物価はお金の発行額によって決められる

 A、お金は個人の欲望のよって創られる
 
 お金は商品の値札であり、その数字はその商品が欲しい心の大きさである。
それ故に、オークションや競りで、その商品をもっとも欲しい人がその金額を決定する。その場合、売る人が買う人の買値よりも高い売値を希望して、買い手がなかった場合は、売る人がもっとも高い買値で買った人ということで、このもっともその商品が欲しい人の金額がその商品の価格であり、その売買に必要なお金が創造される。
 
 B、物価は政策によって決められる
 
 社会の欲望は個人の欲望の総合計ではあるが、その社会が個人そのれぞれの欲望を十分吸収できるような社会の場合だけである。
 選挙で選ばれた議員が国を運営する場合、必ずしも、国民全体の要求を実行するとは限らない。むしろ、少数派の欲望を優先するような国会運営を行った場合も多いのが実情である。

 そのため、
 物価は社会の需要で生まれるとは限らないので、国会の政策で物価が反映する。
例えば、
 消費税をとることはほとんど国民は望まないが、5%の消費税をとった場合、物価は確実に5%アップすることになる。
 また、
 環境政策で、エコに対する商品に政府が援助すると、その商品の物価は確実に安くなる。

 
 C、物価はお金の発行額によって決められる
 
 競りやオークションで、その商品がもっとも欲しい人がその商品を買うことはできない。その商品自体を欲しいのではなく、その商品が生み出すであろうお金が欲しい場合は最も高い値段で買うことができる。

 また、その商品が最も欲しい人でも、自分が持っているお金がわずかな場合は、その競りは参加さえできない。

 もし、世界のほとんどの金を持っている金持ちがその競りに参加したら、遊び感覚で、その商品をもっとも高い値で買うことができる。

 つまり、物価はその商品の需要(供給)で決まるのではなく、金持ち(お金の所有者)で決まるのである。金持ちのお金の量は全体のお金の発行額によって決まる。
 

★物価は需要と供給で決まると言われているが、はたして本当にそうだろうか?

 もし、そうだったら、昨年のガソリン価格の暴騰は何を意味するだろうか?
私たちは、欲しいものがあっても、お金がなければ買えないものが多いはずだ。
 それに、
 ハイパーインフレのときの天文学的物価はどのように説明できるだろうか?
各国が無制限にお金を印刷しても、その国の物価は上がるが、世界中の物価が上がるのではない。

 資本主義とは、世界のほとんどがお金を中心に動いているということである。
このお金は世界各国で両替できる基軸通貨のドルで換算された数字である。
金本位制のときには、金の保有量が物価の基準だった。そのため1g=1ドル=1円というようにした。
 しかし、今は金の重さに代わる世界で通用する資本のお金の発行金額が物価を決めるのである。

 このことは、この黄金の仏像のオークションで、
最高金額で落札することができる者は世界で最も金持ちである人ということである。
 
 また、世界の物価が需要と供給で決まるとしたら、

 飢餓で苦しむ地域の食料の物価は世界最高の物価高を示さなくてはならない。それは命の重さくらいの高値で食料価格が落札されるはずである。

 しかし、
 その食料価格は世界で最も安い価格になっているのはどういうことだろうか?

 飢餓で貧する地域に、世界の大金持ちが旅行したとしたら、そこの物価は急上昇するだろう。

 つまり、資本主義の世界とは金持ちが世界中の物価を決めることができるということである。

 この基軸通貨や各国の貨幣の発行金額が何の基準もなく無制限に発行され、それが金持ちにすべて流れ込んでいく資本主義システムを、どうして人類は許可しているのが不思議でならない。

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物価はお金の発行額によって決められる への2件のフィードバック

  1. Pika のコメント:

    ごんさん、いつもわかりやすい説明をありがとうございます。
    先日のスカイプのおしゃべりも、たいへん勉強になりました。
    またスカイプ会議をひらきましょうね!
    お金のシステム変えたいですね。
    転載させてください。

  2. ゴン のコメント:

    >pikaさん
     いつもコメントありがとうございます。それが書いていける大きな勇気を与えてくれます。
     お金の疑問をもってから、経済学を勉強したいと思ったのですが、とても難しくて、すぐにその勉強が嫌になりました。
     学生が勉強嫌いになるのがよくわかります。
     私は大学の勉強が嫌いでよかったと思っています。だって、本当に知りたい内容をそこでは教えてくれない。自分の疑問に対して、答えてくれる本が少ないのです。
     結局、自分でコツコツ考えていった方がより理解しやすいと思えるようになりました。
     ある一つの考えが浮かんだとき、それが正しいかどうかは、科学では実際に実験、シミュレーションして確かめられます。でも、それは大学の研究室とスタッフと予算がかなり必要です。
     一人だけで、それを確かめるためには、その考え方でいくと、いろいろな現象がスーッと理解できるどうかです。また、他の人がその考え方を聞いて、スーッと理解できるかどうかです。
     科学の醍醐味はある発想が浮かんだとき、それが本当かとうかを確かめられたときの喜びでしょう。いわば、新発見の喜びです。
     それに近い喜びがコメントですね。
     また、また研究していきたいと思います。
     またのスカイプ会議を楽しみにしています。 

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