Archive for 4月, 2017

「みんな違ってみんな良い」をどう実現するか

月曜日, 4月 17th, 2017

私も含めて、友人たちの家族の多くはバラバラになっていて、老人の孤独死が自然のような家族環境になってきている。

邪馬台国をなぜか求めてきて、そこがどこにあったかはどうでもいいことだが、なぜ、その歴史ロマンに引き込まれるか? 不思議であった。

吉野ケ里遺跡に二日間車中泊して、どうやら、「日本人の心のルーツが大和国という家にあり、そこに八百万の神々が集まり、和して団らんしている」そうした中心に天照大御神=日御子があり、現天皇に象徴的に一つにまとまっていて、安定している。

「みんな違ってみんな良い」を初めて日御子が大和国として、統一実現させた。それは武力ではなく、国民みんなを神々として尊重・尊敬する敬愛の心で統一実現したのだろう。

すぐ武力で制圧しようとする男の特質は破壊に通じ、命を生み出す女の特質は平和に通じるので、敬愛を持つ女王日御子が勇猛をほこる男どもから担がれたのだろう。

世界は今、東洋と西洋の中間にあるシリアにおいて、武力による殺戮と破壊がとどまることなく進んでいる。それを平和にする術がなく、困り果てている。こうした状況は弥生時代の後期に似ている。イスラム国のように首狩りが当たり前の状況であったことも、その甕(カメ)カンに埋葬された遺骨からも解る。

もし、日御子のような敬愛を持つようなリーダー(もしくな法や精神)が世界で選出されたならば、どんな宗教も、どんな人種も、72億の神々として敬愛し、平和に統一されていくだろう。

日本は日御子の時代から二千年にわたって、引き継がれた敬愛の心をもっているのだから、そうしたリーダー役にはもってこいであろう。それはなんの因果か解らないが、唯一の被爆国であり、非戦国としての平和憲法を持っている国として、それを果たすべき日が来たように思える。

 

身長は150センチ、獰猛な戦士をなだめ、敬愛をもって、大和国を平和に治めた

前に、真実は一つだが、真理は一つではない。

としたが、通常、コナンでもそうだが、人の心情や意志を真実の中に入れてしまうので、誤解されやすい。

それで、

事実は一つ、真理は人間の数だけある。

と言い換えることにした。

それは、「みんな違ってみんな良い」を実現するのは敬愛と思えたが、そうした心情は一つになりにくいので、「事実は一つ」を応用して、「事実を共に共有すれば和する」と言えるだろうし、正反合の弁証法の合も、事実の共有で、合するとも言えるだろう。

シリアの問題も、

「共に生きるか?共に死ぬか? どっちが事実であり、どちらの事実を受け入れれば和する?」

という事実の共有で和解できるだろう。

 

真実は一つだが真理は一つではない

木曜日, 4月 13th, 2017

真実はいつも一つ!

「真理はただひとつと考えるのか複数あると考えるのか?」ダライ・ラマ十四世法王

ダライラマは「真理は複数であり、また一つでもある」という自己矛盾に陥っている。

真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない」『スッタニパータ』『ブッダのことば』(岩波文庫)194頁

ブッダは「真理が一つであれば、他はみんな真理ではなくなるので、どれが真理か争うしか道がなくなる」ので、その悟りは空論にすぎない。

こうした矛盾や空論は言葉の定義を明確にすると理解しやすい。

上記で語られる5つの言葉が

真実=真理=神=仏=宗教 だとして、

それぞれの言葉の定義がされず、みな同じだとして説明するので自己矛盾と空論に陥ってしまうのである。

これを山登りに譬えてみると

真実は山登りする人々の全体を示すが、真実以外の真理・宗教・神・仏・生き方などは、それぞれの山頂(目的)を目指して上る山道であり、その山道は尾根ルート、沢ルートなどたくさんある。独りで山登りするだけなら問題は起きないが、二人以上で同じ山道を登ろうとするとイザコザが起きる。

どの山道を選ぶかだけでなく、どの山を登るかで、問題が起きるのである。また、登るスピードや、登り方でももめることになる。

今回の旅のテーマは

「みんな違って みんな良い」

という楽しみをどう実現していくか? そのバトル実験を試みている。

この山登りをみて、

それが個々人がみなバラバラに自由に自分の山道を選び、マイペースで登っていけば問題がまったく起こらないが、もし、二人で同じ山や山道を選択しようとしたり、同じペースで登ろうとしたら、問題が起きてしまうことが解る。

