Archive for 9月, 2014

奪い合う貨幣から 分かち合う貨幣へ

日曜日, 9月 28th, 2014

貨幣とはこの世にあるすべての商品やサービスそして権利を

交換しあうためにつけた値札である

しかし

現在 値札を取り合うゲームが主流になった金融経済が9割を占めている。

発行された値札で地球が10球買えるほどである。

貨幣が世界で採用されてから

世界の経済生活は豊かになった一方で

所得格差も大きくなり 富める人と貧する人の差は大きくなり

極すれば貨幣を得た人だけが生き残り、貨幣を失った人は死なねばならない

それが現実世界となっている

自由市場はまさに殺すか殺されるかの戦争状態であり

そうした市場競争が発展させた経済技術は

いわば 戦争技術であり 核爆弾 細菌兵器 大量殺戮兵器のようなものであり

原発技術は電気を作る一方 放射性廃棄物を作り

金融商品は貨幣から貨幣を大量に増やす一方 大量に減らす

それは強い人間だけが生き残り 弱い人間は死なねばならない運命へと導く。

貨幣は基本的に今ある商品サービス権利の分配法である。

自然法がともに人類が生き残る道を示すように

自然法に則した貨幣法は自ずと 世界の貨幣をどう分配したらいいのかも照らしている。

奪い合う貨幣から分かち合う貨幣経済文化への転換の時期がきている

 

 

法とは何か

日曜日, 9月 28th, 2014

人間は身体と心を持っているが

その心とは身体の欲求のことである。

 

心が身体とは別に存在するかのように思えるのは

身体を動かない個体として想定して考えているからである

 

食べたいという欲求すなわち心は

身体が食べ物を欲しているから起きるものであるから

心は食べ物にあると言えるのである

身体と心ははこの世を存在と時間に分けて考えるようなものである。

 

明日の自分とは今日の自分が望む姿であるからこそ 神仏であるといえる

その場合 問題は

今生きている70億人の数だけ70億の神仏が存在することになり

お互いにぶつかり合う欲求になる 宗教戦争のように。

70億の人類が神仏であるということは 70億の自由が存在するということである

この70億の自由を互いに尊重するラインが法であり、自然法とも言われる

 

自然法は70億人の神仏の暗黙の合意に基づいて形成される

みな生きたいから 殺すな!

みな幸せになりたいから 苦しめるな!

という自然法ができる。

さらにこの自然法を発展させると

産んだ子供が幸せに生きられるような家族計画や愛が法律になる

世界の食べ物や文化を分かち合う法律ができる

国が法律を作っては壊し また作っては壊すが

そして それらはとてもおかしな法律が多いものであるのは

そうした国で作られる法律が

人類1人1人の自由を尊重する自然法に則ってはいないからである。

 

殺すな! という人類の自然法に則すれば

戦争放棄は当然であるし

さらに 自衛のため敵を殺すという正当防衛もなしである。

自然法はどんな時でもお互いに生きられる道を選択するからである。

 

 

神仏とは本当になりたい自分だった

日曜日, 9月 28th, 2014

社会や国は実際に存在するのではなく

それは単に個人の集合体という名称である

神仏だって

人類が求める理想の姿の名称であって

実際にこの世にもあの世にも存在するものではない

では一体

国や神仏があたかも実際に存在するかのように思いこんでしまうのだろうか?

この地球 この宇宙は実際に存在しているが

その存在を確認し 証明する存在は生きた自分である

社会や国が地球や宇宙の存在を 科学的に証明しようと

それを受け入れ信じるのは生きた自分である

つまり

生きた自分が存在しなければ この地球も宇宙も 社会も国も 存在しないのである

存在しないだけでなく 存在さえできないのである。

 

このことは

国も神仏も 生きた自分が存在せしめているという事実である

では 生きるとは何なのか?

