Archive for 8月, 2016

痛み2

月曜日, 8月 29th, 2016

痛みは脳の誤作動においても起きる

アレルギーなどはそれが身体に害がないのに脳が誤作動して害があると判断して起きる痛みや痒みである。

癌もまたその癌細胞が身体に悪いとは判断せずに、正常細胞を悪いと判断してしまう脳の誤作動が原因とも思える。

癌はいわばテロ組織のようなもので、世界中でテロを繁殖し、最後は自分までも破壊してしまう。

そうした自爆テロは神や平和への盲信と迷信・思い込み・洗脳によっておこり、その思い込みや洗脳も脳の誤作動とも判断できる。

脳の誤作動というのは

病気を健康と、殺害を平和と、真実とは真逆に判断反応してしまうといえる。

もし、こうした脳の誤作動を正常に作動させることができたら、その技術はいろいろな面で活用できることになる。悪人を善人にすることだってできるだろう。監獄が希望舎にもなり、ピンチはチャンスにもなる。

一体どうして 脳は真逆に誤作動をしてしまうのだろうか?

問題解決への近道はその原因をまず掴むことである。

先夜、眠っている時に 出てきた映像がある

何で他人がないの? 命と自分しかない世界ってあるのか?

何で他人がないの? 命と自分しかない世界ってあるのか?

人はみな自分の視野でしか判断できない。世界全体と思っているその世界だって自分の視野でみた、いわば自分が創造した世界の姿でしかない。

ならば、すべては主観で判断されているから、他人という客観は自分が創造した世界観でしかなく、極論すれば、他人という存在は虚像であり、いわば 鏡に映し出された自分自身の姿であると言える。

鏡に映し出された自分の姿は左右が逆の虚像であり、やることなすこと、左右逆に動く虚像ともいえる。

脳の誤作動は自分の姿を鏡のうつる自分だと判断してしまう錯覚のようなものではないだろうか?

鏡の他人の右頬をなぐろうとすると

自分の左頬をなぐられそうになる。

実際にそれをやってしまうと、鏡をぶち壊して、他人は消え、手は傷つくが 自分だけの存在になる。

脳の誤作動を修正するには 自他や善悪などの境である鏡を取り去るか、鏡にうつる世界と他人が虚像であると理解するか、虚像が実像の左右逆になる計算をして判断することである。

この理解と修正計算はけっこうややっこしいし、リハビリのような努力がいるものである。

小麦のアレルギーを解消させる方法に

小麦を取り入れない食事療法ではなく、逆にほんの少しずつの小麦を摂取して アレルギー反応を起こさせて、小麦が悪い食べ物ではなく、良い食べ物であると 脳が正常判断するように体験反射させる訓練をしていくと、しだいに脳は小麦に対する誤作動を修正して、正常作動にさせる療法がある。

あと三か月の命と言われた末期癌患者が、前向きに自分のやりたいことを精力的にやることに集中した結果、癌は悪さはせずにもう三十年も生き続けている奇跡の人もいる。

この奇跡は一体なぜ生まれたのだろうか?

脳が正常細胞をより生きたいという細胞とし、癌を早く死にたいという細胞として正常判断に切り替え努力をしたともいえるのではないだろうか?

ピンチをチャンスにし、自爆テロ悪人を英雄善人に 切り替えるのはそう容易いことではなく、小さな善行をコツコツと積み重ねていくような努力なしではなしとげられないだろう。

ある盲信洗脳された信者を健全な社会人に脱却させるのも大変なことであるが、できないことはないことも真実である。

 

 

 

痛み

日曜日, 8月 28th, 2016

畑仕事で、大きい石を引き出したり、雑草を根ごと引き抜いたりしていたら、腰に違和感が走り、ギックリ腰にならないよう、腰に力を入れずに、膝を曲げ、足に力をいれて作業したが、翌朝 腰と右腿に猛烈な痛みが襲った。

ギックリ腰のように腰だけの痛みではなく、右足腿の方が痛かったので、単なる筋肉痛だと思ったが、その痛みは延々と続くので、マッサージ機やら、水風呂やら、腱引き、前屈やらをしても一向に痛みは治まらず、ただ大声をあげて「痛い こん畜生!」と叫び、ただ痛みを耐えることしかできなかった。

