集中と和の学問

 家を造る 意味=目的 をどんどん追求していったら、結局、今作るべきでないという結論がでた。

 実は、家を造る計画は突如生まれたもので、それまでやっていたことが、おろそかになり、うちの畑は雑草が高く生い茂り、誰がみても、畑ではなく、放置された空き地って感じになっていた。回りの果樹園の人は除草剤を使うことを私の畑のためためらっていたが、今日みたら、除草剤をつかって、雑草をきれいに枯らしていた。

 ダイエットも4キロリバウンドしてしまい、あわてて、減量した。一週間でもとにもどしたが、翌日安心したのか、2キロリバウンドした。体重計が壊れていたのか確認したが、正確だった。思い当たるふしがあっても、はっきりとその原因はつかめなかった。こうなると、頭にきて、断食に近いダイエットを強行した。だが、意外と意志が弱いので、そこに集中しないと、意志が貫けないことに気が付いた。

 人はあれやこれや同時にはできやしない。やることをに一つにしないと、集中できないで、みな中途半端になってしまう。

 だが、現実的にダイエット一本に絞るわけにはいかない。いくつかのことをバランスよく、しかもみな成功させなくてはならない。これには生活する技術がいるようだ。

 集中とバランスをどう実現するか?

 ふと、ピアノ演奏が浮かんだ。右手と左手はまったく別な動きをしているが、そこに奏でられる音は和音であり、右手だけの演奏よりもはるかに快い。これだ!

 娘の就職のある会社案内の相談をうけた。その営業品目をみると、あれでもか、これでもかというような幅広い分野に手を出している。全国に数百店舗あるというが、各店舗ばらばらで、この会社は何をしようとしているのかわからない。そこで、社長の言葉をみたら、「今年は1つにまとめようかと・・」というだけだった。

 これでは無理だ。ピアノの和音演奏はできない、不協和音でいつか分裂するような気がした。でも、それを娘には言わなかった。ただ、「ずいぶん幅広いねえ・・山梨は2件だけかあ」というだけにした。否定すれば反発するのは目に見えているからだ。事実だけを伝えるだけにとどめた。

 人が一日でやるべきことは多い。日本政府だって、突如3月11日の震災と原発事故で、その他の事項は2の次にならざるをえなくなったが、全部やらざるをえないことが山ほどある。

 それらすべてを成功させるためには、集中学が必要になる。それはオーケストラのように指揮することが必要になる。どの楽器の音も全体の和音をはずさずに、一つのパートに全勢力をそそぎこまなくてはならない。

 一日の生活リズムをきざみ、やるべきことの優先順位をし、主旋律を何にするかを決め、その和音のメロディとして、その他を入り込ませるのである。

 うつになりそうな友人の生活が朝昼逆転している。しかも、それは悲しく重苦しい旋律とリズムを奏でている。それを転調して、明るい軽快な旋律とリズムにする必要がある。それも集中と和の技術が必要になる。

 たくさんの人が歌っているのに、その声が1人の声に聞こえるときはまことに天国の声のように響く。まったく関係がないことをやっていても、その両者を分解してみると、いくつもの共通点があることに気が付くことがある。そこに和音が隠されている。そこを引き出せばいい。

 例えば、私の腹のような今の日本経済はダイエットと和音で結びつくが、グルメとは不協和音になる。

 いつか、集中と和の学問が小学校のときから必須科目になるかもしれない。

 

 

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