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自然に死はない

土曜日, 11月 20th, 2010

早速枯れ葉を軽トラ2台分畑に敷き詰めた。

麦畑に枯れ葉を

この枯れ葉の上に籾種の泥団子をばらまく。

水田を作るのに手間取ったために、やっとクローバーと麦を蒔いた。その芽を出させるために、ブルーシートをかけていたが、クローバーが地中と勘違いして、もやしのように背丈が高くなってしまった。さらにのびてしまい、ブルーシートをとると、クローバーは死んでしまう。そのため、ブルーシートをやめて、枯れ葉で保湿して、麦の芽を出させようとした。

麦畑の一角につるなしのインゲン豆を植えていたが、急に葉が枯れかかっているのを発見してあわててしまった。病気かと思って、よく見ると、たくさんの実がなっていた。

実ができると枯れるのはカボチャやメロンと同じであった。

リンゴの自然農で有名な木村秋則さんが、自然農で育ったリンゴは腐らない!枯れる!のだという言葉は印象的であった。

腐るか枯れるのかは、昨年生ゴミを堆肥にする経験から、実験済みである。生ゴミは土と混ぜると、春夏は腐敗してすぐに堆肥になるが、秋冬の場合は、腐敗しないで枯れて(水分がなくなって)、土と混ざるのである。

腐敗菌は水分と温度が必要なようで、水分がないと腐敗しないし、温度が低いと腐敗しない。果物でも野菜でも乾燥させたりすると保存できる。果物や野菜のジュースを凍らすとずっと腐らない。

稲種が越冬するためには乾燥させることと、温度を低くすることが必要だというのがよくわかる。

草の種類によって、季節の温度で芽を出し育つようだ。麦は秋、稲は春ということだ。交互に一年中育つようだ。

麦や稲の一生をながめていると、人が死としている姿は自然死ではない、病気や災害で死ぬことであり、寿命をまっとうすることではない。草でいえば、病害虫で実がならないで腐敗してしまうことであろう。自然の死は実を残して、枯れることであり、その実がまた生長することである。

 つまり、枯れて越冬して春に芽を出す時期が自然死の姿であるということだ。すべて無くなることが死であるならば、どんなものも、なにかしらの思い出や生きた痕跡を残しているのが真実の姿である。物質にエネルギーの保存の法則があるように、人は死んでも自己保存の法則があるということである。もちろん、その自己は肉体の姿ではない、人と人の絆の姿である。

 端的にいえば、自然の死とは枯れて実を守ることであり、人の死というのは腐敗することであり、実を残さず消え失せることである。