そうした場合の解決策は

地球上の72億人の一人一人の自由なな生き方を認めるように、72億人の真理と神と仏があることを認めることである。真理はけして一つではなく、また宗教も神も仏もけして一つではない、それは独り一人の生き方であって、それを誰しも強制することも、強制されることもない。

それを認め合うことで、時に、同じ山道であり、時に同じ山であり、そうした一人一人の生き方の違いを、自分にはできない生き方を知ることで、大いに楽しむことで、調和していくのであろう。

 

ダンゴ虫は弁証法で困難を脱出する

土曜日, 4月 8th, 2017

次の6月に徳島大の大橋教授の学びやに呼ばれている。

何を話していいのか? どんな人が集まるのか? 全く解らないのでネットで調べてみた。

どうやら「学びや」はソクラテスの問答法(元祖弁証法)から生まれた産婆術のようだ。

「教師が生徒に対して詰め込み教育的に教えるのではなく、 教師の手伝いにより生徒が自分で「発見」することを目的とする」

これは医師が手術や薬ではなく、患者自身で病気を治そうとする自己治癒を助けることでもある。

つまり、私はそこに集まった学生の知恵を引き出す産爺(さんじい)として呼ばれたようだ。

ダンゴ虫は弁証法で困難を脱出する

ダンゴムシは、前に障害物があると、右、左、右、左・・・と交互に曲がる習性があり、敵から早く逃げるためらしい。

この「右、左、右、左・・・と交互に曲がる習性」は「正、反、(合)、正、反、(合)、・・・」とヘーゲルが歴史は正反合という弁証法で展開しているという姿と似ている。

現代の裁判が、検事と弁護人による正反を意見を戦わせ、そこで裁判官が両者の合として判決する手法でもある。

矛盾の由来も、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができると豪語する強者と、この盾はどんな矛でも突き通すことができないとやはり豪語する強者がいた」そこに通りがかった賢者が「その矛で、その盾を突けば、どちらが正しいかハッキリするじゃろう」と、その矛盾解消法が正反合の弁証法でもある。

こうした正反合による弁証法は目の前にある大きな問題に直面した際に、使われる手法であるが、それはダンゴ虫が迷路に入り込んで目の前の障害物にどう立ち向かい、そこから脱出して生き抜く習性ともリンクする

ダンゴムシの習性で遊んでみた

10匹全員のダンゴ虫が弁証法(右左右左・・正反正反・・)で、無事迷路を脱出した。

中には、途中何度も諦めて、動かなくなったダンゴ虫もいたが、また動き出し、ゆっくりと時間をかけて、全員生き延びたのは、人間そのもののような姿をしている。

例えば、

癌になり、医者からあと一か月の命と宣告されたとしよう。

医者の言う通りにすれば死ぬならば、その反対のことをすれば生きられるという選択をする。

反対のことをしてもちっともよく治らなかったら、その反対のことをする。その反対のことをしてもダメだったら、その反対のことをする。

すると、生き残った元癌患者も世界中でたくさん出ている

柔道もまた、

「押してダメなら引いてみな、引いてダメなら押してみな」

「押しても、引いてもダメなら、回してみな」

これが三船十段が編み出した空気投げという弁証法である。

こうしたダンゴ虫の弁証法習性は、人類にも無意識にその遺伝子情報に組み込まれており、その時の常識でダメだったら、その反対を言い、行ったことで、真実がみえ、世界が大きく変遷してきたことはいろいろな史実からも知ることができる。

 

プラゴミこん炉で調理

火曜日, 4月 4th, 2017

薪コンロで毎朝調理していたら、ふと、半年分の分別した紙類、プラスチックごみ、汚れた燃えるコミ、燃えないゴミ、布類、ペットボトルなどはみな薪に入れたら、よく燃えるのではないか実験した。

すると、鉄やアルミ類やガラス陶器類は燃え残り、それはセメントで固めて、レンガにして利用できることを発見。唯一、電池などの危険そうな物質だけは粗大ごみで出すことにした。

