パソコンが壊れ、最新データを失ったことで、何が一番自分のとって大事なのかが解ったような気がする。それがまた自分の変革と同時に世界の変革でもあるような気がしてきた。
私が失って始めて気がついたのは「人との会話記録」である。それはメールと顧客との連絡データの大切さである。そこで約束したこと、そこで何がされたこと、、何をしようかということがもっとも大事なデータであり、それがもっとも大きな財産であるということだ。
とりもなおさず、その会話の中でも、一番大事なのは自分の家での会話・・・家族の会話・・・がもっとも大切なものであり、もっとも大きな財産であるということである。そのほかのことは、どうでもいいことである。
しかし、家族の会話以外のどうでもいいことは、世界の問題ということになる。そう言い切ったのはある事実に気がついたからだ。
自分は世界のシミュレーションだ
よく、日本は世界の縮図と言われるが、それは、どの国にとっても、世界の縮図であるということだ。そして、世界の問題は次の事実から成り立っているということだ。
地球の人類65億人は一個人が地球に集まっているだけにすぎない。
故に、自分は世界の縮図であり、世界というのは煮詰めてみれば自分自身のことであり、特別な世界が自分以外にあるわけでもない。それは国という存在が自分以外にあるというのでもないのだ。
よって、自分以外の問題はどうでもいい問題になる。世界がどうであろうと、そんな世界は自分以外の問題以外に存在しないからである。その世界が精神的な神や仏であれ、存在しない幻想的産物にすぎないのである。それは、自分が消滅すれば世界も神仏もすべて消滅するという事実から証明できるのである。
しかし、65億人の人類はみなそれぞれ一個人としての自分であるが、自分を創造、維持 破壊する力がもっとも大きいのは他人であり、しかも、もっとも身近な他人である。その関係なしでは、地球の人類が65億人存在しているという事実さえも把握できないのである。これを存続させるのは、自分と同じような人間がもう一人近くにいるということである。そして、人類が存続できる最低限の数は男1人と女1人の二人だけである。世界の神話はその男女から生まれるのもそのためであり、世界、神仏という言葉が生まれるのはこの二人の会話から成り立っているからであり、そうした抽象的幻想の産物はこの二人の会話から生まれるのである。よって、世界や神仏の源泉は男女二人の会話・・とりわけ夫婦の会話・・から成り立っているものである。
そのため、何がもっとも世界で大切なものなのかというと、夫婦・家族・友人の二人の会話(とりわけ男女の間における)とその約束と、記録と、共同作業である。
それ以外のことはそれを補うだけの存在でしかありえない、どうでもいいことであり、かつ、補足するものでしかありえない存在になる。それはいわば、世界でもっとも大事なものが愛という抽象的な言葉で語られる本質がそれだからである。私が愛という言葉にしないで、1:1の会話だというのは、その内容によっては、逆の憎しみだって、そこに含まれるからだ。それに会話は愛憎だけの感情だけで成り立っているわけではないからだ。
自分が生きているということ
それはもう一人の自分とともに生きているということ
これから、私の仕事を自分と世界(もう一人に自分)とを分けて仕事をしていきたいと思う。世界の変革は自分の変革から始まるというのは至極当然のことであるから。
そこで、まず、こんがらかった世界を整理整頓することから始めよう。その始めは、自分の家の掃除から始め、そして、自分の今までの家族の会話記録の整理から始めることがもっとも大事な世界変革事始めなのである。
2008.11