たとえ明日世が滅びても私はリンゴの木を今日植える

宗教改革をしたマルチン・ルターの言葉でゲオルギウが紹介した言葉である

たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える

Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen

マルチン・ルターは他でも

悲しむ理由よりもっと多く、喜ぶ理由が私たちはある。なぜなら神に望みをおいているのだから

神は希望の光の象徴であり、現実の悲惨さに対する自分が信じて生きる道筋でもある。

今朝起きる前に

たとえ明日世が滅びようと私はリンゴの木を今日植える

と浮かんだ言葉で 誰が最初に言ったのかネットで探してみたのだ

小麦を手で刈って足踏み脱穀 手もみ 風選して 一粒の種をもみだす自分の姿を

大型機械車で それを一瞬でやってしまう中国の小麦畑の風景と比較して浮かんだ言葉だ

私が今やっていることは

陸稲の畑植え ダイエット リフォーム 店経営も

世界にとってはなんの意味もないことだ まさに無駄な作業ばかりである

でも、私はそれに自分の希望をかけている

明日自分が死ぬということが解っても たぶん私は今やっていることをするだろう

たとえ それをやりきることができなくても 今日できることだけをするだろう

夜明け前に鳥が騒ぐ

自分も同じような心境で 今日目覚める

鳥だって明日世が終わろうと今日えさを求めて歌うだろう

鳥も人も 自然に合わせて生きることが一番楽しいことなのだろう

 

 

 

 

 

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