今一番の夢は?
と自問すると・・・
「蒔いた麦の芽が出ること」
と返ってくる。
この返答にびっくりした。
もっと本当に求めることや夢はたくさんあるのだが・・・一番の夢が どうして 麦の芽なのか????
それをさらに自問すると・・・・
「他の夢は自分でなんとか努力すればかなうが・・・・、
麦の芽が出る夢は自分が努力してもかなうものではない 麦自身の力で叶うものであるから」
と答える。
それは不思議な返答だ?!
「自分自身の夢は自分の中から生まれてくるものではないのか?」
「いや! 自分自身の夢は他の存在から生まれてくる。
他の存在からではなく、自分の心の中から出てくる夢は努力すれば叶う夢で それは努力とも言えるものだ」
「叶う夢は夢ではなく 叶わない夢が夢かあ!」
「そもそも自分とは何か?
自分を自分自身で判断できないではないか!
自分の姿は鏡を見ないと見えないように! 自分の夢は他が判断し決める!」
「自分の死もそう言えるかもしれない」
「自分の死は自分自身では判断し 確かめることはできない
自分の死を判断し 決めるのは他人であり 他者である。・・・自分の夢だって そう言えるはずだ」
「自分自身の夢を他者が決めるならば それは何だと言えるのか?」
「それは自然・・・自ずから出てきた欲求つまり夢の姿といえる」
「その自ずからという自然は 麦の存在であり 麦の生命の姿ということか」
「人が物事を為すことは努力することだ。その努力の後に夢が生まれる・・・
畑を耕し 今年収穫した麦種を蒔くとは努力であり、その蒔いた麦が育ち芽を出すのは麦の命の存在であり、その姿が自分自身の夢になる」
「叶う夢は努力で 叶わない夢は自然ということかあ!・・・・・!」