ミュージシャンの加藤和彦さんが62歳で自殺した。鬱病だった。私の友人も2年前そうだった。
自殺は他殺と同じように考えると犯罪だと思われたりするが、鬱病の場合は犯罪ではなく、心の病気(脳の病気)であろう。
というのは、心は本来自由であるはずなのに、「自分はダメだ」というような自分を不自由な牢獄に押さえ込んでしまうからだ。
★心は自由であることが健康
我々の心は宇宙はてまで簡単にいくことができ、しかも、どんな人の命を生き返らすことができる。過去未来の人と話すことだって可能である。
なぜなら、我々はどんな想像も空想もできるということである。この想像力には不可能なことはないからである。白のキャンパスに自由に絵を描けるのは心がそこにあるからだ。
心の自由さはまさに世界の神様さえも創造することも、自分が神様になって、宇宙を支配することも可能である。心がキャンパスとすれば筆は我々の意識である。意識でどんなことをやってのけることができる。
もちろん、心に描くことは真実でも、現実でもない、それは幻想であり、妄想であり、理想や空想にすぎない。だが、この事実でない、現実でないことに、もっとも価値があるのだ。そこにどんな制約もないことが、心が健康であることができる必要条件である。
★体は不自由であることが健康
不自由といっても、体が動かないということではなく、体は思い(意志)通りにならないということである。
ダイエットをしようとしようとしても、そう簡単にはできない。スポーツでも、自分の肉体を思い通りに動かすことが難しい。
肉体は一生に一度しかない存在なので、一度その命を失ったら二度とその命は戻ってこない。肉体の時間は二度とやってこないので、そのため、肉体は時間空間において、不自由きわまりない存在である。
体温だって、一定の温度に、水分や栄養も一定の量を保たねば、すぐに病気になってしまう。それはまさに自分の意志通りに動かないのだ。しかし、この思い通りにならない肉体であるからこそ、貴重な価値がある。それは、まさに奇跡的な二度と生まれてこない存在だからだ。
命の肉体は、命のない鉱物のように常に存在できるものではないからだ。そのため、肉体は不自由であることが価値がある。そして、この不自由であることが健康である条件である。
つまり、
思い通りにならない肉体と、思い通りになる心がもっとも健康な証拠であり、そこにもっとも価値がある。
ごんさんのブログには、いつもとても大切な事が書いてありますね。
有限な肉体と、無限な心。。。同感です。
そう考えると、自分自身が、とても大切な存在に感じます。
あっという間に消えてしまう、とても綺麗な花火を連想しました。
消えてしまうから、美しいんですね。
> miyuki さん
花火にたくさんのお金を使っても、もったいないとは誰もいいませんね。
それは、本能的に 一瞬に消えてなくなる美しさに、お金以上の価値を感じているのではないでしょうか。
>aさん
you tube見ました。ブッダは大きくなりましたね。車を運転しながら、親子のカラオケは確かにおもしろいですね。CMに起用されるのですか?