Archive for the ‘徒然草’ Category

生死がさざ波に観じる

金曜日, 1月 11th, 2019

友人の事故で、自分もいつ死んでもいいように準備しだした。

自分の葬式、墓場、資産を娘二人に遺言状として書き留めてみた。

すると、意外なことに気付いた。

「死ぬとは生まれる以前の世界に帰ることだ」

時は河の流れ

生死はその川のさざ波

さざ波の浮きて光るのが生きている

さざ波が沈んで暗くなるのが死んでいる

そして、

いろいろ苦労してやっていることが

ほとんど死後残らないことに気が付き、

残らないようなものはみな生前に処分しておいた方がすっきりする。

娘二人が引き継ぎそうなものは残す。

引き継ぎそうにないものはみな生前に整理する。

それ以外に二人にどうしても伝えたいことは解りやすく整理して残しておく。

それは今生で気が付いたことを書き残し、娘たちが困ったときに役立つようなことである。

そんな作業をしだしたとき、

ドナウ河のさざ波で浅田真央が氷上に舞う姿がちょうど残された人生とリンクしてきた。

死ぬのが恐怖にはならずに、一時の眠りのようにさえ感じる。

そして、いろいろな不安が消えて、平安な気持ちが沸き起こってきた。

不安から妄想が

平安から自然が

拡がっていく

喜怒哀楽がいろいろなさざ波模様にみえて、時は永遠に流れていく。

仏跡巡り

土曜日, 1月 5th, 2019

自然と健康の会のフィナーレは「仏跡巡り」

2019年3月9日(土)~20日(水)の12日間の旅

コルカタ(CCU)の格安往復チケットを1月11日に同時購入で始まる

O教授の詳細な旅程表はないが・・自分が企画したらという予想で予習する

大パリニッバーナ経 18節「病に臥す」

「アーナンダよ。
私が亡き後でも、信仰心のある修行僧は4つの場所に赴くことがあるだろう。
その4つとは、

私が生まれた場所(生誕の地_ルンビニ)

悟りを開いた場所(成道の地_ブッダガヤ)

最初に教えを説いた場所(初転法輪の地_サルナート)

寂滅した場所(入滅の地_クシナガル)

である。
これら4つの場所を人々は巡拝するだろう。

修行僧も、そうでない人々も。男性も女性も。
だからそこでまた旧知の友と出会うことができる」

仏陀の4大聖地
仏陀の四大聖地

ルンビニがネパールにあるので、インドからネパールに入るビザが必要だと思われるか?

必要があった場合・・顔写真4,5×3.5㎝、3000円

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O教授からの滞在ホテルが決まっってからインドビザ申請

病は気から?!

悟った仏陀が病気で亡くなった。

「やがて一向はパーヴァーに到着すると、鍛冶工を営むチュンダの林にとどまることにした。
林の所有者であるチュンダは、ブッダらがやってきて自分の林にとどまっているという話を耳にすると、さっそくブッダのもとを訪ねた。

チュンダはブッダのもとへやってくると礼をして、坐した。
そこでブッダはチュンダに法を説いて聞かせた。
するとブッダの話を聞いたチュンダは大いに感激し喜び、そしてブッダにこんな提案を申し出た。
「尊い方よ。すばらしい説法をありがとうございました。
そこでお願いがあるのですが、どうか私にあなた方の供養をさせてください。
明日の朝、どうか私の家で修行僧たちとともに食事を召し上がっていただきたいのです

ブッダはその申し出を了承した。
チュンダは喜び、座を立つと、ブッダに礼をして食事の準備をするために家に帰っていった。
チュンダはそれから夜中かけて食事の準備を進めた。
美味なる食べ物。柔らかい食べ物。キノコ料理
チュンダはブッダらをもてなすために、多くのご馳走を用意した。

