Archive for 9月, 2010

ベーシックインカムは生活貨幣で

金曜日, 9月 24th, 2010

 生活保護で生活している人が私の回りでも増えているような気がする。

 そうした人の生活をみていると、何か生きる気力が少なくなるような気がする。

 私だって、年金が入る年齢になると、うれしいよりも悲しい感じになったことは事実である。

というのは、自立心の方が大きいからである。生活保護を受けている人もそれを申し訳ないというようなことを行っていた。

障害者の目的は普通の生活ができることである。老人もまた普通に生きられることである。

また、私のメタボも、基礎代謝の分だけ食べ、基礎運動だけができることが目標である。

 障害者や老人や病人はただ生きられることだけを目標にするが、自分の力だけでは生きられないのが現実である。

 他の力を借りるためには、まずは食料であり、それを食べる体力と気力である。お金だけではそれができない、お金を使ってそれらを買うしかない。お金があったとしても、それらが手に入るとは限らない。それらを提供する業者が少なければ、需要と供給の関係で、多額のお金が必要になる。

 日本の食料自給率が非常に少ないことは、他国との関係が需要と供給で、他国の災害などで、食料が暴騰する危険がある。この食料自給率と生活保護者の自立心とは連動しているような気がする。

 今のお金はなんでも買えるために、金で権力を買うことで、より多くの金を得ようとする。しかし、国が戦争や災害で、食料が少なくなった場合はお金では食料は買えなくなり、食料配給制になる。

 世の中が進歩する場合、災害などがあって、その反省から生まれ変わることがあるように、最悪の状況下でも、国民がやっていけるようなシステムを今のうちに作っておく必要がある。

 ベーシックインカムを単に今のなんでも買えるお金で行うよりも、国が災害時における食料の自給率を上げることと、食料配給が充分に行えるようにするシステムを今作る必要がある。

 この食料自給率をあげ、食料配給をするシステムこそ、新しい生活貨幣である。それはなんでも買えるお金ではなく、食料と生活必需品だけを買えるお金を作ることが今必要だと思えるのである。

 そうすれば、物価が需要と供給で毎日上がり下がりすることは少なくなる。なんでも買えるお金がなくても、生活貨幣さえあれば、国民が協力して生きられるという自信が生まれるだろう。

円高円安対策は輸出入企業の協力で

日曜日, 9月 19th, 2010

 お金は天下の回り者。

円高で損をするのは輸出会社、得をするのは輸入会社。

 だったら、

その損得を政府が介して、チャラにすればいいではないか。

政府はアメリカ国債で損をするより、単に仲介し、輸出入企業の為替保証をしてやるだけでいいではないか。

円高為替で、輸入企業が儲かった分、輸出企業の損失分を埋めてあげればいいではないか。

その逆の円安為替だったら、輸出企業から輸入企業に為替利益を回してあげればよい。

 もし、それができなかったら、、

例えば、政府は1ドル90円以上でしか、交換しないという制限相場を宣言するだけでいいではないか。

どうして、アメリカに隷従するような経済政策をするのか不思議でならない。中国が輸出で経済発展しているのは、ドルとの固定相場制だからだろう。

大体、政府は法律を作るのが仕事なんだから、円高だって、1ドル90円以上でしか交換しないという法律を作る方が為替被害を防ぐ簡単な方法だと思うのだが、どうして、それを将来の国民の税金で穴埋めしようとするのだろうか?

 あまりにもアメリカ隷従の仕方だ。普天間基地だって、はっきりもう沖縄に基地はいらないので、アメリカ領土のグアムに作ってくださいと宣言するだけでいいではないか。

 自国のことは自国がリーダーシップをとるべきだと思うのだが・・・

政府紙幣から国債、国債から期限通貨へ

金曜日, 9月 17th, 2010

9月15日に政府は為替介入を行った。それは結局、日本の国債でアメリカ国債を買うことになるので、一時の円高熱さましには有効だが、長期的な円高対策にはならない。その為替の累積損額は数十兆円になっている。

 そこで思ったのだが、結局、お金のシステムに問題があるってことだ。

世界の中央銀行システムに変わったのは、政府紙幣によるハイパワーインフレを防止するためだった。

政府紙幣の問題・・・・・いくらでもお金を印刷して・・・・政府紙幣が紙くずになって、ハイパワーインフレになる。

中央銀行制度の問題・・・いくらでも国債を発行して・・国債・債券・株券が紙くずになって、ハイパワーデフレになる。

 政府紙幣は税制に問題があり、中央銀行制度は信用貨幣に問題がある。どちらも、政府が国民にお金を回すが回収できない状態になる。お金が国民の血液だとすれば政府は心臓に当たる。心臓から送り出された血液は元の心臓に戻らず、対外に流れ続けて、出血多量で死んでしまう。

