人は死ぬと ”千の風になって吹き渡る”というが
その一吹きでも、本当に 亡くなった人の魂を感じられたことがあるだろうか?
人の魂は風ではなく、その人の想い出に感じられるものだ!
その人の想い出はいま生きている人たちだけが感じられる。
****************
数年前から ”腐るお金”を探求してきた結果、
”腐るお金”とは、税金のことだった!
私のお金が公のお金になることが、お金が腐るということ。
公がお金を発行、私に貸し出して、税として公に回収し戻して、またそれを貸し出す
その公私の繰り返しが、お金が廻るということである。
****************
お金のように魂は死なないで不変である。
お金が公私の繰り返しのように、
魂は生死の繰り返しを、公私のように廻るともいえる。
公の魂とは小さくはその家族であり、大きくは地域、国、そして人類全体にまで広げることができる。
私の魂とは一個人の肉体の一生を指す。
人の魂は一個に肉体に宿って生まれ、一生を終えて死ぬと、
魂は家族や友人、地域や国や人類の想い出として、残るというより、生まれ変わるといっていい。
*********************
”千の風になって” を ”千の想い出になって” の替え歌にすると・・・
私のお墓の前で 泣かないでください
|
私のお墓の前で 泣かないでください
|
想い出は細胞のDNAとして、遺伝し、また学習・適応されて、配列が置き換えられえる。
人類を導くのは想い出であり、魂である。
想い出は魂として、次の人類に引き継がれ、学習され、生き抜く力となる。
その人の死は、その人の生まれ変わりであり、人類へのバトンタッチという儀式でもあろう。