正当防衛は本当に防衛となるのか

転ばぬ先の杖

最近 散歩する上で 山歩き用の杖を買った

めったに転ばないので 杖は邪魔になるだけとは思ったが

何か犬を連れて散歩するような気分になる

杖が二本だと 四つ足で歩く感じになるのだが

一本だと それは歩く先をいく道しるべだったり

杖の音が1234というテンポをうながす感じになる

山に入ると熊なんかに襲われるかもしれないと感じることがある

そうした時、杖があると便利である。それは防衛に役立つからだ。

「相手が自分を殺そうとしたら 相手を殺して自分を守っても良い」

というのが正当防衛だし、それが戦争の基本理念である。

だが、熊から身を守るために鉄砲を持つだろうか?

鈴か杖で追い払うので充分で 熊を殺さずに追い返すだけで充分ではないか。

人は熊を殺そうとして銃を持つが 殺されまいと銃を持たない

仇討ちがいわば正当防衛のように正当化された時代があった

しかし それは負の連鎖を生むので 仇討ち禁止令になった。

「敵を殺さねば殺される」

というのが戦争が大きくなる負の連鎖である

これは正当防衛を正当化しか戦争被害を大きくするもので

いわば 災害の二次三次災害を増やすようなものである。

だから

これからの戦争には

正当防衛禁止条約が必要だろう。

これからの防衛は

「敵を殺さずに自分を守れ」

である。そのためには

核も人殺し銃も爆弾も必要ない

敵を追い返す 水鉄砲やスタントガン

敵から逃げる煙幕や麻酔銃をより文化的に発展させる必要があろう。

死刑制度もまた本当に凶悪犯罪から守る法律になっているだろうか?

イスラム国が外国人を死刑にして自国を守り発展させようとしているが

それはかえって諸外国からの攻撃を拡大させているように

それも負の連鎖といえるのではないだろうか?

死刑にせずとも 国民の安全を守れる法律を作ることが必要であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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