 そこで、第3のお金のシステムに変革せざるをえなくなる。

期限通貨システム

 政府紙幣を循環させる力は税制であり、中央銀行の借金を返済させ力は信用である。どちらも、国民の努力によってお金を循環させるものだ。しかし、この努力は国民の格差拡大で破壊される。

 お金はお金自身の力で循環させるようにすれば、自然の水の循環のようになれる。

 お金の通用期間を設ければそれが可能になる。

 例えば、すべてのお金を1年間で政府と国民の間を循環させるには、お金の発行通用期間を1年間にするだけで可能になる。

 これは、政府紙幣ならば、年100%の税制に当たる。借金システムの日銀券ならば、無利子で1年後元本全額返済に当たる。 

 もし、10年の期限通貨にすれば、政府紙幣ならば年10%の税制になり、日銀券ならば無利子で元本均等割返済になる。

 この場合、政府は期限通貨の毎年の発行額は当初発行額の10%になる。そして、期限通貨の場合、国民の努力は必要なくなり、税金も借金返済も必要なくなる。

 その分、国民は昨年の期限通貨を今年の期限通貨に変更せざるをえなくなり、その交換する際に、昨年の期限通貨は10%減価され、政府紙幣では10%の税金を払うことになり、または日銀券ならば10%の元金返済することになる。

 中央銀行制度から、この期限通貨制度に変えるためには、世界全体で同時に行った方がより実行しやすいと思われる。

福岡正信の米麦クローバーを挑戦するか

日曜日, 9月 12th, 2010

 いろいろな批判はあるものの、自然農といえば、「わら一本の革命」の著者福岡正信のやり方だろう。

 その方法をネットで調べた。

米と麦作りの方法

 秋、まだ稲のある内に(10月上旬)クローバーの種を10アール(1000㎡)当たり500グラムほどばら播く。つづいて10月中旬に麦の種を10アール当たり6~10キログラムばら播く。下旬の稲刈りをする時にクローバーも麦も2~3㎝に伸びているので麦踏をしながら稲刈りをすることになる。出来た稲わらは長いままで田畑全面に振りまく。11月中旬以降、稲の籾殻を6~10gの粘土団子にして播いておく。その後乾燥鶏糞をアール当たり20~40㎏散布しておけば種まきが済む。籾をそのまま播くとネズミや鳥の餌になったり、腐ったりするので団子状にする。粘土に籾と水を入れて練り、金網から押し出して1cm大の団子にする作業が必要。5月の麦刈りの時、稲苗を踏むがやがて回復する。出来た麦わらを長いまま田畑の全面に振りまく。クローバーの繁茂が激しいのでその抑制にもなる。6~7月は水をかけず8月以降時々水をかける無滞水状態で秋を迎える。稲は通常の栽培に比べて非常に小さい。」

 ということで、時期も近づいたので、さっそく、小麦とクローバーと陸稲の籾の種をネットで購入しようとしたが、クローバー以外は売っていない。

 どうして売っていないのか?

 奇跡のりんごを作った木村さんが推奨している「くず大豆」を大量にまこうとしたが、それも売っていない。

 種が手に入らないとどうにもならない。

 どうも穀物の種はいろいろな問題があるようだ。

 同じ悩みがある人の相談で回答があったが、そこにいっても、小麦だけはなんとかさがしたが、陸稲の種がどうにも見つからない。福岡正信は水稲の種でやっているのか、どの品種でやっているのかもはっきりわからないが、やり方からすれば陸稲だと思うのだが・

 その後、やっと陸稲を探したが、それは餅米だった。ふつうの米はないのだろうか?

 自然農をしているところで、そこで生産された稲と麦とクローバーの種を分けてくれるところは見つからなかった。

 ともあれ、

 とにかく、購入できる陸稲と麦とクローバーで試したくなった。しかし、最初は田圃からスタートとなっているが、当方は雑草畑からスタートすることになる。

 10月上旬までにいろいろと準備することにしよう。問題は稲と雑草をどう考えるかであろう。

どんな問題解決にも人の命を奪う道はない

火曜日, 9月 7th, 2010

 最近、幼児虐待の事件のニュースが多くとても驚かされる。

 死刑制度の容認が80%以上というアンケートにも驚かれるが、どうして、最終解決を人の命を奪うことに安易にもっていこうとするのだろうか?

