いつか死ぬということ

人は死ぬと ”千の風になって吹き渡る”というが

その一吹きでも、本当に 亡くなった人の魂を感じられたことがあるだろうか?

人の魂は風ではなく、その人の想い出に感じられるものだ!

その人の想い出はいま生きている人たちだけが感じられる。

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数年前から ”腐るお金”を探求してきた結果、

”腐るお金”とは、税金のことだった!

私のお金が公のお金になることが、お金が腐るということ。

公がお金を発行、私に貸し出して、税として公に回収し戻して、またそれを貸し出す

その公私の繰り返しが、お金が廻るということである。

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お金のように魂は死なないで不変である。

お金が公私の繰り返しのように、

魂は生死の繰り返しを、公私のように廻るともいえる。

公の魂とは小さくはその家族であり、大きくは地域、国、そして人類全体にまで広げることができる。

私の魂とは一個人の肉体の一生を指す。

人の魂は一個に肉体に宿って生まれ、一生を終えて死ぬと、

魂は家族や友人、地域や国や人類の想い出として、残るというより、生まれ変わるといっていい。

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”千の風になって” を ”千の想い出になって” の替え歌にすると・・・

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません、眠ってなんかいません
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
秋には笑み一杯で、柿を頬張り
冬は雪かけあい はしゃぎまわる
朝は大声で おはよう!と目覚めさせる
夜はやさしい小声で お休みと囁く
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
千の想い出に
千の想い出になって
この大きな世界を
ずっと生きています
この大きな世界を
ずっと生きています

想い出は細胞のDNAとして、遺伝し、また学習・適応されて、配列が置き換えられえる。

人類を導くのは想い出であり、魂である。

想い出は魂として、次の人類に引き継がれ、学習され、生き抜く力となる。

その人の死は、その人の生まれ変わりであり、人類へのバトンタッチという儀式でもあろう。

 

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