終戦記念日

終戦から69年たった

命の歌を聴き

はだしのゲンのドラマを観て

日本人として世界に向かって

今後何をすべきかを改めて

問い直す日になった。

 

私は終戦から5年後

平和と復興の最中に生まれ

国民年金が来年入る前の歳である。

 

青年時代を思い出し

コーヒーを飲みながら

子供たちに 人類に

何を残そうか? 瞑想した。

 

広島の川は世界の海に流れていく

そのはだしのゲンの作者は歌う。

 

一個人で 世界にどれだけ残せるのか?

はだしのゲンの生き方は 世界に伝えられている

はだしのゲンの父母兄弟の生き方も同時に伝えられている

無名な一個人でも 世界に伝えられるものは

この自分の生き方だけである

 

自分の資産があろうとなかろうと

子供がいようと いまいと

次の人類に残せるのは

どう生きたか? であり

死に様 つまり生き様である

 

みな遺産を残すことに注目しているが

命の成果ばかりに心を奪われ過ぎている

成果をなす命そのものを忘れている

 

生まれてすぐに

病気や飢餓で死んでいく

子供たちの遺産のような成果などあろうか?

蝉のように7日だけ生きたこと

その生き方 生き様が

世界に残され 伝えられ

次の人類への知恵と愛のDNAであろう。

 

死人の姿も

生まれる前の姿も

善人悪人の差などない

流れいく世界の海のように

みな同じ命の源泉の姿 神仏である

だから 死んで戒名をつけるとしたら

みな同じ 命という名で いいではないか!

死とは 自分の名が消え

みんな同じ命という名が与えられることではないだろうか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

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