痛み2

痛みは脳の誤作動においても起きる

アレルギーなどはそれが身体に害がないのに脳が誤作動して害があると判断して起きる痛みや痒みである。

癌もまたその癌細胞が身体に悪いとは判断せずに、正常細胞を悪いと判断してしまう脳の誤作動が原因とも思える。

癌はいわばテロ組織のようなもので、世界中でテロを繁殖し、最後は自分までも破壊してしまう。

そうした自爆テロは神や平和への盲信と迷信・思い込み・洗脳によっておこり、その思い込みや洗脳も脳の誤作動とも判断できる。

脳の誤作動というのは

病気を健康と、殺害を平和と、真実とは真逆に判断反応してしまうといえる。

もし、こうした脳の誤作動を正常に作動させることができたら、その技術はいろいろな面で活用できることになる。悪人を善人にすることだってできるだろう。監獄が希望舎にもなり、ピンチはチャンスにもなる。

一体どうして 脳は真逆に誤作動をしてしまうのだろうか?

問題解決への近道はその原因をまず掴むことである。

先夜、眠っている時に 出てきた映像がある

何で他人がないの? 命と自分しかない世界ってあるのか?

何で他人がないの? 命と自分しかない世界ってあるのか?

人はみな自分の視野でしか判断できない。世界全体と思っているその世界だって自分の視野でみた、いわば自分が創造した世界の姿でしかない。

ならば、すべては主観で判断されているから、他人という客観は自分が創造した世界観でしかなく、極論すれば、他人という存在は虚像であり、いわば 鏡に映し出された自分自身の姿であると言える。

鏡に映し出された自分の姿は左右が逆の虚像であり、やることなすこと、左右逆に動く虚像ともいえる。

脳の誤作動は自分の姿を鏡のうつる自分だと判断してしまう錯覚のようなものではないだろうか?

鏡の他人の右頬をなぐろうとすると

自分の左頬をなぐられそうになる。

実際にそれをやってしまうと、鏡をぶち壊して、他人は消え、手は傷つくが 自分だけの存在になる。

脳の誤作動を修正するには 自他や善悪などの境である鏡を取り去るか、鏡にうつる世界と他人が虚像であると理解するか、虚像が実像の左右逆になる計算をして判断することである。

この理解と修正計算はけっこうややっこしいし、リハビリのような努力がいるものである。

小麦のアレルギーを解消させる方法に

小麦を取り入れない食事療法ではなく、逆にほんの少しずつの小麦を摂取して アレルギー反応を起こさせて、小麦が悪い食べ物ではなく、良い食べ物であると 脳が正常判断するように体験反射させる訓練をしていくと、しだいに脳は小麦に対する誤作動を修正して、正常作動にさせる療法がある。

あと三か月の命と言われた末期癌患者が、前向きに自分のやりたいことを精力的にやることに集中した結果、癌は悪さはせずにもう三十年も生き続けている奇跡の人もいる。

この奇跡は一体なぜ生まれたのだろうか?

脳が正常細胞をより生きたいという細胞とし、癌を早く死にたいという細胞として正常判断に切り替え努力をしたともいえるのではないだろうか?

ピンチをチャンスにし、自爆テロ悪人を英雄善人に 切り替えるのはそう容易いことではなく、小さな善行をコツコツと積み重ねていくような努力なしではなしとげられないだろう。

ある盲信洗脳された信者を健全な社会人に脱却させるのも大変なことであるが、できないことはないことも真実である。

 

 

 

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