Archive for the ‘自然に生きる’ Category

Donna Donna

日曜日, 3月 1st, 2020

この詩曲はユダヤ人をアウシュヴィッツへ連れて行く歌にも使われるほど哀しい現実を表す

またこの難問を解決する方法もある

ザイルを結んだ2人が遭難したとき

切れそうなザイルだった時に

二人の間のザイルを切らざるを得ない時の葛藤にも共通する問題がある

まず二人とも助かる道を

次に

二人死ぬより一人でも助かる道を

ここに解決策として

科学とコミュニケーションがある

替え歌を作った

ドナドナドーナ

ザイル結び 仲良く

急な山を登る

足滑り 二人宙吊りに

切れそうなザイル 荷をみな捨てても

まだ切れそうで 目が合う二人

ドナドナドナドーナ

私が切る

ドナドナドナドーナ

イヤ僕が切る

 

 

 

 

自由とエゴ、愛と感謝、自分と社会

日曜日, 2月 9th, 2020

自由とエゴ

何が違うのか 自由エゴ
自由は善くて エゴ悪く
何だろう その違い

自由とエゴを 取り違え
歓び怒り 悲しむ
ハッキリさせよ その違い

自由は自分の役割を
越えず生きる 精一杯

エゴは自分の役割を
越えて押し除ける 他人を

愛と感謝

愛することは美しい

感謝することはすばらしい

でもエゴに 気を付けよ

愛は相手をしばりつけ

感謝は自分をしばりつける

互いの自由を 大切に

愛するは 美しい

相手を自由にしてこそ

ありがとうは すばらしい

自分を自由にしてこそ

自分と社会

自分と社会 その狭間で

矛盾にいつも 悩まされる

どう解決したらいいの

自分はより自由を求め

社会は自由を押し潰す

どう決着つければいいの

社会はその流れのまま

自分は自分の役割を

社会は社会に任せて

自分は自分の仕事を

最少の食べ物で

月曜日, 7月 29th, 2019

一か月の海外の旅は最少のリュックで十分足りた。

人生の旅も、最少の食料で乗り切った方が何かと健康的に楽に生けそうだ。

あれも欲しい、これも美味そうと つい増やしてしまう。

でも、ほとんど脂肪が10キロ以上ついて重く、軽快な歩きができない。

毎日の飲食を最低限にして、残された人生の重荷を減らすかがポイントになる。

要はダイエットなのだが・・・

ダイエットのリバウンドは・・

ダイエットを苦しんでやるか、楽しくやるか? にかかわってくる。

どう最小限の飲食で毎日の運動を楽しむかである。

脂肪は糖分の採り過ぎは間違いないだろう。

キーポイントはベースの炭水化物の最少摂取量で体調をコントロールしていく。

増えすぎた炭水化物はオカズも飲み物も増えるからだ。

糖分はお菓子や飲み物に多く、基本糖分のないお菓子として生野菜にし、飲み物は水に絞ったらどうか?合わせてヨーグルトでもいい。

特に

ダイエットへの切り替えし意識は必要で

禁煙を成功させた

1本の喫煙も、一生の何億本の喫煙も同じ

この意識でいくと

最小限の飲食で健康人生か?

それ以上で病気人生か?

一時の忍耐で一生の楽か?

一時の快楽で一生の苦か?

この迷いの決断を何度もしてみよう!

禁煙も、ダイエットも、意識の切り替えで成就す!

 

 

 

 

 

’今を生きる’とは’錯覚せず真実に生きる’ということ

日曜日, 6月 9th, 2019

脳が錯覚することを

何万回も隔週させることができるICで証明された。

不思議な図形で脳の謎に迫る

それは

ICに、人間のように先を予測(予知)させるように学習させると

ICも人間のように錯覚して認識することがわかる。

また、

哲学者のダン・デネットの意識論でも

 

人は意識しているものしか知覚できず、意識外のものは認知できない。

両者をまとめてみれば、

人は自分が意識した過去の経験によって未来を予測することで錯覚また誤解する。

いわば

人は自分の思い込みによって、ついつい物事を誤解して意見してしまう。

 

錯覚・誤解しない方法は

過去の思い込み(執着・信念・学識)を捨て、

未来をけして予測(意見・断定・推理)せず、

今の自分を自然に(全体的・世界的・宇宙的)観じることだろう。

いわば

心を空にして、

過去・未来の自分を観じず

今の自分だけを観ることが真実を知る生き方だろう。

 

千手観音の脇侍は若女と老人

金曜日, 6月 7th, 2019

三十三間堂の仏像を本来の位置にもどす試みが行われた。

仏像の中に隠された版仏図に、中尊像の脇侍として、

豊穣の大弁功徳天と仙人の婆藪仙が描かれ、

それが敦煌の千手千眼観音変の絵と同じ配置であった。

 

千手観音は人々を救う千の手であり、

その最も重要な役割として

若い乙女と、老いさばらえた老人であることに驚いた。

これは

最近、ヤングフレンドに大きな老後の生きる力を与えられた証のような気がした。

それは48歳も年下の乙女に恋する感情なのだが・・

それがどうして沸き起こるのか?

自分だけなのか?

どうやら違っていたようで

再放送される早朝の連続ドラマ「やすらぎの郷」でも

老人が若い女に恋する姿が描かれている。

私もそのドラマも、昔若い時の強烈な恋愛象に恋している自分を発見している。

つまり、

老人が二十歳の青年に帰って、もう一度恋をし、そこから

新しい余生への生きる力をもらっている。

それはいわば

死が再生でもあるかのように

再生は病気から健康へ 戦争から平和へ

 人的破壊から自然へと切り替えるスイッチでもある。

千手観音の手(救い)は

この苦悩から脱却し歓喜へと切り替えるスイッチ(意識の転換)でもある。

老人の乙女への恋は第二の青春、若返り、再生への意識転換スイッチ、

それは千手観音の慈愛と慈悲の救いにあったと気づかされた。

 

それにしても

求めれば与えられん!

解らない答えも

諦めずに探し求めていくと

ヒョイなところからヒントとして与えられるようだ!

 

命短し 恋せよ老爺(ロウヤ)

身体が 動ける間に

燃ゆる心の炎 消えぬ間に

今日は再び来ぬものを

(^^♪