☆甘柿の腐敗菌と戦う
うちの次郎柿が腐敗菌で落ちる前に、少々赤味がかったときに、収穫した。
どうやら腐敗菌は、ヘタに溜まり、それが、枝から種に向かって入り込むようだ。
そこで、お酢をヘタに吹きかけ、内部に侵入した腐敗菌をやっつけ、日に照らして、赤味が少々深みがかったら、すぐ食べた。まあまあ、甘くて、美味しかった。
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☆善玉菌と悪玉菌
甘柿の腐敗菌(悪玉菌)を消毒するのに、酒や焼酎などのアルコールを使う。
酒も焼酎も、麹菌(善玉菌)で発酵させたものだから、善玉菌で悪玉菌を退治するようなものである。
この両者の関係は、作物が善玉草で、雑草が悪玉草と同じであり、
作物が雑草を全て退治することはなく、作物が雑草よりも多いときに、作物が勝ち、雑草が負けたという、
いわば、同じ種の両者の多数決のようなものが、退治また復活という姿で現れる。
何が善玉で、何が悪玉かというと、人類を活かすのが善で、人類を殺すのが悪というものであり、
他の生物にとっての善悪ではない。
そして、善悪とは性善説性悪説のような絶対的な神と悪魔の姿ではなく、
腸内細菌の善玉菌と悪玉菌の量の多少の関係で、
より善玉菌が多ければ健康、より悪玉菌が多ければ病気、という
民主主義の多数決の関係だと言えよう。
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☆北朝鮮の平和問題
今の北朝鮮とアメリカとの関係は日本にとっては、アメリカは善玉菌で、北朝鮮は悪玉菌のような姿に見えるが、
それはアメリカよりの視野だからで、北朝鮮よりの視野だと、戦争の敵味方と同じで、アメリカが悪玉菌、北朝鮮が善玉菌に見えてくる。
北朝鮮の問題の本質は自分の心身と同じで、北朝鮮の心身つまり社会・国自身にあり、
北朝鮮の国内の善玉菌(国を活かす国民)と悪玉菌(国を殺す国民)の戦いがされており、
その症状が、国を殺す悪玉国民が、国を活かす善玉国民よりも多くなっていると言えよう。
その病状を健全化するには、悪玉国民よりも善玉国民を増やす方法が一番であり、
他国(医者)が経済封鎖(化学物質薬)や武力(手術)で悪玉国民だけを殺そうしても、それは癌治療と同じで、悪玉国民のみならず、善玉国民も殺してしまい、善玉国民の免疫力をも低下してしまい、病状は今以上に悪化してしまう。
これは、戦争や仇討ちの負の連鎖でおこる悲劇である。
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☆甘柿と北朝鮮
甘柿の腐敗を抑える焼酎や酢を振りかけるような方法で、
悪玉国民の自殺行為を抑え、善玉国民の自活行為を増やす助成をすることであろう。
この助成こそ、老いぼれ親父の平和運動である。
政治や宗教のような感情論的かつ抽象的平和論はナンセンスであるから、
理性的具体的平和論のような対話(議論)を引き起こすきっかけ(環境)を与えることである。
政治的対話のような、六か国会議にような対話ではなく、国連会議のような押し付け対話ではなく、
北朝鮮国内の自活を求める善玉国民と自滅を勧める悪玉国民との対話(議論)を盛り上がるようなキッカケ・環境を与え、刺激策を講じることである。
2014年に話題になった脱北少女パク・ヨンミさん(現在23歳)のスピーチ
にある、その体験談を国連で、もう一度話してもらったり、この動画やその内容を韓国が風船でビラまきしたりして、善玉国民に向けての勇気と愛国と平和への意識を強く刺激するようなことが有効であると思える。
世界の意識が北朝鮮の悪玉国民に向かうのではなく、善玉国民に向けることが先ず一番に必要である。
それは、後ろ向きでない、前向きな生き方に刺激を与えることである。
絶対的な善玉国民と悪玉国民があるのではなく、どの国民(金正恩を含む)も心の中にある善玉意識(自活力)と悪玉意識(自滅力)があり、
その自活力を刺激し、自滅力を無視することである。
今の時代、直接対話せずとも、アメリカのトランプと北朝鮮の金正恩が、いつでもどこでもビデオ会話が直接できる。その際、
これが平和の祈りの技法、問題解決学、議論術であり、それはお互いに、相手の善玉意識・自活力を意識し、悪玉意識(自滅力)を無視して、日常会話のように進めると、自然に会話は好意的また平和的に、ユーモアも交えることができるようになる。
そして、抽象的感情的空しい議論ではなく、具体的理性的な実りある議論になり、アイデアもたくさん出てくるようになってくる。
そこで最も大事なのは、北朝鮮の問題は北朝鮮の国民で決め、米国の問題は米国が決めることで、他国が自論を押し付けるような結論にしてはならない。
他国の意見やアイデアはあくまで刺激、参考策、産婆助力であり、押し付けられるものではない。
こうした平和的建設的な議論ができる教育や学問が今世界中で求められている。
この平和議論技術が、人間関係、コミュニケーション、問題解決が日常的にできさえすれば、こんな北朝鮮問題は即解決の糸口を見つけ出すことができると思える。