11月29日の定期音楽祭にむけて、保護者による合奏練習が始まっている。私は急遽、尺八演奏をやめて、打楽器・・クラベス・カバサ・タンバリンを担当した。みんなそれは簡単だというが、難しいのだ。先生はただリズムをとればいいというが、楽譜がそれがどこを演奏しているのか、しかも、繰り返しがあり、どこにもどるのかとかで、楽譜を読む格闘をしなければならない。
演奏曲はサザンのtunamiだが、私はその曲を知らなかった。そのため、その歌をまず覚えることから始めた。リズムを刻むより先にやることがたくさんある。やっとリズムを刻むときに、楽器によって、その音が出し方に苦労した。特に、カバサである。これはいわば、チベットのお経をまわすような道具で、まわりに、小さな金属玉がたくさんついている。これをまわすのだ。日本のそろばんをまんまるにしたような音がする。
これが音譜のリズムに合わせるのが大変だ。しかも、それをどこで使うかも楽譜が読めないとできない。やはり、私にとっては尺八の方が簡単だったかもしれないなんて、思ったりする。
このブログの使い方はいろいろできそうだが、理解するのが面倒なので、それはゆっくりと研究することにして、とにかく、書いていこう。やりたいことがやまほどあって、時間との格闘をしている感じがする。
一番今力を入れているのは、「新貨幣の提案」である。この提案の仕方いかんで、それが理解されるか、また、無視されるかが決まってくる。私自身には、この貨幣案はスッキリしており、それで、世界の金融や経済の現状がよ~く理解できてしまう。
今のプラスの利息を持つ現貨幣がもっている根本的な問題から、それが起こっているだけである。そこから金儲けの夢とか、お金のうばいあいとか、経済混乱が生まれているだけだ。みな、お金とは何かってことが知らないから、それに振り回されている。
きちんと、今の貨幣の正体を見抜けば、これがばかばかしい騒ぎとして見えないからだ。いったい、いままで経済学者は何をしてきたのだろう。今の経済はたぶんケインズの経済学が基本となっている。マルクスの経済学は共産主義となって、それが崩壊してはじめて、その理論の間違いが気が付いた。
今度は、ケインズの経済学が創り上げた資本主義社会が崩壊するときだ。そして、次にくるのは、シルビア・ゲゼルの自然経済学を基本とする自由主義社会である。
今の社会は自由社会ではなく、資本主義社会である。資本をよりもった者が自由になれる社会という意味で、資本をもたない者は自由を奪われる社会である。これがほとんど理解されていないのである。
自由主義というのに、この自由が何であるかがまったく理解されていない。とくに、政治家がそうである。自由と資本を同じだと勘違いしている人があまりにも多いことに気が付かされる。
こういうことをこれから、新しくなった「マイナスの利子が付く国連により世界銀行券を発行しよう」で研究していきたいと思う。また、過去長年における神仏の研究も役になってきた。というのは、今世界の多くは実際生活の上で、「お金を神仏」にしたてて、それを祭り上げていることがよく理解できたからだ。
お金を儲けようと必死になっているのは、いわば、お金という神の狂信者たちである。そして、人よりももっともっと金持ちになろうとして競争する世界は、金の神の教祖により近づこうと、その幹部になり世界の権力者になろうとする盲信者たちに見えてくるからだ。
こうした見方は長年神仏を研究していないと、気が付かないことであった。神仏の正体は「人間の欲望の究極の姿」である。その欲望が「心」であれ、「物」であれ、同じ姿を形作っているのである。人は「心」と「肉体(物)」を両方持っているからであり、それを切り離すことはできない。切り離したら、どちらも失うものである。
またまた、ブログで長い話になってしまった。これらはhttp://sekaibank.net で報告していきたい。