 戦争だって、安易に国際問題を解決しようとすることではないのか!

大体、核爆弾だって、劣化ウラン弾だって、敵を安易に殺すことで解決しようとしている。

 こうした人の命を奪う解決法は子供がゲーム感覚でしてしまう錯覚した事件もある。

 世界で飢餓で亡くなる人が6秒に1人ともいわれる時代からも、人の命の安易さが、世界のお金のシステムで行われている。

 こうした世界の風潮を根本的に改める方法は、人の意識の改革ではないだろうか?

 というのは、人が何かをしようとする意志を持つには人の心情・信条だからだ。

 もし、「人の命ほど尊いものはない」という意識が世界の常識になれば、安易に殺戮で問題解決をしようとはしなくなるだろう。

 さらに、いうなら、

どんな問題解決にも人の命を奪う道はない

どんな問題も、人の命を最も尊ぶなら解決の道が開かれる

 という信条が広がれば、幼児の虐待や戦争も少なくなるだろうと思える。

 

 

メロンが勝手にできた

月曜日, 9月 6th, 2010

 雑草の中からカボチャが勝手にはえてきた。そのカボチャが実って大きくなってきたので、一番大きいやつをとって料理しようと思った。

 切って、びっくり仰天!

 なんと、メロンだった。

 私が畑を志して、始めて収穫したのが、このメロンだった。

 まだ熟していないので、ほんのりと甘いだけだったが、メロンの味がしっかりしている。おいしいまではいかないが、熟れていないアボガドをたべた感じである。

 自分の記憶をたどっても、メロンなど栽培した記憶がまったくない。記憶がないが、予想ができた。

 生ゴミのうちの種を土にまぜこんで、それが成長しないので、雑草の中に捨てたように思う。生ゴミからとったメロンの種は別に苗から栽培しているが、ほとんど成長がとまったままでいる。

 当初、カボチャとばかり思いこんでいたのは、葉っぱが同じで、蔓状にのびていたからだ。水もあげずに、ただ雑草とともに生えて、雑草の上に大きくはってきたものだった。近くに、前の住人が植えて、それが育ち、収穫したあとに、また、そのキヌサヤが二 三本育っていた。たぶん、収穫の際こぼれおちたものかもしれない。

 このカボチャとばかりと思っていたメロンの実ができたころ、あわてて、水をあげた。でも、葉っぱが枯れてきたのはどういうことだろうか?

 メロンといえば高級品だ。ほとんど世話なしに雑草とともにできるメロンだとはびっくり仰天だった。

楽しさの3要素

日曜日, 9月 5th, 2010

 最近、ニュージーランドのサモア人の親戚とスカイプで、家族の話をしている。テレビ電話で無料で海外の友人と会話できる時代だ。

 昔、サモア人の元妻が、実家の家族に国際電話するので、毎月20万円くらいの電話料金がかかったことがある。これを防止しないと、生活が破綻するので必死だったことを覚えている。そんな時代にあって、いくらでも、無料でテレビ電話できる時代とはまさに夢の時代だ。

 24歳のころ、オランダのワーキングキャンプに出かけたことがある。そこで、15カ国20人くらいの友達になった。そのころの友達に会いたくなり、ひょっとしたら、FACE BOOK で探し、SKYPEで、話が気軽にできるかもしれない。

 こうした話が気軽にできるようになると、世界各国の友人ができ、その間でホームステイしあうような友達グループが可能になる。ただ、住まいがせまいと海外の友人をたくさん世話できないので、近くの安ホテルを利用できるようにしたらいいように思える。私がヨーロッパに自転車で旅したときには、1日500円くらいの宿泊料で、ユースホステルを利用した。とくに、ドイツのライン川沿いにある古城全部がユースホステルだったので、すごく感激したことがある。

 ユースホステルではそこの旅の情報がかなりえられ、また、そこで知り合った人と友達になり、長くパリで、ホームステイしたことがある。こうしたユースホステルとfacebookとskypeを合わせれば、個々で深く国際交流できる場が可能になる。

 いろいろな平和や協力運動があるが、各個人でできる世界の平和や協力活動としては大きな力になるように思える。もちろん、政治や団体の活動は一番の近道かもしれないが、自分たちができ、しかも楽しく、心の通い合いはこうした1人1人のつきあいから生まれるように思えるのである。

