法とは何か

人間は身体と心を持っているが

その心とは身体の欲求のことである。

 

心が身体とは別に存在するかのように思えるのは

身体を動かない個体として想定して考えているからである

 

食べたいという欲求すなわち心は

身体が食べ物を欲しているから起きるものであるから

心は食べ物にあると言えるのである

身体と心ははこの世を存在と時間に分けて考えるようなものである。

 

明日の自分とは今日の自分が望む姿であるからこそ 神仏であるといえる

その場合 問題は

今生きている70億人の数だけ70億の神仏が存在することになり

お互いにぶつかり合う欲求になる 宗教戦争のように。

70億の人類が神仏であるということは 70億の自由が存在するということである

この70億の自由を互いに尊重するラインが法であり、自然法とも言われる

 

自然法は70億人の神仏の暗黙の合意に基づいて形成される

みな生きたいから 殺すな!

みな幸せになりたいから 苦しめるな!

という自然法ができる。

さらにこの自然法を発展させると

産んだ子供が幸せに生きられるような家族計画や愛が法律になる

世界の食べ物や文化を分かち合う法律ができる

国が法律を作っては壊し また作っては壊すが

そして それらはとてもおかしな法律が多いものであるのは

そうした国で作られる法律が

人類1人1人の自由を尊重する自然法に則ってはいないからである。

 

殺すな! という人類の自然法に則すれば

戦争放棄は当然であるし

さらに 自衛のため敵を殺すという正当防衛もなしである。

自然法はどんな時でもお互いに生きられる道を選択するからである。

 

 

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