「みんな違ってみんな良い」をどう実現するか

私も含めて、友人たちの家族の多くはバラバラになっていて、老人の孤独死が自然のような家族環境になってきている。

邪馬台国をなぜか求めてきて、そこがどこにあったかはどうでもいいことだが、なぜ、その歴史ロマンに引き込まれるか? 不思議であった。

吉野ケ里遺跡に二日間車中泊して、どうやら、「日本人の心のルーツが大和国という家にあり、そこに八百万の神々が集まり、和して団らんしている」そうした中心に天照大御神=日御子があり、現天皇に象徴的に一つにまとまっていて、安定している。

「みんな違ってみんな良い」を初めて日御子が大和国として、統一実現させた。それは武力ではなく、国民みんなを神々として尊重・尊敬する敬愛の心で統一実現したのだろう。

すぐ武力で制圧しようとする男の特質は破壊に通じ、命を生み出す女の特質は平和に通じるので、敬愛を持つ女王日御子が勇猛をほこる男どもから担がれたのだろう。

世界は今、東洋と西洋の中間にあるシリアにおいて、武力による殺戮と破壊がとどまることなく進んでいる。それを平和にする術がなく、困り果てている。こうした状況は弥生時代の後期に似ている。イスラム国のように首狩りが当たり前の状況であったことも、その甕(カメ)カンに埋葬された遺骨からも解る。

もし、日御子のような敬愛を持つようなリーダー(もしくな法や精神)が世界で選出されたならば、どんな宗教も、どんな人種も、72億の神々として敬愛し、平和に統一されていくだろう。

日本は日御子の時代から二千年にわたって、引き継がれた敬愛の心をもっているのだから、そうしたリーダー役にはもってこいであろう。それはなんの因果か解らないが、唯一の被爆国であり、非戦国としての平和憲法を持っている国として、それを果たすべき日が来たように思える。

 

身長は150センチ、獰猛な戦士をなだめ、敬愛をもって、大和国を平和に治めた

前に、真実は一つだが、真理は一つではない。

としたが、通常、コナンでもそうだが、人の心情や意志を真実の中に入れてしまうので、誤解されやすい。

それで、

事実は一つ、真理は人間の数だけある。

と言い換えることにした。

それは、「みんな違ってみんな良い」を実現するのは敬愛と思えたが、そうした心情は一つになりにくいので、「事実は一つ」を応用して、「事実を共に共有すれば和する」と言えるだろうし、正反合の弁証法の合も、事実の共有で、合するとも言えるだろう。

シリアの問題も、

「共に生きるか?共に死ぬか? どっちが事実であり、どちらの事実を受け入れれば和する?」

という事実の共有で和解できるだろう。

 

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