銀行家Cにまんまとダマされ破産した農家のAさんと漁師のCさんは今後のことを話し合った。
どんなに働いても、未来永劫にわたって、みな銀行家のCさんにすべて持って行かれることは確実に予想できた。
そこで、働くことを一切やめ、借金を元手にして、金を稼ぐ方法を編み出した。
Cさんから、10%の利息で金を100万円借りる。この債券で他の人と賭け事をすれば、それが簡単に何倍にもなる。
そこで、ABさんはDさんと賭け事をする。それは単純な賭け事である。コインを投げて表か裏かの50%の確率の勝つか負けるかの賭け事である。そのとき、ABは談合して二人は必ず別なものに賭けるとした。
まず1万円ずつABDは賭ける。その倍率は2倍にして、Dさんは勝っては喜び、負けては悲しむ。しかし、ABさんはけして勝つことも負けることもないが、Dさんが負けた分を二人で山分けできることは確実であった。
Dさんが破産すると、ABはすかさず、Dさんを仲間に引き入れ、Eさんをだます方法を考えた。
Dさんは、博打をとりもち、掛け金の10%を所場代としていただくことをEさんと約束した。
ABはDの負け分で儲け、Dは勝っても負けてもその所場代で確実に金が入った。その金はすべてEの金からでてきたものである。
こうして、銀行家CにABもDも、他人の多くをだまして金をえ、Cに全額返済し、自分たちがCと同じ銀行家になっていくのである。
お金を印刷発行できるCは何も利息をとらなくても、いくらでも自由に金を印刷できるので、ほとんど貸した金を返却させる必要もないので、そんな努力はいっこうにしない。
しかし、ABDはすっかり博打のおもしろさにはまってしまい、しかも、全世界の金を手に入れ、世界中のものを自分のものにすることができるので有頂天になった。
こうした博打は株式であり、外国為替である。
私の30数年の便利屋を真面目にやったが、けして金はたまらなかった。小さな経営者だと、働けば働くほど借金が増えるだけで、けして豊かにならないことを実感するだろう。
でも、それが維持できるのは仕事とは別に金で金を稼ぐ方法で、その穴埋めをしていたにすぎない。国自身だって、投資ギャンブルして、国を維持発展させている。
しかし、博打から生まれるものは、だましだけであり、だまされるのは真面目に農業や漁師などをして働いている人たちである。
金はただ人をだまして相手を支配するためだけのモノである。それを人々が協力して物々交換したり、助け合う手段にするかは、新しいお金のシステムを造るしか道はない。
その方法は借り貸しも、利息も、賭け事もできないお金を造り出すだけで可能である。