新宿高校のクラスの友人の松形恭知陶工の縄文の見識が私と同じであることをハガキで教えてもらった。
彼が1万年前の縄文土器を友人に見せたとき、
「随分作風がモダンになったな」と言われたそうで、そこから、縄文の工芸が少しも進化していないどころか、むしろ縄文の方が進化していたと感じて、縄文人が自分の師匠だと言う。
彼が住む宮崎県東諸県郡国富町は縄文土器が出土した
松元遺跡、井手口遺跡、塚原遺跡
であり、そうした1万年もの縁を感じている。
彼が国展のトークインで見せたものが宮崎で出土したものかな?
と思ったら
出土で近いものは
彼が示した縄文前期の土器でネットで調べたが・・それに近いのが
販売価格が18万円というのだから、ひょっとして彼はそれを自分で所蔵しているのかもしれない。
激しい火炎土器だと縄文とわかってしまうが、このくらい優しい火炎風土器だと確かにモダンである。
漆をぬれば、さらにモダンになる。
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縄文人のルーツを遺伝子から調べている人がいた。
縄文人は陸続きだったシベリアから、また、台湾から沖縄から九州に船で渡ってきた様子がこの遺伝子解析や土器の分布からもわかる。
私が住む山梨でも多くの縄文土器が発見されているので、そういった関心が高いことも、縄文人のハートを受け継いでいるのかもしれない。
こうなると、超モダンな縄文土器になる。
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縄文の15000年前から現代まで進化したのではなく、退化しているのではないか??
科学技術の発展をもって進化しているか?といえるのだろうか。
人の心が平和的になってくるのを進化とすれば・・退化しているのもいえるのでないか?
縄文の後期に
祈る埴輪が登場する。たぶん、戦争が絶えなかったのだろう。平和を願う祈りがあったのだろう。
戦争が激しくなって縄文時代は終わったのではないかと想像できたりする。
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アーミッシュ(英語: Amish[2]、ドイツ語: Amische[3])は、
アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中西部などやカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。
移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。人口は20万人以上いるとされている。
進化も進歩も
過ぎたるは及ばざるが如し
といえるのではないか?
ほどほどに
欲をかくことなく、明日を生きるのではなく、今を生きるということで、
1万円も続いた縄文前期の時代の生活にリセットして、
そこから、平和な心でこの現代を見つめなおすことの方がほんとうの意味での進歩っていえるのではないだろうか?