Archive for 12月, 2008

夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する

火曜日, 12月 30th, 2008

 「夢は必ず実現する」

ということが言われる。でも、それが100%ではないことはいうまでもない。しかし、100%信じていいよという意味の応援するメッセージである。

 最近、ダイットをしていながら、気がついたことがある。

「初心を忘れず、初心を毎日貫けば、必ずその結果が出る」

 実は、ダイエットが停滞し、リバウンドしてくるときは、初心「食事は1膳でお代わりしない!」を忘れて、お代わりしていたときえある。でも、もう一度奮起して、初心にもどり、「食事を1膳」にしたら、やはり、体重が減り始めた。

 しかし、それは「一食一膳を実行したら、ダイエットができた」という経験がうらうちされているから可能であったからだ。もし、初心が誤信だったら、けして実現しないという結果になる。

 「夢は必ず実現する」という夢には条件が必要である。

「夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する」

 その夢がよいことであれ、わるいことであれ、実現してしまうことになる。もちろん、それは真実に裏付けされた実践をし、初心を忘れず、初心を貫徹した場合である。

 では、今の貨幣システムの初心(夢)はどうだったのだろうか?

 お金の貸借に必ず金利をつけるという初心は、日本銀行が紙幣を印刷し、それを金融機関に貸し出すときから、金利をつけている。それが、市場に出回り、その金利はいわば安く仕入れて、高い金利で売るという商売のようにしている。しかも、国がその金融機関から借りる国債にも金利が必ずつけられる。それが国民にまねされ、最後はサラ金や高利貸しのように高い金利で商売されている。

 最終的に借金をした人は多重債務になって、借金のために借金を繰り返すことになる。そして、借金は借金でふくれあがり、破産することになる。これは単に個人的な多重債務者のことではない、国や地方もまた、この借金地獄に陥っている。先日夕張市が破産した。日本だって、国債と地方債合わせて1000兆円の借金がある。その利息だけでも、毎年数兆円もの税金が必要になっている。それが返済できる金額ではないことも、また、返済計画もないことはあきらかな事実である。

 その返済計画をだし、実践しようとしたのが大阪府知事の橋本さんである。でも、それが多くの議員からも府民からも反対がされて、実現は難しい。大阪府の借金が3兆円もあるというのだから、これはどうあがいても返済できる額ではない。

 そんな借金地獄に陥っているのは、世界の経済を引っ張っているアメリカである。ここ数ヶ月で、アメリカの国債は数倍にふくれあがった。そうなれば、世界的未曾有な経済危機になるのは当然のことだろう。

 国や地方が多重債務者のようになったのだから、どんなに働いても働いても、借金をかえせる見込みはない、それは働くのを放棄させるには十分な理由である。失業者が増え、多くの会社が倒産するのはそのためだといってもいい。彼らを救う国や地方がまた借金して彼らを救おうとするのが景気対策であるから、どだい無理な話である。

 多重債務者が生き残る道は法的に許された破産宣告しかない。それは国や地方でも同じことである。すべての借金をチャラにしてもらって、新たなゼロからの再出発しか生き残る道はない。

 こうした貨幣システムを構築する初心は何だったのだろう?

「このお金を貸すから、この元手にしてもっとお金を儲けて返してくれ。頑張ってな!」

というのが、初心であり、いわば金貸しの慈悲心であった。借金した方はその借金返済だけでなく、自分の生活費そして、その金利を返済しようと必死に働き、経済は活発に動き出す。

 つまり、金利をつけてお金を国民に貸し出すことは、「より働き、より生産し、より生活向上し、豊かな経済社会の実現」が夢であり初心であった。

 そして、その初心を100年貫いたので、その結果が出た。人々はより働き、より生活が向上し、より豊かな経済社会が実現した。でも、その結果は表向きはそうだが、その裏は多重債務者としての国と地方の顔であり、また、無理な拡大再生産をした結果、多くの環境問題、世界の人々の経済格差拡大をも生み出した。

 このことは、初心の夢が真実にうらづけされていない夢だったからである。より働き→より環境破壊、より生活向上→より経済格差拡大、より豊かな社会→平和より戦争 という真実社会を生み出したのである。

