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自由とは思い込みからの脱却だった

日曜日, 10月 12th, 2014

ダイエット生活をしていると 体重管理が最も重要になる

65kg台をキープし 66kg以上になったら断食と決めていた

昨日66.5kgになり いざ一日断食しようとしたが 辛くギブアップ

結局夕食を抜いた 夕食断食になり 65.1kgに今朝もどった。

夕食断食を略すると夕断になり それが勇断という言葉と韻が合うので

一日断食よりも夕断の方がより健康的なように感じた。

 

三食食べるのが健康的ということで ひょっとして

「一日三食食べなければならない」と思いこんでいるのではないだろうか?

中田考がイスラム法は自然法だというが

ラダマンの一ヶ月間 日の出から日の入りまでの日中を断食し 夜食べる祭は自然とはいいがたい。

野生の鳥などは日中は食べるが 日が暮れると 食べないし 眠りにつく

夜は食べ物が見えないので 食べられないし

暗がりの中行動すれば危険でならない 眠っていた方が安全であるからだろう

太陽の明るさに合わせた 電気がない暮らしの方が自然であり

自然な断食だったら 日の入りから日の出までの夜中の食事を禁じる方が自然である。

 

イスラム教信徒になるには

「アラーは唯一の神であり マホメットは神の子である」と言うだけでいいらしいが

これを信じることからイスラム法が絶対になり ただそれを従うことが模範的生活になる。

驚いたことには

イスラム教では自殺は禁止されるが 聖戦による殉死は賞賛される。

他教徒には それは自爆テロとしか思えないのだが この教義を知ってしまうと

なぜイスラム教徒が聖戦と称して 自爆テロを行うのかが理解できてくる。

自殺したいのに それが許されないから 聖戦による殉死という形をとって自殺に走っていると理解できる

日本だって

自殺したいが自殺できないので 死刑になりたいために無差別殺人をする犯罪者が絶えない。

 

イスラム教の核心である「アラーは唯一の神であり マホメットは神の子である」ことが真実でなかったら、

イスラム法もイスラム信徒の生活も 真実とはほど遠いことになる。

 

私は何度も宗教的な思い込みに苦しめられてきた

それは何も宗教に限ったことではなく 煙草やパチンコのような依存症にも悩まされてきた。

宗教はアヘンと言われるように 神仏や教祖依存症でもある。

そうした依存症から脱却できたときに 本当の自由を得たように感じたものである。

煙草を吸わなくても生きていけるし 煙草を吸わない生活の方がより天国であると体験するようなものである。

ダイエット生活に挑戦して だんだん解ってきたことは

今までの食事は 「食べ過ぎ依存症」だったと気が付かされたことだ。

煙草を吸わなくても生きてはいけるが 食べ物は食べなくては生きてはいけない

煙草は依存症であるが 食べ物は食べ過ぎが依存症になるということだ

腹が減っていないのに スイートは別腹として食べてしまったり

三食食べなくてはならないと思いこんでいるから

三食時間になると腹がへっていないのに習慣的に食べてしまう

それがおいしいと さらに食べ過ぎてまでして そのおいしさに酔いしれる

これは おいしさ食べ過ぎ依存症で 煙草のニコチン中毒のように刺激がないと落ち着かないようなものであろう。

 

宗教 ギャンブル 煙草 肥満 などは

自然な真実ではないことを思いこんでしまう結果

つい病的な依存症に陥りやすい副作用があるので要注意が必要だ

 

自由な暮らしというのは そういうものが無くても楽しく暮らせることである

またそういうものが有っても それにのめり込まず ふりまわされずに生きられることである。

いわば

自由とは思い込みからの脱却なのである!