg

アメリカの銃社会は 常に不安社会における過剰防衛(=生成攻撃)のために武器(原水爆含む)所有を認めたためにおこる犯罪ドミノである、もし日本のように防衛のための武器所有を認めなければ、犯罪戦争連鎖はくい止めることができる。

日本がアメリカの真珠湾への先制攻撃

アメリカが日本の反撃のトドメの広島長崎原爆投下

そのドミノを防止するには

「アメリカ 権利章典 修正第2条(人民の武装権)

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」

を日本の銃刀法に替えることが必要であろう

「日本 銃刀法

法令に基づき職務のため所持する場合などを除き、原則として銃砲・刀剣類の所持は禁じられる」

銃刀所持の禁止

 

キャッシュレスと移民を含めたベイシックインカム時代が来る

日曜日, 3月 6th, 2016

世界一キャッシュレスな国はスエーデンだ。

http://bcove.me/g37oxneo

ホームレスも、スマホで電子決済をするから驚きである。

500ユーロ紙幣廃止、時間の問題

500ユーロ札(現1€=124円で62,000円)は犯罪に利用されやすいだけでなく、欧州ではマイナス金利が銀行預金にも普及しだして、現金を持っていた方がより価値が高くなるということもあるだろう。

ともあれ、高額紙幣が出る時はハイパーインフレで、高額紙幣が廃止されるのは超デフレといっていいだろう。

超デフレ→マイナス金利→高額紙幣廃止→現金廃止→キャッシュレス時代

という流れは紙幣がほとんど電子マネーとして流通している現在の流れとしては当然の未来であろう。

高額紙幣が犯罪に使われるというのは電子マネーのビットコインも同じである。

世界で最も大きな犯罪は戦争である。戦争を逃れてたくさんの難民がスエーデンにもやってきた。不況に悩む欧州にはその支援の資金繰りはダブルパンチである。

 

スウェーデンは移民政策で経済破綻の危機

移民保証が負担となり、住民に通常の公共サービスが提供できないと多くの市町村は訴え、財政破綻の危機にある市町村が増加し、移民援護税2%も検討されている。

売上高よりも、粗利益よりも、経費を差し引いた純利益が大事なように、

収入が大きく見込めず、経費が大きくなった場合は、経費の合理化をする道が一番である。

 

紙幣を廃止して、電子マネー化

税金徴収と、負の税金(ベイシックマネー最低生活保障)の自動化

先日アイデアを出した

全銀システム1

中央銀行のマイナス金利による 移民や住民に関係なく、すべての国民にベイシックインカムをして、

解決への道筋が出てくると思えるのである。