 つまり、他人よりもっと働き、もっと生産し、もっと豊かになろうという夢は真実から逸脱した夢であったために、実現できなかったのである。しかも、その無理な夢を後押しした、貨幣システムが金利をつけて貸し出すこと自体、お金がお金を生み出すという盲信と錯覚をふくれあがらせてしまったのである。

 もし、1万円札を机の上においてそのままにしたら、それが自然に金利が付いて、1万円札が2万円にはならないのは真実である。それがたとえ、商売に使われても、財布の中の金が増えることはありえないことである。増えることはないが、それが災害で燃えたり、なくしたりすることはあるので、減ることだけがある。

 科学的真実からいえば、印刷された貨幣はそれ自体ではけして増えることはない。しかし、時間がたつと、それは紙であるので、必ず劣化し、書かれた数字も見えなくなり、最後は必ず消滅する。

 金利をつけてそのお金を増やして返してもらうこと自体が無理なことである。しかも、お金を貸して返すこと自体無理なことである。金利ゼロにしたとしても、AさんからBさんにその1万円札がわたり、それがCさんに・・・Dさんに・・・というように、まわり、Aさんに奇跡的にその1万円札がもどってきたときには、Aさんから直接の返済ではなく、Zさんからの無利子で、借りたお金になるというのが貨幣の真実である。

 つまり、お金の貸借というのはお金を社会全体にめぐらせるという意味であり、貸したお金は貸した相手から返済されるという約束でなく、お金を誰かに貸したら、誰かにお金を貸してもらえるという暗黙の約束みたいなものである。

  これが貨幣の科学的真実である。その真実にのっとって、豊かな経済社会を築こうとするなら、100%実現する。

国や社会がこの100年間むやみやたらと戦争し、環境破壊し、経済混乱させたのは、こうした貨幣の科学的根拠なしに、築き上げた盲信と幻想と錯覚と誤解から生まれた結果である。

 そのため、

「夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する」

 ことを実践するなら、

「必要なだけ働き、必要なだけ生産し、世界全体の平均的な豊かさを私は実現しよう」

とし、金利はゼロは当然であり、お金を貸せば必ずその分のお金は借りられるという保証を政府がつけたら、この夢は100%実現する。 

お金は誰のものにもなりえない

土曜日, 12月 27th, 2008

 先日ゲゼル研究会の講演があったときに、その会員の一人からアンケート用紙が配られた。それはゲゼル理論への疑問点である。

「ゲゼルは減価するお金を提唱していますが、それはお金を貯蓄することを否定していませんか?また、貯蓄することは必要がないのでしょうか?」

 という質問だった。ゲゼルは本の中で確かこう答えている。「どんな動物も、将来に備えて貯蓄する習性がある。お金が減価するからといって、貯蓄をしないようにはならない」

 そんな内容だった。それは、必ず消滅する食べ物であれ、それを何か飢饉があったときのために保存するのは当然の行為だ。お金もまたそうなるだろうという意味に私はとらえた。

 最近、私はゲゼルがはっきりと言い切らなかったことを、もっと進めて考えてみた。すると、こんな結論が導き出された。

「お金は誰のものにもなりえない」

まず、お金を貯蓄するということはどういうことか?ということだ。

私たちがお金を貯蓄する場合は、銀行にお金を預けることだろう。自分の家にお金を貯蓄すれば、火災や泥棒にあって、全部失う危険があるからだ。

 銀行に預金されたお金はそのまま使われないで、ただ預けられたということはありえない。銀行は預金されたお金を元手に他の人にお金を貸し、それをまた返金させる。それがしいては国債になり、またはアメリカの国債にも使われる。これは国民年金でも同じことである。

 でも、銀行に預けたお金は自分が必要なときはいつでも引き出すことができる。その引き出したお金は自分が預けたお金ではなく、めぐりめぐった他人のお金である。企業が返金したお金か、誰かが 預金したお金か、国債が償還されたお金かである。

 つまり、お金には自分の名前が付けられないものである。唯一、お金に名前が付けられるのは日本銀行だけである。そのため、お金を貯蓄するということは、他人にお金を貸して返してもらうという行為に他ならない。それは発行者の日本銀行だけが名前を持っているので、貯蓄できることになるが、日本銀行がお金を発行し、多くの人のそのお金を使ってもらわないと存在できない。そのため、たとえ名前があったとしても、貯蓄する意味がない。つまり、銀行券を発行した日本銀行の主旨である、お金をすべての人に使ってもらい、めぐりめぐらせることが貯蓄するという意味なのである。

