「飲食を薬として、食べ過ぎ飲み過ぎれば毒となる」
をダイエットに意識したが・・・
まだまだ結果がでないので、さらに思索を深めてみた。
ご自愛くださいませ
病気した人を見舞う時、「ご自愛くださいませ」という。
また、「(お体を)お大事に」とも。
確かに、病気したのは自分の心身を無視して、自分より他を愛し、大事にしたことだ。
健康回復には他人より自分を大事にする「ご自愛」が必要。
あの自爆テロは 全くご自愛が欠けている。自殺もそうだが、自爆テロは英雄気取りで周りの他人を追従させている。もし、自分を愛せたら、自爆テロも、自殺もできないであろう。
昔も今も
偉い人は自分より他人を優先する。自分の家族の幸福より他人の幸福を大事にする。
自分のエゴが悪で、他愛が善のような 洗脳がされている。
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」
そもそもイエス自身も、ご自愛せず、自ら磔になり、自分殺す者に対して赦している。
そして、この自己犠牲して多くの人を救うこと最も貴いかのようにしている。イエスに習って、多くの信徒が自己犠牲をして命を捧げている。日本のキシリタンもそうであった。
だが、そうしたキリスト教を信じる古今東西、戦争が過激化してきて、今の極端なイスラム教の自爆テロにまでなって、世界を震撼させている。
思うに、当時の残虐な政情では自己犠牲を英雄視する教えに効果があっただろうが、今は基本的人権を最も大事にする時代になってきている。昔の考え方では逆効果になってしまう。
例えば
「もったいない」・・とはご飯の一粒も残さず食べなさい という家庭のシツケにもなっているが、
これは戦争中で食べ物が不足していた時代には有効な教えだが、食べ物がありあまっている時代には逆効果である。私は残り物を自分だけでなく、子供たちのものまで「もったいない」ので、食べてしまい、肥満症になってしまった。ダイエットにはこの「もったいない」は禁句である。「残ったら食べずに捨てなさい」がより大事な教えになる。
今の時代は他愛よりご自愛が大事になってきている
時代は世界をリードしてきたアメリカの方針が 他国愛より自国愛に グローバル化よりローカル化になってきた。時代は大きく転換しようとしている。
小さな親切と大きなお世話
今日本で、ストーカー殺人、児童虐待など 「愛すること」に大きな変化がきている。
どこまでも愛を貫く純愛が最高の愛のカタチみたいな時代は今大きく転じようとしている。
行き過ぎた愛情は憎しみに、憎しみは殺意にと変わってしまう。
どうして愛は行き過ぎてしまうのだろうか?
愛欲も食欲と同じ欲望である。愛し過ぎも、食べ過ぎも病気になる。
愛に節度あるブレーキをかけるには、相手を尊敬するかどうかを自問し確かめる必要がある。
尊敬のない愛はただの欲望にすぎない。
「ご自愛」と「エゴ」の境界はそに自他の愛に尊敬があるかどうかである。
もし、相手に尊敬があったら、「相手に良かれ」と思ったことに対して遠慮また謙虚になって、
「小さな親切」になり、けして「大きなお世話」にはならないはずである。
食べ過ぎてしまうのは、食べ物に敬意があるかどうかである。食べ物はみな相手の命である。右の頬を打ったら左の頬を差し出された状態でもある。
右の頬で充分ですか? 足りないようでしたら「左の頬」はいかがですか?
左の頬を差し出されたとき、それを食べるかどうか? である。相手を尊敬するなら、とても左の頬まで食べようとはできないだろう。