1日目、腰の痛みは消えたが右腿の猛烈な痛みと痺れと擦り傷のようなチクチク感は治ることはなかった

2日目も右腿は腫れ上がるいうに痛いのに 腫れ上がることはなく こうした症状は始めてだった。冷やしてダメなら温めてやれとばかり、温泉入ったら、痛みは和らいだが、身体が冷めてくると痛みがでるので、ホッカイロを右腿に貼って いくらか和らいだが、あまり効果がない。

3日目 早くから 温泉に入り 痛みを和らげようとしたが 全く効果がないことが判ってきた。

ギックリ腰だって、一週間も痛みを耐えれば 治るはずと治るのだから、この右腿痛みだって きっと治ると自分に言い聞かす。

4日目 また温泉に入っても 効果無し。ただ幾分痛みが減って、痺れと擦り傷感が激しく、ただ眠って痛みを忘れさせようという戦法に出た。

五日目 起床時にも、痛みと痺れがあり、ガックリして、この右腿の痛みの原因をネットで探してみた。

あった!

どうやら坐骨神経症だとわかった。

太ももの痛み、違和感、ビリビリ、ズキズキ、痺れの原因

坐骨神経症状を自分で治す方法はストレッチをすればいいと発見

http://stretchpole-blog.com/sciatic-nerve-pain-relief-stretches-2197

そのストレッチを30秒やってみた。

なんと痛みと痺れがほとんど消えてきたので、ビックリ!

その後、少し痛みと痺れは残るが、また同じストレッチをすればまた和らぐ

面倒なので、右あぐらを組んで左足をのばすだけでも、痛みと痺れは和らいできて、

座った作業はしやすくなった。

とはいえ、痛みの原因である座骨神経症の原因は背骨にあり、以前私がなったすべり症ではないかと思える。案の定、ストレッチした時点では筋を引っ張り、神経との当たりを話すので治るが、ストレッチをやめると、元の痛みと痺れにもどってしまう。

骨のすべり症を治すようなことをしていかないと、完治は無理であろう。

この五日間で

痛みとの闘いには その原因を知るのが一番だというのが身体で理解できた。

やれやれ 自分に ご苦労さんと声かけた。

まだまだ、完治には時間がかかるが、とにかく一時でも痛みを和らげる方法が解っただけでも一歩前進である。

 

1=all

土曜日, 8月 27th, 2016
我が家から見える夕焼け富士2016.8.26

我が家から見える夕焼け富士2016.8.26

1 for  all,  All  for  1.

これはチームプレイにおける団結力をを示す。

これはまた1=原因 であり、Allは結果でもある。

さらに、

1 は 自己であり、 Allは 小さくは人類であり、大きくは生きとし生ける者であり、さらに大きくは世界であり、宇宙すべてにもなる。

人が理解しうるすべての限界は同じ人類であろうから、

1 は自己であり、 allは人類であろう。

過去現在 人の気持ちはそう変わっていないし、未来も変わらないだろう。

人同志は憎み合いも、愛し合いもするのは、その気持ちが共通しているということだろう。

古代のベーダンタ哲学において、

真我は神である。それを悟るのが修行でもあった。

どんな宗教でも、自我と神を一つにするのが最高の境地というのは共通している。

神の姿は常に人の姿になっているのも共通している。それは神は人類を一つの自我として表現また象徴させたものだからでもある。

過去現在未来の人類一人一人の自我の気持ちは共通しているところからして、

なにかしら結び合っており、敵対もし、助け合いもしている。

自我に生死の寿命は80年ばかりだが、過去の歴史からみると、人類の寿命は数千年か数万年かであろう。

太陽の寿命が数十億年としても、人類の寿命は数千か数万がいいところだろう。

ともあれ、

人類全体は、一個の自我の集まりとその生死の繰り返しで成り立っている。

どの自我も共通の気持ちがあるところから、自分の一生を人類全体の一生としてリンクさせて考え想像した方がのんびりと、優雅に生きられる。どんな死や苦しみからも脱却できる力もえることができるということだ。

もし死んでもまた生き返って、人類の寿命の一生を生き続けると思えば、この世もまんざら怖くはないものだ。

注意すべきは人類全体が生き急ぐあまりに、全滅しないようにすることだろう。そのために自分のできるだけのことをすればいい。

 

どんな意見も完全否定はできない

土曜日, 8月 20th, 2016

以前、正当防衛は間違いであると指摘したが、それは全く否定したわけではない。

ケースバイケースで、その時々と場所で 正当防衛が一番効果的な場合だってある。

全体的に正当防衛がいえるとしたら、その時代における防衛確率だけであろう。

 

