意志の不可思議

 100歳以上の行方不明数が70数名になっている。また、児童虐待や孤独死の事件が続くと、家族や地域の絆がうすくなってきたことを思い知らされる。

 お金のシステムを、ベーシックインカムと合わせて考えていると、どうしても、一緒に考えねばならないのが、地域や家族の絆である心のシステムである。

 例えば、前述の生活通貨の提案も、「税金」を「寄付」にしてシステム化するしかなくなる。それは、人の命を支えるのはお金だけではなく、人の心の意志が必要だからである。人を自由にするにはその意志が最も重要である。

 心とは何か? と探っていくと、それが欲望になる。さらに、その欲望を追いかけると、矛盾する意志にぶつかるのである。

例えば、ダイエットを志したときに、自分の意志に2つの心の葛藤が起きる。食べたい:食べたくない 運動したい:運動したくない というような矛盾する葛藤である。

 こうした矛盾の心を人格化すると、天使のような人格と悪魔のような人格が自分の中でぶつかりあっているようなものである。善と悪の戦いがまさに自分の心の中で起きている。

 これは、宗教的なジレンマにもあって、どっちが「本当の自分」でどっちが「偽の自分」なのか、解らなくなってしまう。その本当の自分の葛藤は洗脳に利用されてしまうこともあり、本当の自分は教祖の意志になり、偽の自分は本来の自分の意志になったりする。

 思想的にも、人は「もともと善人」という立場と、「もともと悪人」という立場にも分かれることになる。また唯心論と唯物論というような心と肉体で分けてしまう。

 法律でも、その葛藤があり、犯罪者の意志が正気か病気かによって、有罪か無罪かに分かれることになる。

ダイエットにおける葛藤はまさに意志の不可思議をよく表している。

 やせたい(食べたくない)と食べたい(太りたい)は相反するどちらの意志も、明らかに両方とも自分の意志である。どちらの結果になっても、自分の意志の結果である。

 国際間の紛争も、この葛藤をしているような気もする。

 もし、矛盾する意志を両方満足させるような知恵が生まれたら、まさに平和の時代がやってくることになる。また、人は自分自身を克服して、もっと自由になれる。

 自分自身の中にある、この相反する意志の研究は最も必要な学問になっていくような気がする。

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