あの世が自然と一体、神様仏様と一体になるってことを話した。ならば、この世って何だろう? この世で最も大事なものは・・・・・あの世にはけしてないものだろう! それは何だ?!
あの世は無我の世界であるから、この世は逆の有我の世界である。故に、この世で最も価値があるのは有我である。有我とは自分が有ること、自分が存在するということである。
自分が最も生き生きとしている状態を「自由」という。そのため、自由でないことはこの世で最も最悪であり、価値のないものである。
最も価値のある「自由」に問題が生じるのは、すべて生きとし生けるものには自由が有るということであり、それらの自由同士がぶつかり合い戦争をすることであろう。そして、より強い者が弱い者よりも、より自由を手にすることができる。
さらに、問題を大きくするのは強い者は弱い者を隷従させて、その力でより自由を大きくすることである。
個人同士において、その能力の差はそうあるものではないが、その能力を無限に大きくするのはその個人を支える多くの個人の能力である。それを社会的能力の増大ともいえるものだろう。
その社会的能力が、一個人の自由を全国民が支えるようになると、それは独裁国家となり、不自由の人が多く、自由な人が1人となると、不満が多くなり、その国家社会は崩壊してしまう。
そこで、自由が最も価値あるこの世においては、お互いの自由を調整させることが社会的努めになってくる。
個々の自由の暴走を調整するのが、好んで不自由になろうとする心がある。それが「愛」である。愛は相手も自分も、その自由を増大させたり、縮小させたりすることができるからである。
人は食べ物がないとこの世は生きられない。その食べ物をすべて自分のものにしょうとする自由があると同時に、その食べ物をみんなで分けようとする愛もある。その食べ物だって、みな好きずきがあるし、食べられる量だって違ってくるので、自由と愛は常に決まった一つのものではない。
そのため、自由と愛にとって、最もバランスがいいのは「個性的」であることだろう。となれば、個性的な国民が多く住んでいる社会がこの世で最も永続できる国だといえよう。