神から金そして核へ

 最近、ツイッターで原発関連情報をみるのが一番の楽しみになってきている。2011年3月11日福島原発事故以前には原発も政治にもほとんど関心がなかったが、その日から自分も世界も大きく変わった。

 私の関心は「なんのために生きるのか?」の疑問から、自分自身の内面深く問いつめ、「神仏とは何か?」を中学2年のころから、便利屋とゴリラ便を創業解散するまで続いた。たまたまSNSのミキシーに入って、「借金がお金」という動画を知り、抽象的な神の追求から、現実的な神であるお金の追求に大きく変化した。「お金って何だ?」と模索している内に、3.11の原発事故で、「お金」より「命」の問題の方が重要になってきた。

 年齢的にも、個人の命の問題よりも、命のバトンの方に関心が広がり、それが「再生不可能な原発政策」との戦いに的を絞るようになってきている。

 振り返って、私の探求が「神から金そして核へ」と変わってきたが、この共通分母は「社会の命」である。共通分子である「神・金・核」は「一個の命」である。

個人と社会の命

 10代の頃は自分自身の命のことで一杯だったが、60代になって、子どもと孫の命の方が大きくなってきた。これは個人の問題より社会と世界の問題の方が関心が高くなってきたということである。

 神もお金も核も、命のバトンができない世界構造で、それは独裁と絶対権力が支配する社会である。こうした世界は一世代で終わってしまう、継続不可能である。それを改め永続する命のバトンをして循環する自然に即した世界をみんなで築けるように努力する責務が今の自分にあるように思う。


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