 そのため、先の質問は別な問題となる。自分が必要なお金がいつでも得られるかどうかという問題である。それはお金の問題というよりも、モノやサービスの貯蓄の問題と同じである。お金はそれらと交換する証文にすぎない。そのため、将来にそなえて、お金を貯金するということは、モノを保存することと同じととらえてかまわない。どんなモノも老化し、消滅するように、お金は使わなければ老化し、消滅する。

 しかし、モノもサービスは使われ、消滅と生産をくりかえすことで、人が必要なモノトサービスが得られるように、お金もまた、使われ、消滅と生産がされてこと、一定の必要なお金を得られることができる。

 ゲゼルの提唱した減価するお金は、お金をより使わせるためのシステムなので、むしろ、人々が安心してお金を引き出すことができるシステムになるということである。

 実際問題、銀行に預けた100万円が年に1%減価して、99万円になることと、年に1%増えて101万円になることと違いで人はどのような気持ちになるだろうか?

 たとえば、子供の将来の教育資金をして、お金と積み立てたとしよう。

 現在のようにお金がお金を生み出すシステムだと、後者のように、より利息が入る投資に頭がいくだろう。年に2%の利子がつくような投資銀行にくら替えするだろう。株式投資や、為替の差益をねらう行為に走るだろう。

 でも、年1%減価するとしたら、お金でお金を増やそうとはしないで、お金をモノやサービスに変えて、お金と増やそうとするだろう。教育資金があまりかからない公立の学校にいかせるために、より子供の勉強させるだろう。また、もっとお金を稼ぐために、仕事をより効果的にするだろう。

 そのため、減価するお金はより実体経済が大きくなり、金融経済が小さくなる。増価するお金はより金融経済がふくらむが、実態経済は小さくなるのである。

 これはお金を貯めようとすると、モノやサービスが減少し、モノヤサービスをためようとすると、お金が減少するということになる。

 暮らしを安心させるためには、モノとサービスを増やすことであり、お金を増やすことではない。そのため、現在のお金がお金を増やすシステムをお金を減価するシステムに切り替える必要が、将来安心して暮らせる経済システムになる必要条件なのである。

ヤレヤレパソコン自体が壊れちゃったよ

水曜日, 12月 10th, 2008

 全部インストールしたり、設定をしなおして、やっと快適にしたと思いきや、その喜びもつかの間、またまた徹夜で、修理?いやいやパソコンを廃棄して、ノートパソコンに全部移動せざるをえなくなった。

 どんな調子かというと、スイッチを入れると、ウインドーズが稼働するが、それが突然、電源が切れる、そして、再起動というのを延々と繰り返すという状態である。これはもうパソコン自体をあきらめるしかないと判断した。実はこうした事例は過去二回あり、修理に出したが、すぐに同じ症状になり、また修理させる。専門家でも困ったようだ。そこで、全とっかえしてもらったが、それまで、半年という修理との格闘があったからだ。もう二度とこんな症状を治そうなどとはしないと経験からして、ぱっとあきらめた。

 考えてみれば、突然、パソコンが使えなくなったというのを、単にソフトを入れ替えただけで治そうなんて判断したのが無駄な苦労の重ねだ。

 先日、経済危機のいっときの脱出案を出したが、たぶん、それでも、すぐにおかしくなる経済状況かもしれない。というのは、この時代の経済恐慌は、過去数千年に一度の大事のような気がする。つまり、世界規模だからだ。戦争だって、ついこの間まで世界規模だった。つまり、昔のような単に「借金をチャラにする政策」では、まずもって、2年かもしれない。

 だって、私のパソコンは二日でだめになったのだから。そこで、今回の経済危機は数千年続いた貨幣制度を捨て去って新しい貨幣制度にしないと、経済安定は長続きしないようだ。

 だって、65億人のうちの2000万人が地球上のほとんどの貨幣を私物化してしまったのだから、その格差はあまりにも大きすぎるからだ。そのため、何が原因なのかハッキリとつかみださねば、この脱出策は出てこないだろう。

 私も新しいパソコンにしたのだから、世界の新しい貨幣制度にしたらきっと快適になるよ!

