人間と神なる自然

東京の板橋の散歩はダイエットのために始めた

その散歩は近くの公園巡りがほとんどだった

山梨の自宅に帰っての散歩は 公園巡りというより 公園内に自宅がある

散歩は公園の公園 つまり近隣の山々巡りになってきた

自宅は山にあり その上を上ると 富士塚が10分程である

自宅から30分登ると フルーツ公園

自宅から1時間登ると ほったらかし温泉

自宅から3時間半上ると 棚山がある

この棚山は自宅から真西に ラクダの背のように見える

自宅からみる棚山と兜山

左に見えるのが 兜山だ

棚山山頂から自宅を眺めると

ほったらかし温泉 フルーツ公園 我が家がある

棚山山頂より自宅を眺める

 

板橋では御神木の スダジイ(椎木)からパワーをもらった

山梨では どうも この棚山が 私の御神山で、そのからパワーというより 守られているという感じがする

人間と自然 人間と神

その両者の視点の差はこの写真からも解るように

人間から神なる自然は大きく見えるが

神なる自然から人間は実に小さくて見えないくらいだ

もし 人間社会で迷ったら 神なる自然の視線で人間と自分の存在を見ると きっと悟って迷いは消えるだろう!

 

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