明くる朝、ブッダらはチュンダの家を訪れた。そして用意された座席に腰を下ろした。
ブッダも席についたのだが、座ってまもなく、チュンダに声をかけた。
「チュンダよ。そこに盛り付けてあるキノコ料理だが、それは私に給仕しておくれ
修行僧たちには他の美味なる食べ物を給仕してやってほしい」
「かしこまりました」
チュンダは返事をすると、キノコ料理をブッダへ、その他の料理を修行僧たちへ給仕した。

キノコ料理を用意してもらうと、ブッダはチュンダにまた声をかけた。
「チュンダよ。余ったキノコ料理は土に穴を掘ってそこに埋めなさい。
他の誰にもそれを食べさせてはいけない

チュンダは言われたとおり、余ったキノコ料理を外に持っていき穴を掘って埋めた。
そして戻ってくると自らも腰をおろした。
そこでブッダはしばらく法を説き聞かせ、話が終わるとチュンダは満足して座から立ち上がり出て行った。

チュンダが去ってからブッダは食事をはじめた。
しかしキノコ料理を食べてまもなく、ブッダは激しい苦痛に見舞われることになった
激しい下痢を起こし、そこには血が混じってもいた。
ブッダは気を落ち着けることに専念し、痛みに苦しみながらも心を整え、激しい苦痛を耐え忍んた。
そしてアーナンダにこう告げた。
「さあ、旅を続け法を伝えよう。次はクシナーラーの地だ」

アーナンダはブッダの容態を心配しつつも、ブッダの言葉に従った。
しかし、クシナーラーに向かって歩き始めてしばらくすると、ブッダは路を外れて一本の木に近づいていった。
「アーナンダよ。すまないが少し休みたい。とても疲れてしまった」
ブッダは歩くことがままならない様子であった
アーナンダは急いで衣を折り畳んで敷物の代わりにし、ブッダをその上に坐らせた。

腰を下ろすと、ブッダはまたアーナンダに話しかけた。
「アーナンダよ。水をもってきてくれないだろうか。喉が渇いてしまった。私は水を飲みたい」
「ブッダ。ちょうど近くに小川がありますが、たった今多くの車が渡ったところで、土がかき乱されて濁ってしまっています。
すこし離れたところにカクッター河があり、あそこの水は清らかに澄んでいるはずです。そちらの水にしましょう」

アーナンダはそう提案をしたが、ブッダは頷かなかった。
ただ「水が飲みたい」と繰り返すだけだった。
仕方なくアーナンダは近くの小川で水を汲んでくることにして、鉢を持って急いで出掛けた。

ー^-^-^-^-(省略)

ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。
もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。

『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。

だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」

そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
施す者の功徳はすぐれたる
心を整えれば怨みはない
善き人は悪事から離れ
欲を滅して煩悩から放たれた

ー^-^-^-^-

鍛冶工のチュンダは誤って仏陀に毒キノコを食べさせてしまった。

仏陀は怒ることなく、また弟子にもチュンダを許すように言ったが

仏陀が早く亡くなったのは毒キノコを食したからであることは確かだろう。

病は気からも起こるが・・

病は食するものからも起こる!

とも言えよう。それはどんなに悟った人(身体)も食からきた病には勝てないともいえる。

聖人であったイエスキリスト(身体)も、武力には勝てないことも歴史が証明している。

仏陀もイエスも、その身体は病気や武力には勝てないが

その精神・魂においてはどんな病気や武力でも克てるということも歴史が証明している。

自然と健康の会は身体的な苦痛から、精神的苦痛を取り除く方向へとジャンプしたようだ。

鍛冶工のチュンダのうっかりミスを罰することなく、

そのうっかりミスを逆に仏陀への祝福へと転じさせることで、

被害を仏陀の死期を少々早めただけで食い止め、鍛冶工のチュンダとその家族の命とその心さえも救いだす慈愛(慈悲)を弟子や後世の人々への教え(仏法)に拡げている。

今後の自然と健康の会は

時代と国を超えて、精神的な自然と健康は何か? 