うっかり3ヶ月分のデータを消してしまった

月曜日, 12月 8th, 2008

ゲゼルの講演会に行って、帰宅したのが深夜の1時を回っていた。でも、仕事の電話で、すぐにデータを入れ替えて寝ようとしたら、なんと、パソコンが動かない。

 いつかこんな日が来るとは思っていたが、しかも、疲れ切って帰宅したときに来るとは何と皮肉なことだ。こうなると、寝るどころの騒ぎではなくなる。そして、運の悪さは重なるもので、頭の回転が悪く、ミスばかりするようになった。

 結局、パソコンをばらすことにして、ソフトを動かすCドライブにウインドーズXPを重ねてしようとしたら、それができない、そして、昔のハードディスクでやろうとしたが、それも動かす設定ができない。やむなく、使っていたソフトのハードディスクをフォーマットしないとできないとわかり、それをしようとした。

 問題はこの時点で、自分はデータをDドライブに入れてあるから、たとえ、Cドライブをフォーマットしても、安心だとつい思ってしまった。でも、それが不幸の上塗りだった。最新のメールのデータと顧客管理のデータはCドライブにあることをすっかり見過ごしてしまった。それに気づいたときは、フォーマットが動き出してから、5分してからだ。そうなると、あとの祭りだった。

 ときどき、こういうことがあるので、CDにデータのバックアップをとってある。それの最新が9月始めだったので、消したデータは3ヶ月間だった。もし、帰宅したときに、パソコンをいじらなければ、また、たとえ、パソコンが動かなくても、翌日操作して、落ち着いて、直せば、こんなミスはまずなかった。

 人は、運の悪さをどんそん上塗りしてしまうようなところがある。その逆もきっとあるだろう。運のよさもまた重なって命が助かる場合だってあるからだ。

 結局、徹夜し、二日間ぶっ通しで、パソコンが動かせ、必要なソフトを入れ、いろいろな設定が完了し、ホームページを更新できたのは、発見してから、50時間後だった。そして、やっと7時間寝ることができ、こうして、ブログを書くこともできる余裕もでてきた。

 自分の不幸のミスを嘆きながら、今世界が直面している経済危機をそれに重ね併せてみた。何か似ている。

 失敗を失敗で何度も上塗りしている。嘘の上塗りを繰り返して、最初の失敗をさらにひどい状況にしてしまっている。

 これは、人を助けようとして、助ける人もまた二次災害を受け、その援助者を助けようとして、また三次災害を呼び込んでしまう大事故につながるようなものである。

 経済危機は最初はサブプライムローンの破綻がきっかけだった。それで、大手の投資会社リーマンブラザーズが破綻したのだけれど、それから、次々と倒産するかもしれない銀行を救おうとして、政府が資金注入することで、さらに、その被害は世界中に広がって、最悪のシナリオである世界恐慌につながっていく。

 過去、こうした事例は資本主義社会である限り、その経済危機の大小はあるものの、何度もくりかえされることなのである。貨幣システムもいわばパソコンのようなものであって、そのシステムが異常をきたさないことはありえない。完璧な機械がほとんどないように、どんなシステムも、完璧なシステムはない、必ず支障をきたすことがあるといえる。

 問題は経済システムが壊れたときに、それを処置する方法を何度も間違ってしまうと、さらに悪い方向に向かってしまい金融恐慌を引き起こしてしまう。

 でも、「失敗は成功の元」「ピンチはチャンス」と言われるように、こうした経済危機のときに、今までの貨幣システムを抜本的に改良して、二度とこうした経済危機が訪れないようにできる絶好のチャンス到来だともいえるからである。

 私のうっかりミスの損失は、データ消滅した3ヶ月の期間であった。これを今の経済立て直しに使えないかという発想が出た。お金の数字はいわばデータである。その数字は完璧に管理していれば、永遠に消えない数字であるが、人はミスをするために、その数字は消えることもあるということだ。

 人にとってもっとも大切なのは人の命である。この命は消えたら消してもどらない。永遠不滅の数字だって、その数字を認識するのは命ある人間なのだから、管理数字は消えることがありえるのは自然の理である。

