生活保護で生活している人が私の回りでも増えているような気がする。
そうした人の生活をみていると、何か生きる気力が少なくなるような気がする。
私だって、年金が入る年齢になると、うれしいよりも悲しい感じになったことは事実である。
というのは、自立心の方が大きいからである。生活保護を受けている人もそれを申し訳ないというようなことを行っていた。
障害者の目的は普通の生活ができることである。老人もまた普通に生きられることである。
また、私のメタボも、基礎代謝の分だけ食べ、基礎運動だけができることが目標である。
障害者や老人や病人はただ生きられることだけを目標にするが、自分の力だけでは生きられないのが現実である。
他の力を借りるためには、まずは食料であり、それを食べる体力と気力である。お金だけではそれができない、お金を使ってそれらを買うしかない。お金があったとしても、それらが手に入るとは限らない。それらを提供する業者が少なければ、需要と供給の関係で、多額のお金が必要になる。
日本の食料自給率が非常に少ないことは、他国との関係が需要と供給で、他国の災害などで、食料が暴騰する危険がある。この食料自給率と生活保護者の自立心とは連動しているような気がする。
今のお金はなんでも買えるために、金で権力を買うことで、より多くの金を得ようとする。しかし、国が戦争や災害で、食料が少なくなった場合はお金では食料は買えなくなり、食料配給制になる。
世の中が進歩する場合、災害などがあって、その反省から生まれ変わることがあるように、最悪の状況下でも、国民がやっていけるようなシステムを今のうちに作っておく必要がある。
ベーシックインカムを単に今のなんでも買えるお金で行うよりも、国が災害時における食料の自給率を上げることと、食料配給が充分に行えるようにするシステムを今作る必要がある。
この食料自給率をあげ、食料配給をするシステムこそ、新しい生活貨幣である。それはなんでも買えるお金ではなく、食料と生活必需品だけを買えるお金を作ることが今必要だと思えるのである。
そうすれば、物価が需要と供給で毎日上がり下がりすることは少なくなる。なんでも買えるお金がなくても、生活貨幣さえあれば、国民が協力して生きられるという自信が生まれるだろう。