それは人と人の触れ合いから起こる”慈しみ”から出発する

この仏跡巡りは、次の自然と健康の会には最後で最初の学びの旅にふさわしい。

小さな花

土曜日, 12月 8th, 2018

今朝、また77歳バンドの二人にあった。

小さな花をまた演奏しだした。よほど好きなのだろう。

帰宅して、MUSICSCOREで検索し、それをSHAKUSCOREにEXPORTした。

1尺6寸尺八へ移調(Shakuhatiscoreで設定のパートでできる)したら、演奏しやすくなった。

小さな花Petite fleur」は、アメリカのソプラノ・サックスおよびクラリネットの奏者であるシドニー・ベシェSidney Bechet が1952年に妻のために作曲したものですが、

パリを中心としたヨーロッパで人気を博し、フランス語の歌詞が付けられてシャンソンとして歌われました。

日本ではザ・ピーナッツが「可愛い花」というタイトルでヒットさせました。

デビュー曲シャンソンで、昭和37年というから、77歳にはまさに青春だったのだろう。

先日も

”君といつまでも”を演奏していた。

二人は青春時代の楽しさを思い出し、

その回想の日々を楽しんでいたのだろう。

一世代上の70~80歳代は青春の回想が楽しみに対して、

また60歳代の私には何かじれったく、今苦労して生きている若者たちへの応援歌の方がぐっとくる。

負けないで!

がいい、

勝って!

ではない、

意識は相手ではなく、自分にあるからだ。

ジュピター/自信を持て♪

金曜日, 12月 7th, 2018

無料のドレミ楽譜尺八譜をダウンロードすると

最新曲も尺八譜にできるというのでやってみた。

museのクラリネットのジュピター音がヒット

それを尺八譜にExportして、画像ソフトで編集した。

吹いてみたら、同じメロディーを三回繰り返せばいいだけだが・・

いつもと違う流れなので覚えにくいが・・気持ちがいいメロディーである。

ジュピターの元の曲を知りたくなった。

この作曲者のホルストも知りたくなった。

そして

改めて平原綾香のジュピターを聞いてみる。

ジュピター 平原綾香

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながってる
果てしない時を 越えて輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙(そら)の御胸(みむね)に抱かれて

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂(しじま)に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために

この歌詞もいい。

夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと

私の命のバトンは‴自信を持て”ということと共通している。

唄のメロディーに酔いしれて、

大事なメッセージを聞き流してしまいそうだ。

ここ1か月間、進化について考察してきた。

その進化もまた、

‴自信を持て”

に尽きるのである。

どんな障害であれ、どんな生物であれ、どんな人間であれ、

与えられた自分の命を燃やし尽きることが

自信を持つということだから。

命は一つ、多様性が進化

土曜日, 12月 1st, 2018

生物は共通祖先から進化し、多様化してきた

人とサルの共通祖先

人と類人猿の共通祖先

進化の定義

進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない。

また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。

進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

自然選択の模式図

図中では色の濃い個体ほど有利とされている。突然変異がさまざまな形質をもたらすが、そのうち生存に好ましくない変異が消滅し、残った個体が次世代に子孫を残す。この繰り返しによって、個体群が進化していく。

 

2005年のある研究によると、いま生きている動物の中で最もヒトに近いチンパンジーは、遺伝子的に96%ヒトと類似している。

 

命が一つというのは「共通の祖先」であるということ

命が無数というのは「個体(DNAの組み合わせ)が無限」だということ

 

個体の進化は時間と同じく進むだけであり

時間が戻ることはないように、個体の退化はない。

 

個体の変態や成長は変化変革であって進化進歩とは判別する。

 

人間の自我は人類の個体の意味で、無限にあり

生物多様性と同じく、一個の自我が他の自我を支配しようとしたら、

命そのものの進化を否定することになり、自滅する。

 

ナンバーワンを目指す生き方は命の多様性としての進化を止めるもので、

オンリーワンを目指す生き方が命の多様性と進化を進めるもので、

命の自然の摂理に合う

 