生ごみは十数年前から電気生ごみ処理機で、いい香りのする肥料ができ、畑に播いているので、今回はほぼ99.9%は家庭でゴミ処理と湯を沸かしたり、料理したりするゴミこん炉として、一石三鳥の使い方ができた感じがする。

ただ、数十年目にできたダイオキシン(生理的には環境ホルモン)は突如毒があるとして法的禁止された。それまでは、どこの家庭でも、燃やしていたが、黒い煙がでて、匂いがするので、たぶん危険だろうと納得したのだろう。

今回、この黒い煙もほとんどでないし、匂いもほとんどしない燃やす方法を発見した。薪でも、不完全燃焼すると、白い煙がでるが、完全燃焼をすると、ほとんど煙がでない。

プラゴミでも、燃焼温度が高いので、こん炉はブロック6個半で組んで作った方が長持ちする。そして、プラゴミも完全燃焼させれば、黒い煙も、変な匂いもしなくなる。大きく硬いプラゴミはまず溶けるので、その下に薪を置くことで、溶けたプラを薪に絡みつかせ、燃やしやすくする。また、紙類はいちばん着火がよいので、そこに火をつけるとすぐつき、その上に柔らかいブラゴミを置くと、それはすぐ溶けて燃えて、高温になるので、紙だけよりも、プラゴミを混ぜた方がよく燃えるのである。

さらに、その上に、細かい薪、その上に太い薪をのせれば、ほぼ完全燃焼する。

これらすべて燃えた灰は白くなるが、途中水をかけるなどをして、プラゴミなどが不完全燃焼したものは黒い灰になり、匂いが残る。そのため、火は自然に消えるまで燃やし尽くすか、水をかけて消化した場合は、その灰や燃えカスは次回に完全燃焼させると、白い灰と匂いのしない灰になり、それで、焼き芋も作ったが、匂いもつかず美味しかった。

ちなみに、焼き芋は濡らした新聞紙にアルミホイルで包んで焼くと、新聞紙のインクが蒸発するので、匂いも味も悪く毒性になるのでやめて、アルミホイルも新聞紙など、なにもしないで、そのまま焼くと、皮もそのまま食べられて美味しい。

プラゴミは高温になるのでブロック6個半で組むのがいい

さらに、燃焼効率をよくするなら、二重コンロ、ロケットこん炉で高くすればよい

プラゴミが法的規制されたことは、

「科学が社会的デマに負けた」結果ともいえるだろう。きちんとして科学的データと、分別したリサイクル類が本当に再利用されているか、隠密裏に業者に委託されて燃やされているか、公に明示することが、大事であろう。そうすれば、科学がデマに負けて、無意味なまた悪循環するゴミシステムになることはなかろう。