生きるとは 明日の自分に向かって進むことである

逆に死ぬとは昨日の自分に帰ることであるともいえる

 

存在とは時間がなければ成立できないので

存在は時間であるとも言えよう

つまり

今日の自分が明日の自分に向かって生きるときに

国や神仏の存在を証明するだけでなく 存在せしめるのである

すなわち

神仏とは明日の自分の姿だったのである

明日の自分とは自分がなりたい自分の姿である

それは神仏だけでなく

この地球 宇宙 社会 国の存在さえも

明日の自分を回りから観た姿であるといえるのだ

そのことは

神仏も 地球も 国も

今生きている70億人の数だけ存在する

存在するというより 存在せしめている

それは

存在すると思いこんでいる 信じ込んでいるともいえる

逆にいえば

あなたがどう信じるかで

神仏も国も地球も宇宙も 違って存在しているように見えるということだ

よく

自分が変われば 世界は変わってみえる というが

その通りで

自分が死んだら 何も見えない

自分がどう感じるかで

神仏も世界も 違った存在になるのである

だったら

明日の自分をどうするかで

神仏もこの世界も変わって存在してくる

それは

自分が本当になりたい自分の姿が

神仏であり この世界であるということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正当防衛は本当に防衛となるのか

金曜日, 9月 26th, 2014

転ばぬ先の杖

最近 散歩する上で 山歩き用の杖を買った

めったに転ばないので 杖は邪魔になるだけとは思ったが

何か犬を連れて散歩するような気分になる

杖が二本だと 四つ足で歩く感じになるのだが

一本だと それは歩く先をいく道しるべだったり

杖の音が1234というテンポをうながす感じになる

山に入ると熊なんかに襲われるかもしれないと感じることがある

そうした時、杖があると便利である。それは防衛に役立つからだ。

「相手が自分を殺そうとしたら 相手を殺して自分を守っても良い」

というのが正当防衛だし、それが戦争の基本理念である。

だが、熊から身を守るために鉄砲を持つだろうか?

鈴か杖で追い払うので充分で 熊を殺さずに追い返すだけで充分ではないか。

人は熊を殺そうとして銃を持つが 殺されまいと銃を持たない

仇討ちがいわば正当防衛のように正当化された時代があった

しかし それは負の連鎖を生むので 仇討ち禁止令になった。

「敵を殺さねば殺される」

というのが戦争が大きくなる負の連鎖である

これは正当防衛を正当化しか戦争被害を大きくするもので

いわば 災害の二次三次災害を増やすようなものである。

だから

これからの戦争には

正当防衛禁止条約が必要だろう。

これからの防衛は

「敵を殺さずに自分を守れ」

である。そのためには

核も人殺し銃も爆弾も必要ない

敵を追い返す 水鉄砲やスタントガン

敵から逃げる煙幕や麻酔銃をより文化的に発展させる必要があろう。

死刑制度もまた本当に凶悪犯罪から守る法律になっているだろうか?

イスラム国が外国人を死刑にして自国を守り発展させようとしているが

それはかえって諸外国からの攻撃を拡大させているように

それも負の連鎖といえるのではないだろうか?

死刑にせずとも 国民の安全を守れる法律を作ることが必要であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老人の放浪とは

木曜日, 9月 25th, 2014

青年時代 放浪生活に憧れていた

テントと寝袋を持って

日本やヨーロッパをきままに旅したが

心が安まることはひとときもなかった。

老年になってまたそんな旅をしてみたい気分だが

昔の反省をし

心休まる放浪を企画してみたくなった

条件は

1 帰るところがある

2 一定期間内であること

3 目的を明確にすること

最近 災害が多いので

もし 災害で家が潰された時の一週間のキャンプ生活をしてみたらどうだろうか?

そうすれば

いつ被災しても安心できる生活ができる

好きな柔道もそうだが

誰かに襲われた時の対策から そのスポーツは生まれたように

1週間の防災キャンプをいろいろと工夫すれば

それは登山にも 放浪にも楽しく応用できるのではないだろうか?!

また

本当に必要なものだけを持つようなダイエット生活にも応用できるだろう。