白鳥哲の映画は「不食の時代」で衝撃を受けたことがあり、昨年では「蘇生」が発表されている。
蘇生の予告に、「琉球大学の比嘉照夫教授が微生物で放射性セシウムが75%も減った」とあり、本当かどうかネットで調べてみたが、どうも怪しい。
不食を実際10日間行ったが、とても持続できるものでなく、失敗した経験がある白鳥哲監督の祈りの実験が本当かどうかは怪しいことは想像がつく。
祈りそのものが、実証できないので、それが科学とは言いにくい。
「祈りの科学」というより「祈りの似非科学」と言った方が正確であろう。
だが、「嘘も方便」というくらいだから、その使い方によっては、「事実より行動させる力があり」、その結果が良否あるが、有効であることは間違いないであろう。
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「自分には祈ることしかできない」
「最後の神頼み」
という言葉があるように、為すすべがなくなってしまったときに、最後の最後にかける渾身の力が祈りとなることは真実であろう。
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祈りとは何か?
漢字の語源から考えると・・
祈り・祷り・禱り
「示」へん+「斤」「寿(寿)」つくり
示 |
上の「一」はものを、下部はものを乗せる高杯の象であり
高杯にものを乗せて「示す」というのが、現在最も有力な説 他説に、「示」は「光」の変字だとするものがある |
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不 |
「不」は高杯の上にものが無いので「あらず」の意とされる
(但し、「不」は甲骨文などから「つぼみ」の象形とする説が有る |
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斤・斧(己) |
名詞は木を叩き切ったり割ったりする道具の斧
代名詞は「己」で、一人称 その人またはそのもの自身のことをさす |
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寿・壽 |
耂(老人)」+音符「?・?(トウ、「口」は後に挿入、神器の意とも)」
「?」は長く続くあぜ道で「疇」の原字。老人が長く生きる 長生きであること。長生きの祝い。めでたいこと 「禱(長く声を出して祈る)」などにその意が残る |
祈りの語源から推察すると
「己の長い一生の意志を示す」
という意味になるだろう。
古語日本語の「いのる」の語源は「い」(斎) + 「のる」(宣る)であり、
「神様に捧げる」「神様に誓う」「神様に感謝する」などになるが、
「祈り」の意味からすれば、むしろ
「い・・」は意志の「意」であり、それは己(自分)の意志のことであり、
「・・のり」は 「法 規 憲 則 典」であり、誓いや信条に当たる。
「・・・のる」は「乗る 載る」で、自分の意志に乗る(従う)という意味になり、
祈り=意則 祈る=意載る
という感じになるだろう。
通常 祈りとは神さまへの願いの意味ではあるが、
その神さまというのは「自分の一生を支える意志(信条)」のことであり、
神さまへの願いというのは、「自分の一生の意志に従って生きる力(技・言葉・法)」であるといえよう。
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最近、洋式トイレをどうしても汚してしまう「立ち小便」を止めて、大小便とも、座って行う習慣が慣れてきたら、トイレの悪臭は無くなり、快適になってきた。
これは「トイレを常に清潔に保つ」という自分の意志に従った習慣行為によって快適な一生ということである。
「トイレを常に清潔にしたい」というのが「祈り」であり、その祈りを叶える習慣の変化が「祈りの技・力・知」といえよう。
これはダイエットにもいえる。
「一生健康な体でいたい」というのは祈りであり、
この祈りを叶える習慣・技がダイエットである。
「美味しいものをたくさん食べたい」ことは一時の願いであり、「健康な体で一生いたい」は一生の祈りであるので、似ても否成るものである。
「神様」を「一生」という言葉に代えた方が「願い」から「祈り」となって、強い力がでて、それを実現しやすくなる。
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祈りを神様ではなく、一生に換えてみると、
信じる神様や思想や国や民族の違いがあって戦争になったとしても、
お互いの一生の祈りが「平和」であることが多く、
もし共通していれば、
神様や国や民族の違いを乗り越えて、
戦争をせずに、お互いの平和を実現しやすくなる。
それは
敵味方の共通の永い平和への祈りがあれば、必ず一時の戦争をやめ、永い平和を実現することができる
ということである。