それぞれの生物が

それぞれの人々が

オンリーワンを目指して生きるのが命あり進化する自然である。

 

何を信じるかは何を目的にするかだ

火曜日, 11月 20th, 2018

ずっと永いこと

仏教は悟り(=仏)を

求めること

だと思っていたが・・

般若心経の

無智亦無得(むちやくむとく)の意味は「悟りは無く、悟りから得られるものも無い」

つまり

「悟りは無い」のだから、求める必要も無い

ということだ。

不悟の悟(みつを)

無智の智(ソクラテス)

不知の知(老子)

の境地と同じである。

仏陀がいう

「法灯明 自灯明」の「法灯明」の法とは仏法(仏・八正道・悟り)

のことだから

「法灯明」は「不悟灯明」また「無法灯明」

である。

それは明日は何が起こる解らないことだし、

昨日はすでに消えて無くなり二度と帰ってこない。

未来も過去も、不悟 不知

その不悟の悟 不知の知 無智の智 無法の法を

灯明(頼り・信)として

今の確かな自分を灯明(頼り・信)として

生きよ!

要約すれば

「自灯明=自分の魂」だけを頼り(支え・自信)にして今日一日をしっかりと生きよ!

 

目的は未来に在り

原因は過去に在る

未来も過去も不悟なのだから

目的も原因も不知であり、不確かで在る

確かな目的と原因が在るとするならば

それは今の自分の中(心身魂)にしかないのだから

目的は今の自分の中に持ち、

原因は今の自分の中を探る

ことが一番確かな道である。

 

自信を持つということ

それは

今の自分を目的に

今の自分を原因に

するということ

不悟灯明

自信灯明

Live now with brightness
of no-enlightenment
of self-confidence

 

何を信じて生きればいいのか

日曜日, 11月 11th, 2018

12月20日の12:50ー14:20 グローバル生産環境論は・・

昨年の同じ12月に 大橋教授の「何を信じたらいいのか?」

という授業の続きで、私が、「遺伝子組み換え」の話をし、

それは予定になかった授業であり、その場の学生と教授の空気を読んで急遽変更したものだ。

 

昨年も今年も、生物資源産業学部2年生対象 受講生20名であり、昨年の受講生は3年になり、今年の受講生は2年なので、まったく別な学生である。

昨年の授業の教室は異様だった。

広い教室に、一番後ろの二列に全受講生が固まり、前の十数列はがら空きで、

まるで授業を拒否しているようであり、質問して、気付いたのはほとんどの学生が授業内容を聞いていないことだ。

何か、大橋教授の遺伝子組み換えが危険である思想への防御姿勢を感じた。

特に、女学生の抵抗が大きく、私が用意した古代麦のおにぎりを食べずに教室を出て行った。

唯一食べたのは男子学生の一人だけであった。

 

10月例会の知足庵に、生物資源産業学部 男子学生が5人来ていたが、女子学生は1人も来ていなかった。徳大の同じコースは男女半々在籍なのに妙だった。

その学生が、私の古代麦の話に興味をもって質問が多くでた。中には古代麦を食べたかったという者もいたのにはびっくりした。

その流れがあったせいか、大橋教授は今年も授業に呼んでくれた。

大橋教授が来年退職するので、私の徳大最後の授業であろう。

それ故に、学生への命のバトンの機会も最後となるので、さらに集約した俳句のような90分にしたくなっている。

この一年の流れからすると、

「何を信じて学び生きていけばいいのか?」

それを古代麦を通じて、学生に観じさせるような命のバトンであろう。

^--^-^^-^

古代麦の話を深めていくと、

一つ一つの穀物、野菜がみな特別な個性を持つため、どんな穀物も野菜も、同じような農法で育てることができなく、ちょうど植物辞典を作成するような、一つ一つの穀物、野菜、樹木またそれぞれの品種についても、その特性を吟味して行く必要があると思われてきた。