この世に完全な人も、完全なモノもないように、完全な考えもない。

それはどんな意見でも、完全否定することはできないことである。

 

稲の雑草対策は雑草を摂るのが一番であるというのも、完全肯定はできない。

稲は雑草と共生だってできることがある

稲は雑草と共生だってできることがある

稲が1mも伸びて、もう雑草に負けまいと思い、一か月放置したら、稲は全滅してしまった経験がある。

そのため、稲と雑草は共生できないと思い、雑草を採るなどの対策をしてきた。

だが、よく観察していくと、稲を殺す雑草は同じイネ科のエンコロ草・メヒバ・オヒバ・イヌビエが主で、まっすぐ生える麦などのイネ科や他のマメ科、キク科などの稲よりも大きく成長しない雑草や縄張りをあまり広げない雑草では共生できている。

この写真は笹の根がはびこる、笹の場所に5月に稲籾をばら撒いたもので、今の8月には穂を実らせている。背は小さく、実も小さいが、笹には殺されることはなかった。もちろん、稲より大きくなった笹の部分は刈った世話はした。

医者の友人が病気なんてものはないと途方もないことを言ったが、よくよく聞いてみると、なるほどとうなづけた。それはコインの裏表のように、健康と病気の境がはっきり在るというものではなく、病気と健康はつながっており、その人の身体全体の使用稼働領域の広さで、狭いとより病的であり、広いとより健康的であるという。

彼は自分の前世をいろいろ語るが、そんなことがあるわけがないと、完全否定もできない。

ここで大事なのは、前世があるかないかが問題ではなく、また、前世がどんな姿であったかということも問題ではなく、その人が自分の前世をどう考えるかによって、その人が今、また未来において、何をし何をしようとするかである。

もし、それが社会的に楽しく有意義なものであると思われたら、むしろ その前世をほんのりと肯定した方が否定するより楽しい社会が実現していくだろう。

もし、逆に社会的に良くないと思われたら、やんわりと否定した方がより平和的な社会になっていくだろう。

 

その死も次の生の糧にこそバランスがとれ

水曜日, 8月 17th, 2016

穴あきマルチシートに、直播して、そこから生える雑草は作物と同じくらいの量が採れる。

通常の草刈とは違って、稲の脇に大きく繁茂した雑草なので、根っこから引き抜く方法で、雑草採りをする。

それを山積みにし、バーク堆肥と培養土をふりかけて、ヨーグルトのように発酵培養させることにした。

根から引き抜いた雑草を道路に山積みし、そこに剪定バーク堆肥と培養土を振りかけて、発酵堆肥の挑戦

根から引き抜いた雑草を道路に山積みし、そこに剪定バーク堆肥と培養土を振りかけて、発酵堆肥の挑戦

雑草を引き抜くときは、まだ種ができていない実る前に行った。

種ができていたら、別に乾燥して燃やして、灰にした方がより安全だろう。

発酵のための水は天然の雨にまかすことにした。

 

以前、雑草を摂らないで稲と共存できると思っていたら、稲は全滅、雑草天国になっていた。

稲と共存できないのは主に同じイネ科の雑草で、稲の発芽の後から、稲以上に高く、広く繁茂して、稲を枯らしてしまった。

雑草の種は主に風で飛んでいき、地中でも数年は生き続けるようだ。そのため、種は途切れることなく、根こそぎ抜いても抜いてもすぐに生長して、稲よりも大きく繁茂しだす。

雑草を稲の堆肥にすることで、雑草は稲の敵ではなく、味方にすることができる。

稲と雑草はまさに人の戦争のように殺し合うが、その戦争を将棋のように敵を味方にすることができるゲームと、チェスのように、敵を殺すしかできないゲームにもなりえる。

命の生死においても、その死を糧にした生にするか、その死をなんら意味もない死にするかは、人の知性がなせることである。

自然は人の手を借りずとも、生死のバランスをとって、あたかも生と死はコインの裏表のように存在し、それが命として永続していく。

人を構成する細胞は毎日新陳代謝して、生死は交代して、寿命を全うする。

死は常に次の生のためのものであるのが、自然の命の姿でもある。人はそうした自然の子でもあるから、自然に学び、その死を次の生のための糧にした生き方こそ、健全な生活なのであろう。