「余った食べ物」と「余ったお金」の使い道比較

 山梨に引っ越すと、東京の大手の銀行がないので、地方銀行かゆうちょ銀行に移転する必要があり、なにかといくつかの銀行を観察した。

 そこに置かれている雑誌やパンフレットやビデオの話題をしめるのは「いかにお金を増やすか」というものばかりだった。

 一番びっくりしたのは、銀行は保険や株式・債券・外国通貨をもとに金融商品を販売する大手ファンドの下請けみたいのをしていたことだ。

 たまたま、大きな資金を東京から山梨の銀行に入れ替えたとき、それをアリコの三大陸という金融商品を、まるでモデルのような美人で知的な女性が私に対応した。まさに、映画をみてる感じで、実にてきぱきと説明した。

 私はこのスラッとした美女はてっきりアリコの出張社員かと思ったくらいである。彼女がしきりに進めるのは豪ドルによる配当式貯金である。そのパンフには米ドルとユーロがあったが、豪ドルしか進めなかったのは最近のニュースがどちらも価値が下がっているからだろう。

 私は一度も投資みたいなことはやったことがないし、やる気もない。ただ、一度くらい経験したいと任天堂のゲームソフトを買ったことがあったが、それも一日坊主で終わってしまった。

 結局、普通預金を定期預金に変更しただけにした。

 銀行におかれていた雑誌に目を通すと、このスラリ美女のお勧め内容と一致しているのにもびっくりした。今は外国通貨に投資するのが一番だというのである。

 その理由をメモした。
「2011年6月末で、944兆円の国の借金がある。たとえ毎年10兆円返済したとしても94年かかる。国の歳入は48兆円、10兆円返済して38兆円になる。しかそ、今年の歳出は92兆円になり、さらに借金は増えることになり、このままでは永遠に借金を返すことはできないだろう。

 日本の借金は国民総生産GDPに対して220%あり、世界一の借金率である。今債務不履行の危険があるイタリアでさえ、GDPに対する借金率は125%である。

 ただ、日本の借金のほとんどは外国ではなく日本国民から借りていることが債務不履行にはならないだろうと予測される。

しかし、日本国民の個人資産は1476兆円あり、そこから住宅ローンを差し引くと、1100兆円しかない。国と地方の借金総額は1000兆円だから、もうすぐ借金が資産を上回る時期がくるだろう。

 このような状況で、膨れあがる借金を税金で返済することは不可能である。税金に代わる返済方法はインフレである。日銀が国債地方債の1000兆円すべて買い支えるしかなくなり、新たに1000兆円の現金が印刷されることになる。すると、ハイパワーインフレになり、物価は数千倍にもなり、すべての借金は紙くず同様の0円になる。日本の円はどんどん円安になっていくのは確実である。」

 こうしたインフレと円安になる将来、自分の財産を守るには海外の資源が豊富にある国の通貨に換えるのが一番である。」

 というような内容だった。なるほどとは思いつつ、今円高なのは、海外の投資家もまた日本の通貨に一時的避難投資しているためだろうと想像したら、どっちもどっちだというような感じで隣の芝生はよく見えるのではと、ひとり笑ってしまった。

 ただ、債務不履行を回避するために、ハイパワーインフレをすることはないだろう。特に日銀は極端にそれを恐れているからだ。日本の借金は日本国民から借りているということは、つまり、身内の親子の間の借金ということになる。いわば、借り主と貸し主は同じ国民だってことになり、今までの借金は帳消しして、新たにやり直そうとするので、日銀にお世話にならないだろう。

 大体、国債を持っている人はたとえ、その国債が0円になったとしても、それらは余ったお金で買ったものだから、自分の生活が困ることはない。むしろ、インフレになって、生活困窮するよりもはるかによいことであると判断し、債券放棄して、日本全体を救う力になると思える。

 こうした、借金返済不履行で世界経済が混乱する昨今だが、そもそも、金で金が儲かったり、損したりすること自体おかしなことである。金の貸し借りができ、しかも、利息も付けられ、そうした借用証書が売買できること自体、幻想であり、妄想である。借金をすべて利息付きで返せると信じることが盲信であり、その幻想が明るみにでた姿にすぎないだけである。

 お金よりももっと大事なものは食べ物である。お金があっても食べ物が無ければ人は死んでしまうが、お金がなくても、食べ物があれば人は生きていけるからである。

 しかも、お金の制度ができた元々は命をつなぐ食べ物を分け合うことで、みんなが生きていけるようにする智恵からである。

 あなたの畑でたくさんの食べ物が出来、自分で食べきれずに、たくさん余ったらどうするだろうか?

 そのままにしたら、腐って土にもどってしまうので、近所や知人に余った食べ物をあげようとするだろう。

 しかし、あなたの会社でたくさんのお金が入り、使い切れないくらいのお金が余ったらそれをどうするだろうか?

 まずは銀行に貯金するだろう。そして、その貯金がいくらかでも増えるような対策をするだろう。お金はそのままにしておけば食べ物のように腐ることはなく、うまくいけば増えることになるからだ。

 「余った食べ物」と「余ったお金」の使い道を比較してみよう。そこに何かが見えてくる。

 もし、お金が食べ物と同じように命を繋ぐ大切なものであったならば、余ったお金を生活困窮者に寄付しようとするだろう。そうすれば、将来もし自分が生活で困ったときは、逆にきっと助けてくれると予測できる。

 逆に、もし、食べ物がお金と同じように腐らないものであったら、家中食べ物ばかりになってしまうので、誰かにあげようと必死になるだろう。それをもっと増やそうとしたりすることはけしてなく、いかに食べ物を減らそうとするようになるだろう。

 このように、今のお金は、生活の糧である食べ物とはまったく分離したものである。お金が腐らないで、増えるような仕組みは現実の生活とはまったく関係ない幻想にすぎないことは明白である。

 そうした幻想であることをなかなか容認しないのが今の世界の金融市場である。

 もし、銀行が、お金と食べ物は一体のものであるという現実を受け入れたら、けして投資してお金を増やそうとはしないだろうし、貸し借りで儲けたり、金融商品の売買手数料をとろうなどとは考えないだろう。

 預金者だって、貯金して、金利の高い金融商品にしようとはしないだろう。銀行も、預金者も、余ったお金をいかに困った人たちに寄付するか、効果的な寄付対策をするだろう。

 単に赤十字社に募金することで、震災被災者を効果的に助けることができるだろうか?
日本の国債を買っても、その利息も元金も期待しないだろうし、国が無駄遣いするようなら、国債を買わずに、直接助けたい人や団体に寄付をしようとするだろう。

 こうした寄付は将来自分も同じように助けてもらえるようにして、投資のような寄付をする対策をするだろう。いわば、保険として、そのボランティア団体の株式のような援助金にあてるだろう。

 そして、根本的にお金のシステムは食べ物と同じ性質をもった減価するお金を基本にしたものに変革されて、幻想から現実の生活に移行していくと思われる。

 

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