これは

「何を信じて学び生きていけばいいのか?」

の答えが・・・・

「自分自身を信じて学び生きていけばいい」

ことにつながってくる。

いわば、自分の個性を信じることは、古代麦の特性を信じて栽培するということである。

ー^-^

この自分自身を信じて行動することについて、気になる言葉があった。

「法灯明、自灯明」である。

それは仏陀が、法灯明として、仏法を頼りとせよと言ったが、それが私には思い込み、先入観であるので、その法灯明を廃し、自灯明だけでいいと思っていた。

だが、

仏陀の教えの神髄を書いた般若心経には、「仏の悟りもまた当てにならない」とあるから、

 

ソクラテスの無知の地、老子の不知の知と 同じ境地であると思える。

つまり、

法灯明は 不悟の悟 と解釈できるから、不悟灯明と自灯明を頼りに信じ、学び、生き続けなさいという方が確かな導きに思える。

明日はどうなるか解らないからこそ、

今日を信じ、学び、生きることができる。

といえるだろう。

仏陀の教えは今から2500年前であり、古代麦の品種は今から8500年前である。

一体、いろいろな教え、いろいろな品種で、2500年から8500年も生きながらえるものはそうはない。

文化文明でも、縄文時代は15000年続き、弥生から現代までは2100年続いていることを考えれば、

ここ200年の科学技術文化の思想や経済変化で、右往左往するのは人類大人げないであろう。

2006年にアイスランド沖で発見された「ホンビノスガイ」食味が良く、欧米ではアサリやハマグリ同様、よく食用にされる。最近では東京湾にも定着してしまったようだ

 

 

ソニーのブラビアのデジタル受信部品はリコールすべき

木曜日, 11月 8th, 2018

ケーブルテレビが光ケーブルに替えた時

急にテレビのデジタル放送が見られなくなった。

二度ほど、ケーブルテレビの担当者に来てもらった、

光ケーブルへの交換期に偶然テレビのデジタルアンテナ受信部が故障したという結論に達した。

ソニー ブラビア 受信部

ソニー ブラビア 2009年製

ケーブルテレビの入力信号はテレビのデジタル受信部までは正常に来ているが、

ソニー ブラビアのデジタル アンテナ受信部品が不良品(欠陥品)であるため、受信できなくなっている。。

また

BSアンテナ受信部と、ブルーレイのデジタル受信部はADSL配線で接続が正常であるため、受信できる。

ネットの動画でも、

ヤフー知恵袋でも

テレビが映らなくなって

こうした、突然テレビが受信できなくなる故障は

ネットでは ソニーの ブラビア 製品に多くみられる。

修理はソニーでできるが・・

基盤ごと替えるので、出張料と合わせて、ネットで見積らせたら、

55000円+税=59400円であり、

新しくテレビ買った方が安上りである。

車では、命の安全があるために、欠陥品として無料のリコールがされるが、

テレビのようなものは直接命にはかかわらないので、無料のリコールで欠陥品を交換しない。

しかも、受信部の欠陥品だけを自分で交換できれば、数百円で、修理可能である。

こうした、

家庭の電化製品には、ちょっとした、部品交換さえできれば、買い替えなくても、十分長く使えるものが多い。

ー^-^-^-^-

一体便利で、快適な社会って このソニーの ブラビア デジタル受信部品の欠陥品で、テレビを最新式に買い替えるような、生産と消費のお金だけが大きく動く社会ではないだろうか?

医療もまた

ちょっとした病気も、癌のような手術や抗がん剤、放射線治療などをして、おおげさに、命そのものの交換がされてしまうような社会に見えてくる。

知恵ではなく、お金で物事が判断されてしまう、そんな社会は迷信時代となんら変わりがない時代にみえてくる。

GDP脱し
金より命
幸来たり

Fortunately
Life than money
Off GDP

 

種子法著作権法良し悪し也

火曜日, 11月 6th, 2018

良き唄も

著作権で

忘れ去られ

Also a good song
By copyright
Forgotten

ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや
金がなければくよくよします
女にフラれれば泣きまする
腹が減ったら おまんま食べて
寿命尽きればあの世行
ありがたや ありがたや