 そこで、今の経済危機を回避する方法は、たった一つある。しかも、誰もが納得できる方法が一つある。景気対策でお金をばらまくのは、嘘の上塗りをどんどんするようなもので、最悪、世界的金融恐慌を引き起こす原因になるので、それはとにかく回避して、昔から行われている断固として政策を実行するしかない。この政策はたとえ、大きな金融恐慌になったとしても、一番の特効薬なのである。

 経済危機のすべての原因はお金からお金を無制限に生み出す「金利」にある。そのため、世界のお金はそれぞれの中央銀行からの借金とその金利から、無制限にお金が増殖されている。日本やアメリカが、今年のジンバブエのように、政府がその政策で、無制限にお金を発行したら、100万倍のインフレになるが、そうならないのは、無制限にお金を印刷しないで、無制限に国債を発行しているからだ。今年に入って、アメリカの国債は3倍にもなった。日本だって、国債を減らそうという機運なんかは景気対策で、凍結されてしまった。つまり、どんどん国債を発行しなければ失業対策も、景気対策はできないからだ。

 もし、投資家や投資会社が国債を現金化したら、中央銀行はお金を何千兆円も印刷をしなければならなくなり、超インフレになり、特にアメリカドルはパルプにもどされ、トイレットペーバーと同じになってしまう。

 これは銀行が危ないときには、そこに預金していた人がみな一斉に現金化して引き出す取り付け騒ぎになることと同じ現象である。銀行に現金はない、そのほとんどは投資するための、管理数字である、借金と、貸した債権しかない。 

 つまり、今の経済不況は「もし世界が100人の村だったら」をそのまま表している。

  「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍」という富とはお金の貯蓄額である。そして、経済不況になったということは、金儲けによって淘汰されて、

3人が全世界の富の90%を所有し、その3人ともがアメリカ国籍で、その他の世界の人は残りの富の10%をうばいあっている

 という世界経済状態になったためである。ところが、この富の90%は債権でできており、それは単なる管理数字である。そして、この管理数字を保証し、権威をつけているのは各国政府であり、とりわけ、アメリカである。

 ここで、世界各地の昔から行われた政府の断行策を今実行するしか、この泥沼を抜け出る方法はない

 それは借金をすべてチャラにすることである。どんな貸し借りで発生した利子をすべてゼロにすることである。

 昔から行われていたのは、宗教政治における聖なる日に、これまでの借金をゼロにした。また、江戸時代では、過去10年以前の債権(貸し借り)をゼロにする政策があったように。

 江戸時代は実に頭がいいので、借金を全額ゼロにすると、急激すぎるので、条件をつけて、昔のことは忘れて、明日のことを考えましょうということにしたとうのは、実に日本的ある。キリスト教やイスラム教もまた、「聖なる日」といういわば、どんな罪人も無罪放免する日を作って、恩赦が神の愛という独特な手法が生まれていたのである。

 国債の増殖に苦しんでいる国は多いはずだ。それがチャラになるのだ。でも、それで誰が困るというのだろう。誰も困らないのだ。国債を持っているのは投資家と投資銀行である。彼らが世界の90%の金をもっているのだから、それがゼロになったとしても、証券以外の資産は山ほどあるからだ。

 もし、国が景気対策でお金をばらまけば、その金のほとんどは金利で投資家や投資銀行にすべてながれこんでいき、彼らだけを救うというより、金儲けさせるだけなのである。

 こうした借金をチャラにする方法は、援助国からの応援された借金とその利子が返せないで、困窮している国も救われることになる。

 いわば、金儲けの終演で、「ゲームセット」して、今までのすべての貸し借りゲームを終了してゼロにもどして、再び、ゼロから、金儲けゲームを始めましょうという精算日になるようなものである。

 もし、この経済危機が100年に1度ならが、100年間の世界のすべての借金をチャラにするのが精算日であり、聖なる日であり、再出発日なのである。

 私の管理数字は、3ヶ月前なので、世界の聖なる日として、2009年1月1日をもって、3年前の2006年以前の借金のすべてをゼロにし、返済必要なしにすればすぐに世界の経済事情は一気に好転し、みな幸せな2009年は迎えられることになります。

