序章
残り少ない人生で考えるとしたら、生きている間に自分ができること、いや、自分しかできないことは何かである。
自分しかできないことというのは、今まで自分が悩みながらも発見したことを後世に伝えることではないだろうか。
十代のとき、死ぬほど苦しかった過去の自分と、その苦しみを乗り越えてのんびり生かされている今の自分と比べてみると、明日の自分は何をすべきかが解ってくる。
自分の子どもの苦しみを観察すると、当時自分が苦しんだ内容と同じもの、違うものがある。違うとすれば、その時代時代がみんなで解決した内容であったり、逆に昔はそんな問題はなかった内容である。
でも、百年たっても、同じ問題を抱えている内容もある。いわばそれは永遠のテーマであり、人間の生と死に集約することができる。
永い経験で、どんな問題もその次元を大きくしていくと解決できてしまう。逆に、どんな問題もその次元を小さくしていくと、どんどん問題が大きくなってしまい、にっちもさっちもいかなくなる。
最近、ユーザー車検でブレーキランプが切れてスムーズに通らなかったときだ。そんな小さな問題にくよくよしたり、はらはらしてあせってしまう自分に驚くことがあった。まるで生きるか死ぬかのようなドキドキしたのだから、あきれてしまった。歳のせいか? 歳にしてはとりすぎている。はて? 猿も木から落ちるということか? いやいや年寄りはほんの小さな段差でもつまづくというではないか、やはり老化が原因ではないのか?
とまあ、悩むのはいくつになっても同じのようだ。
生と死は時代も年代も超えて、悩むテーマである。そこで、生と死の問題において、これから自分しかできないような発想をして、後世に伝えたいと思う。
その視点を「みんな神様道」と名付けてみた。