”生きているということ”の反対は”死んでいるということ”だが、
元の谷川俊太郎の詩を 反対のタイトルを”死ぬ”にしてみれば・・・
生きる <谷川俊太郎>
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
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死ぬ<谷川俊太郎ではない>
死んでいるということ
いま死んでいるということ
それはのどがかわかないということ
木漏れ日がまぶしくないということ
ふっと或るメロディを思い出さないということ
くしゃみをしないこと
あなたと手をつながないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
それはミニスカートでない
それはプラネタリウムでない
それはヨハン・シュトラウスでない
それはピカソでない
それはアルプスでない
すべての美しいものに出会わないということ
そして
かくされた悪を注意深くこばわないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
泣けないということ
笑えないということ
怒れないということ
自由でないということ
死んでいるということ
いま死んでいるということ
いま遠くで犬が吠えないということ
いま地球が廻っていないということ
いまどこかで産声があがらないということ
いまどこかで兵士が傷つかないということ
いまぶらんこがゆれていないということ
いまいまがすぎてゆかないこと
死んでいるということ
いま死んでいるということ
鳥ははばたかないということ
海はとどろかないということ
かたつむりははわないということ
人は愛さないということ
あなたの手のつめたさ
いのちがないということ
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左右交互に朗読してみても、けして可笑しくない詩である
そして 最後にこう付け加えれば この詩は治まる
あなたが いま 死んでいるということ
それは
あなたが いまいま 生きていないということ
もし、あなたがいま過去にとらわれていたら、あなたはすでに死んでいるということ
もし、あなたがいま未来を憂えていたら、あなたはすでに死んでいるということ
いのち とは
生きていることも、死んでいることも、両方含まれており、
生と死は表裏一体で存在し、それらは片方を否定することで、表裏が入れ替わる。
また、現実には
生きているというのは今でしか確認できない
過去はすでに無く、未来はまだ無いので
いま生きていないのであれば、いま死んでいる状態だともいえる
理論はそうだが、何か納得がいかないのは
これは言葉と心だけの想像であり、現実の肉体のことが想定されていないためである。
次に 現実のこの肉体について 考察してみよう。
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