 そして、今後、こうした経済危機に陥らないように、新しい貨幣システムを研究していったらいいと思うのです。

やっとゲゼルを読んだ

土曜日, 12月 6th, 2008

といっても、最終章の金利に関する理論は読む時間がなく、さっと目を通しただけだったが、とにかく、明日ゲゼルの講演会までには、なんとか予備知識を持つことができた。

 いわば、予習みたいなものだ。それにしても、私の勉強方法は実に理解しやすいように思えた。最初に、無理して全部読まないで、刺激されると、それをきっかけに独自の理論で、お金を解明しようとした。そして、それを展開していくと、どうにも、うまく説明できない箇所で、止まってしまう。そのときに、また、教科書ともいうべきゲゼ自然経済学を勉強するという繰り返しをした。

 しかも、明日の講演会を読了の期限として、定めたおかげで、いっきに最後まで読み通すことができた感じだ。こういう方法でないと、難解な経済学の教科書を読むような感じで、途中挫折してしまう学生が多いのではないだろうか?

 昔、学生のころ、友人が、マルクスの資本論を一緒に読もうとさそってlくれた。でも、それはたった1回か2回で二人とも挫折した。まったく何を言っているのかが理解するのがとてもできなかったからだ。

 それから、40年の歳月がたって、ゲゼルの自然経済学を読む機会にめぐまれ、当時、無理してマルクスの資本論を読もうと努力しなくてよかったとつくづく思ったしだいだ。マルクスの経済学が、100年の月日で、実践されて、その理論がまちがっていたことを証明したのが、共産主義国家のソビエト連邦の崩壊である。そして、ゲゼルはマルクスの資本論の根本がまったく間違っていたことを指摘した。

 それは金利に関する見識である。マルクスは「商品=お金」であるという設定をしてしまい、さらに、「金利=労働」だと勘違いしてしまい、その間違った理論で、分厚い資本論を構築したのである。基本となる「お金が何であるか」、「お金の定義」が間違った場合、そこから構築された理論はすべて間違ったものになる。

 そして、ゲゼルのお金の理論に関しては、世界中の政治家がまったく無視してきたが、100年後になって、それまでの経済の100年を振り返ると、それを見事のその理論がもっとも通用し、歴史そのものが、ゲゼルの理論の正しさを証明している。

 でも、ほとんどゲゼルの自然経済学に関して、今でも無関心な社会である。そのため、ゲゼルの研究者は少ないし、その言葉の影響力はほとんどないのはとても残念でならない。

 経済学についてはまったく素人である私でさえ、彼の理論を理解することは難しくなく、実にシンプルでわかりやすく説明してくれている。それでも、今の経済学者も、政治家も、学生も、ゲゼルを学ぼうとしないことは実に悲しむべきことだ。

 ゲゼルがいうことはいわば、コペルニクスが天動説は間違いで、地動説が正しいといっているようなもので、経済学において、基本となるもっとも大きな発見であることだ。

 先のマルクスが「商品=お金」というのがいわば天動説で、地動説は「商品≠お金」だとゲゼルが発見したことだ。これは単純なことだ。どんな商品も腐り消滅するが、お金(に書かれた数字)はけして腐りも消滅もしない永遠不滅の存在である。だから、けして、同じではない。

 また、「金利=労働」というのも間違いだ。お金がお金を産むという設定が金利である。それは労働に関係なく付くものであるから、「金利≠労働」である。これをみなマルクスのように間違ってしまうと、人は労働しないで、お金をお金で増やそうとするする人ばかりになってしまい、経済は破綻してしまう。

 今日の経済・金融破綻はまさに金利に対する誤解から生まれた、大投資家たちの才略から生じたものなのである。簡単にいえば、金持ちが貧乏人に金利をつけて、働かせ、それで得た商品で自分が裕福に暮らすための法律で守られた権力・暴力に他ならないのである。

 こうしたことは、サラリー金融でよく起こることだ。それで命を失う労働者もいるだろう。それが戦争の原因でもある。こうしたことが明快にゲゼルの理論で理解できるようになる。それはいままでの歴史的事実でそれが正しいことであるという証明さえできるものである。

 ともかく、今日は明日の準備をして、寝ることにしよう。明日がとっても楽しみだ。講演者の本を読んだことはないが、たぶん、そこで話されるだろう。