1 for all, All for 1.
これはチームプレイにおける団結力をを示す。
これはまた1=原因 であり、Allは結果でもある。
さらに、
1 は 自己であり、 Allは 小さくは人類であり、大きくは生きとし生ける者であり、さらに大きくは世界であり、宇宙すべてにもなる。
人が理解しうるすべての限界は同じ人類であろうから、
1 は自己であり、 allは人類であろう。
過去現在 人の気持ちはそう変わっていないし、未来も変わらないだろう。
人同志は憎み合いも、愛し合いもするのは、その気持ちが共通しているということだろう。
古代のベーダンタ哲学において、
真我は神である。それを悟るのが修行でもあった。
どんな宗教でも、自我と神を一つにするのが最高の境地というのは共通している。
神の姿は常に人の姿になっているのも共通している。それは神は人類を一つの自我として表現また象徴させたものだからでもある。
過去現在未来の人類一人一人の自我の気持ちは共通しているところからして、
なにかしら結び合っており、敵対もし、助け合いもしている。
自我に生死の寿命は80年ばかりだが、過去の歴史からみると、人類の寿命は数千年か数万年かであろう。
太陽の寿命が数十億年としても、人類の寿命は数千か数万がいいところだろう。
ともあれ、
人類全体は、一個の自我の集まりとその生死の繰り返しで成り立っている。
どの自我も共通の気持ちがあるところから、自分の一生を人類全体の一生としてリンクさせて考え想像した方がのんびりと、優雅に生きられる。どんな死や苦しみからも脱却できる力もえることができるということだ。
もし死んでもまた生き返って、人類の寿命の一生を生き続けると思えば、この世もまんざら怖くはないものだ。
注意すべきは人類全体が生き急ぐあまりに、全滅しないようにすることだろう。そのために自分のできるだけのことをすればいい。