参考に、9年前に、著名人が書いた本のダイオキシンと環境ホルモンの毒性の嘘が、その数十年前の農薬の残留物にあったとする記述を紹介する。

こうしたデータと、科学的検証と、分別ゴミの正確な行き先と、その量を明示されるよう、1日でも早く行われるよう切に祈りたい。

プラスチックゴミとダイオキシン
ほんとうの環境問題 池田清彦・養老猛司著 2008年発行より
p63-65
ゴミがないと困るハイテクのゴミ焼却炉

ゴミの処理をどうするかということで言えば、ゴミの焼却(とくに塩化ビニールのようなプラスチックゴミの焼却)による燃焼工程でダイオキシンが発生するということが問題になり、ダイオキシン類対策特別措置法(いわゆるダイオキシン法)が1999年に成立、2000年から発効となった。
2002年12月から本格的な適応が始まったそのダイオキシン法によって、家庭用焼却炉や学校の焼却炉では、紙ゴミや庭のゴミでさえも燃やすことができなくなった。
そのため、家庭用の焼却炉を製造販売していた会社は潰れてしまった。
代わりに、ゴミの焼却処分のために、住宅街から遠く離れた山の中などに、高熱でゴミを燃やせるようなハイテクの高級焼却炉が巨額を投じて建設された。
家庭用焼却炉ではなく、ハイテクの高級焼却炉をつくるメーカーはそれで相当儲かったわけだけれども、その高級焼却炉のある場所へゴミを車で運ぶためにだって相当のエネルギーがいるわけだから、そんなことをするくらいなら自分の家で燃やしたほうが本来は良いはずである。
そもそも、ダイオキシンの「環境ホルモン」作用で動物がメス化するだとか、家庭ゴミ焼却炉から出るダイオキシンで赤ん坊が死んでいる、などということが一時期よく騒がれていたけれども、それらはみんなウソであり、実はゴミを燃やして出るダイオキシンの量はそれ程多くはないことがわかっている。
ダイオキシンの量が増えた原因の大半は農薬であって(1960代後半から、1970年代末までに使われた水田の除草剤のペンタクロロフェノールやクロルニトロフェン中のダイオキシンが、分解速度が遅いためにその後も残存し続けているのである)、重大な健康被害を引き起こすような量のダイオキシンはゴミの焼却によっては生じないのである。
ハイテクの高級焼却炉というのはある意味で原子力発電所に 似ているようなところがある。
いったん稼動を止めてしまうと、再度、炉を高熱にするのにエネルギーがかかる。それでは効率が落ちてしまうから、そうならないためにずっと炉を稼動させてゴミを燃やし続ける必要があるのだ。
これは妙な話で、ゴミ処理を効率良くするために常にゴミがないと困ってしまうことになる。
ゴミを減らす 目的で作ったものなのにゴミがないとシステム上の効率が悪いからと、なんとしてもあちこちからゴミをかき集めてこなければならない、という変なことになってしまっているのである。
そんなにずっとエネルギーを大量に使って高熱を維持しているならば、場合によっては、その熱を別の 目的 に使うこともあっていいだろう。

ゴミ焼却炉と連動した温水プールがある例もあるようだけれども、私は、ハイテクの高級焼却炉でなら火力発電だってできるのではないかと思っている。
発電については後述するけれども、たとえばバイオ燃料 に比べても、ゴミからの発電の方が効率がいいはずである。なぜなら、それはただゴミを燃やすだけなのだから、生ゴミとペットボトルを混ぜて燃やせば充分発電ができると思う。
ハイテクの炉を稼動させるのにかなりのエネルギーと金がかかっているのなら、それを使って発電するぐらいのことは真面目に考えたほうが良い。

 

癌が治った124人の体験談に1100人大集合

月曜日, 4月 3rd, 2017

人間はなぜ治るのか?

心と体 病気の意味 人間は何故治るのか?①癌の自然退縮による意識の変容・気付き 4人の症例… 投稿者 sphere-project-tv

癌は生活習慣病

昔成人病と言われた糖尿病、痛風、リュウマチ、高脂血症、心筋梗塞、脳梗塞などは100歳近い日野原重明医師が長年国に働きかけて生活習慣病と訂正された。

そして、今、癌も生活習慣病も、間違った生活習慣を患者自身の努力で改めると治ると解ってきた。

癌の原因は、

ライフスタイルの乱れ、食事の乱れ、心の持ち方の乱れの三つである。

1.治った癌患者の8割は玄米菜食

発芽玄米のフィチン酸が悪いという誤解は訂正されている

2.手当の力

ビワの葉の温灸、ビワ葉コンニャク罨法(あんぽう}、里芋のパスタ、塩温石で、

モルヒネよりも痛み解消効果あり、胸水も腹水もとれる。

3.こころと免疫の力

◆マイナスの感情やストレスは免疫を下げる

(恐怖、不安、孤独、怒り、悲しみ、焦り、生きがいの喪失・・)

プラスンの感情は免疫を上げる

(安心、喜び、笑い、感謝、ファイティングスピリッツ、生きがい・・)

嘘も方便、信じれば救われる、

医者に胃薬と砂糖を与えても治るのは・・・

◆「イメージを変えれば治る」

東京国立がんセンターの所長が癌で亡くなった・・癌は治せないという悲観的イメージが原因

末期癌が治った人にあって、末期癌も治るんだ!・・と思ったら、楽観的イメージで快癒

◆「ウェラー・ザン・ウェル」(Weller Than Well)
「健康なときより、いっそう健康」
「自助努力によってガンを治した人は、ガンになる以前にも増して、心身共に、はるかに健康で幸せな人生を送ることができる」

◆癌を自然萎縮した人をたくさん知ると・・

さまざまな生活習慣病の中でも癌は癌は治りやすい病気であると信じられる

→ガンをはねのけ生き抜く力

すべては、あなたが治るため ・・川竹文夫著 NPO法人 ガンの患者学研究所