 私は今年で定年の60歳になるが、スカイプで、ニュージーランドのいとことテレビ電話したら、なんと、私が21歳に見えると言われて、びっくり仰天した。自分が21歳のころと、比べてみると、精神的にはほとんど変わりがない。一つだけ違ったと思うのは迷いがある21歳と、迷いがない60歳である。

 この21歳の迷いというのは、「いかに生きるべきか?」であり、60歳の迷いがないというのは、「いかに死ぬべきか?」との差である。迷いというのは、「先が見えるかどうか」が決定的な要素である。「先が見えないのが迷い」であり、「先が見えるのが迷いがない」ということだからだ。 自分の先がどんな姿の生き様は不明なので迷い、自分の先が必ず死の姿になることは明確なので迷いがないということである。

 私が60歳まで生きてきて、本当に救われた・幸せになったということが3つある。

1,禁煙 2.禁パチンコ が10数年前にできたこと。そして、3つ目は、禁宗教 である。

 禁煙は体の健康を維持することが幸せにつながり、禁パチンコは経済のゆとりと、生活時間のゆとりが確保できた喜びである。

 禁宗教は、もっとも困難なことだった。高校生のときに、「生きるってj何だ?」に悩み続け、ヨガに入信した。それから、他の宗教のキリスト教や仏教やヒンズー教にこり、新興宗教である、サイババやありがとうおじさんに凝った。それで、自分の魂が腑抜けになり、教祖だけの魂になってしまうようなまことに狂信状態になったが、教祖の失態からその洗脳か抜け出られたことはまことにラッキーだった。

 人生の答えは信じるものではなく、求め続けるものである。

というような信心生活から抜け出られて、安心できたように思う。安心を求めて入信するのだが、実際は逆で、宗教から脱却することが安心につながった。

 これら禁煙・禁パチンコ・禁宗教の根本にあるものは似ており、麻薬のような安心するための依存症である。依存症とはそれが無いと生きられないことであるが、それが無くても生きられるような生活が自立した安泰だといえる。

 次に、今まででもっとも楽しかったことは何か? 先の3つから脱却できたこと以外に、2つある。

1つは、24歳のときの、オランダのワーキングキャンプで、世界各国の人と一緒に働き、一緒に暮らしたことである。寝るところに、男女は自由に一緒になれたことだ。その3週間は今も鮮明に思い出すことができる。

2つは、やはり結婚生活と家族をもったときであろう。

 ともに働き、ともに生活することの幸せはそこから離れてみると、よくわかることである。

こういうことを振り返ってまとめてみると、

楽しさとは3つの要素があるということだろう。

1,自立すること 2,一緒に働くこと 3.一緒に暮らすこと

 そして、その輪が大きければ大きいほど幸せも大きくなる。

クールライフ方発見

水曜日, 9月 1st, 2010

 クーラーの設置が9月14日なので、それまでなんとか、夏ばてしないように、工夫していた。

一番は水風呂に入る方法だと、出て1時間くらいは涼しいが、また暑くなる。それを繰り返すのは着替えたり、ふいたりして、実に面倒である。

 扇風機の前にヌレタオルをおいて、部屋を冷やそうとしたが、大してかわりがない。

 そこで、裸になって、ヌレタオルを体にまいて寝っ転がったら、実に涼しい。

 しかし、仕事をするには困る。そこで、長ズボンに長シャツのタイツを着て、そのまま水シャワーをさっと浴びた。

 少々かけすぎて、床にぽたぽた水が落ちるので、床や椅子にタオルをおいて、水がしたたり落ちてもいいようにした。

 これを防止するなら、先にタイツを濡らしてよく絞って、水がしたたり落ちないようにすればいいだろう。

  これだと、クールで動きながら仕事ができる。

  日本の冬にはコタツは欠かせないが、日本の夏にはクーラーこたつがあってもいいではないか。

  コタツの中だけ冷やすので、車のクーラーで充分である。家の外にある室外機で作られた冷たい空気をホースでコタツの中に入れるだけでいい。コタツ布団は今はやりのクールタオルの生地でいいではないか。

 さらに、一般化するなら、堀コタツのように、床の下からクールの風がコタツに入り込むようにしたら、きっと売れると思うのだがどうだろうか?

 部屋全体を冷やすよりも、必要な空間だけを冷やすコタツ方式がほしいものである。

タイツの涼しさは洗濯物が乾くまで涼しいので、けっこう機動的である。ぜひ試してみてください。

 これってブームになるかもしれませんよ。