Thankfully and gratefully
Thankfully and gratefully
I will worry if I do not have money
I will cry if a woman is hurried
If you get hungry, eat odds
If life is over, future line of life
Thankfully and gratefully

恋というから 行きたくなって
愛というから 会いたがる
こんな道理は誰でも解る
それを止めたじゃ 字を変えろ
ありがたや ありがたや

I want to go because I’m in love
I want to see you because it is love
Anyone can understand such a reason
If you stop that, change the letter.
Thankfully and gratefully

(In Japan punishment
I can not translate)

ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや
デモはデモでも あの娘のデモは
いつも はがゆい じれったい
早く一緒になろうと言えば
でもでもでもと言うばかり
ありがたや ありがたや

ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや

近頃地球も人数が増えて
右も左も満員だ
だけど行くとこ沢山ござる
空にゃ天国 地にゃ地獄
ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや

Recently the number of people on the earth has increased
Both right and left are packed.
But there are plenty of places to go

Heaven in the sky
Hell in the ground

Thankfully and gratefully
Thankfully and gratefully

酒を呑んだら 極楽行きと
思うつもりで地獄行き
どこでどこやら道まちがえて
怒鳴る女房の閻魔顔
ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや

When I drank alcohol, I went to Paradise
For me going to go to hell
Where and where wrong way wrong where
My wife yells at Enma’s face
Thankfully and gratefully
Thankfully and gratefully

親の教えは尊いものよ
俺もそろそろ見習おか
親父や ええとこで酒呑んでござる
勉強ばかりでは親不孝
ありがたや ありがたや
ありがたや ありがたや

Parents’ teachings are precious
I’m about to learn something soon.
My father takes a drink when he is important
If a child is studying hard it is unfaithful
Thankfully and gratefully
Thankfully and gratefully

 

断食道場に行くかあ!

日曜日, 10月 7th, 2018

Go to the fasting dojo!

友人のドクターKが知足庵で、10/10~17日まで 断食道場をする。

続いて、10/18~20日までは、健康と自然の会だ。

Friend Doctor K is Tisokuan, and I will do a fasting dojo until 10/10 ~ 17.

Next, from 10/18 to 20, it is a meeting of health and nature.

^-^-^-^-^

当初、わが畑の実験忙しく参加できないと思ったが、・・

何もしない農法に転じたため、参加できるようになった。

断食と健康は切っても切れない関係というか、一種の食事療法である。

十数年前に、10日ばかり断食した経験があるが・・3日を過ぎると楽になるが・・体がフラフラしてしまった。断食明けに、目の前にあった昆布茶がやたら美味かったことが印象的である。

Initially, I thought I could not participate in experiments in our field busily, but …

It turned into an agricultural method that does nothing, so I became able to participate.

Fasting and health are inseparable relationships, a kind of diet.

I have had a fasting ten days ago ten days ago but it will be easier after three days but my body has fluttered. It was impressive that the taste of kelp which was in front of you was tasty easily at the end of the fasting.

ー^-^-^--^

今、日本では癌が死亡原因のトップであり、健康にとって、まずその癌に対する姿勢をどうするか?

が、まず初めにしなくてはならないことだが・・自分が癌にならないので、それから逃げていたことは確かだ。

ドクターKの断食道場をきっかけに、ムラキテルミさんの経験談から、癌と健康に向き合ってみたいと思う。

Today, cancer is the leading cause of death, and for health, what will you do with your cancer ‘s attitude first?

But what I have to do first is that … Because I do not get cancer, it is certain that I ran away from it.

Based on Doctor K’s fasting dojo, I would like to face cancer and health from Mr. Muraki Terumi’s experience.

 

明日の8日からまた車で徳島に向かう旅をすることにした。

健康は努力なしにはもらえない

I decided to take a trip to Tokushima by car again from the 8th of tomorrow.

Health can not be gained without effort

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