以前、正当防衛は間違いであると指摘したが、それは全く否定したわけではない。
ケースバイケースで、その時々と場所で 正当防衛が一番効果的な場合だってある。
全体的に正当防衛がいえるとしたら、その時代における防衛確率だけであろう。
この世に完全な人も、完全なモノもないように、完全な考えもない。
それはどんな意見でも、完全否定することはできないことである。
稲の雑草対策は雑草を摂るのが一番であるというのも、完全肯定はできない。
稲が1mも伸びて、もう雑草に負けまいと思い、一か月放置したら、稲は全滅してしまった経験がある。
そのため、稲と雑草は共生できないと思い、雑草を採るなどの対策をしてきた。
だが、よく観察していくと、稲を殺す雑草は同じイネ科のエンコロ草・メヒバ・オヒバ・イヌビエが主で、まっすぐ生える麦などのイネ科や他のマメ科、キク科などの稲よりも大きく成長しない雑草や縄張りをあまり広げない雑草では共生できている。
この写真は笹の根がはびこる、笹の場所に5月に稲籾をばら撒いたもので、今の8月には穂を実らせている。背は小さく、実も小さいが、笹には殺されることはなかった。もちろん、稲より大きくなった笹の部分は刈った世話はした。
医者の友人が病気なんてものはないと途方もないことを言ったが、よくよく聞いてみると、なるほどとうなづけた。それはコインの裏表のように、健康と病気の境がはっきり在るというものではなく、病気と健康はつながっており、その人の身体全体の使用稼働領域の広さで、狭いとより病的であり、広いとより健康的であるという。
彼は自分の前世をいろいろ語るが、そんなことがあるわけがないと、完全否定もできない。
ここで大事なのは、前世があるかないかが問題ではなく、また、前世がどんな姿であったかということも問題ではなく、その人が自分の前世をどう考えるかによって、その人が今、また未来において、何をし何をしようとするかである。
もし、それが社会的に楽しく有意義なものであると思われたら、むしろ その前世をほんのりと肯定した方が否定するより楽しい社会が実現していくだろう。
もし、逆に社会的に良くないと思われたら、やんわりと否定した方がより平和的な社会になっていくだろう。