馬頭琴の三伝説

フフー・ナムジルのものがたり

むかし、フフー・ナムジルというとってもハンサムな男[おとこ]が、モンゴルの西[にし]の辺境[へんきょう]で兵隊[へいたい]の仕事[しごと]についていた。フフーには、翼[つばさ]のあるジョノン・ハルという馬[うま]がいて、それに乗[の]って婚約者[こんやくしゃ]のところにかよっていた。

その婚約者[こんやくしゃ]とはべつに、フフー・ナムジルを好[す]きになった女[おんな]がいた。

その女[おんな]は、フフー・ナムジルの婚約者[こんやくしゃ]がねたましくて、彼女[かのじょ]に「フフー・ナムジルにはほかに好[す]きな女[ひと]がいるわよ」と、うそを言[い]った。

あるとき、フフーが馬[うま]のむれを追[お]って家[いえ]にもどり、翼[つばさ]のある馬[うま]を休[やす]ませていると、あのわるい女[おんな]が馬[うま]のところにやってきた。

ジョノン・ハルはご主人[しゅじん]がきたとおもって、よろこんでふたつの翼[つばさ]をひろげた。

すると、女[おんな]はその翼[つばさ]をはさみで切[き]り、馬[うま]はすぐに死[し]んでしまった。

フフー・ナムジルは、息[いき]たえたジョノン・ハルを見[み]て悲[かな]しみにくれ、この馬[うま]を忘[わす]れないために、ジョノンの頭[あたま]の形[かたち]を木[き]に彫[ほ]り、

それにながい柄[え]をつけて、根元[ねもと]に箱[はこ]をつけ、ジョノンの皮[かわ]でおおい、

しっぽの毛[け]を張[は]り、松脂[まつやに]をそれにぬって音[おと]を出[だ]し、

ジョノン・ハルのいななく声[こえ]や、歩[ある]いたり走[はし]ったりするすがたを音楽[おんがく]にした。

こうしてモリンホールは生[う]まれた。
(「フフー・ナムジル」はモンゴル国[こく]で有名[ゆうめい]なおはなしです。)

 

バトルと黄色[きいろ]い馬[うま] むかしむかしモンゴルの草原[そうげん]に、バトルという正直[しょうじき]で勇敢[ゆうかん]な男[おとこ]の子[こ]がいた。黄色[きいろ]い小[ちい]さな馬[うま]がいちばんの仲間[なかま]。一人[ひとり]と一匹[いっぴき]は、ナーダムの競馬[けいば]では9回[かい]も優勝[ゆうしょう]したんだ。

ある秋[あき]、バトルがくらす国[くに]の領主[りょうしゅ]が、となりの国[くに]の領主[りょうしゅ]たちと、ナーダムの大会[たいかい]をひらく相談[そうだん]をしたついでに、こんな賭[か]けをした。

「あの黄色[きいろ]い馬[うま]が勝[か]ったら、君[きみ]たちから30平方[へいほう]キロメートルずつ牧草地[ぼくそうち]をもらおう。負[ま]けたら、君[きみ]たち一人[ひとり]ずつに、30平方[へいほう]キロメートルの牧草地[ぼくそうち]と、美人[びじん]を2人[ふたり]ずつプレゼントしよう。」

うわさはあっという間[ま]に広[ひろ]がって、バトルは心配[しんぱい]で恐[おそ]ろしくてたまらなくなった。

[うま]は年寄[としよ]りだから負[ま]けるかも知[し]れないし、負[ま]けたら、国[くに]の人[ひと]たちに、すごく迷惑[めいわく]がかかってしまう。ああ、負[ま]けたらどうしよう!

試合[しあい]の日[ひ]、草原[そうげん]には見物人[けんぶつにん]がおしよせた。

試合[しあい]に出[で]る何百匹[なんびゃっぴき]もの馬[うま]もやる気[き]まんまんだ。王様[おうさま]たちが席[せき]におつきになると、いよいよ試合[しあい]開始[かいし]。コースはなんと30キロもある。バトルと黄色[きいろ]い馬[うま]は、ゴールの直前[ちょくぜん]で必死[ひっし]にラストスパートをかけて優勝[ゆうしょう]した。

「やったあっ!」見物人[けんぶつにん]も大[おお]よろこびだ。

でもね、バトルの馬[うま]はゴールしたとたんに倒[たお]れて、二度[にど]と立[た]ち上[あ]がれなかった。

あの馬[うま]が死[し]ぬなんて。。。悲[かな]しくて、馬[うま]のそばを離[はな]れられないバトル。

夜中[よなか]、ぼんやりしていると声[こえ]が聞[き]こえてきた。

「ねえバトル、ぼくたちほんとに長[なが]い間[あいだ]いっしょだったね、別[わか]れたくないよ。

もし二人[ふたり]の思[おも]い出[で]を残[のこ]したければ、ぼくの体[からだ]で楽器[がっき]をつくって、ずっと君[きみ]のそばに置[お]いてね。」

バトルは言[い]われたとおりに、馬[うま]の骨[ほね]で楽器[がっき]の棹[さお]を、しっぽで弓毛[ゆみげ]と弦[げん]を、皮[かわ]を共鳴胴[きょうめいどう]にはり、最後[さいご]に頭[あたま]を棹[さお]のてっぺんにのせて、モンゴル草原[そうげん]ではじめてのモリンホールを作[つく]った。

それからというもの、モリンホールはモンゴル人[じん]といつも一緒[いっしょ]だ。
お年寄[としよ]りの話[はなし]では、ラクダもモリンホールを聞[き]くと涙[なみだ]を流[なが]すらしい。お乳[ちち]の出[で]ない母[かあ]さんラクダにモリンホールを聞[き]かせたら、お乳[ちち]が出[で]たって。

そんな言[い]い伝[つた]えもあるよ。モリンホールの音[おと]は、人間[にんげん]だけじゃなくて動物[どうぶつ]の心[こころ]にもとどくんだね。

スーホの白[しろ]い馬[うま]

[ちい]さな羊飼[ひつじか]いの男[おとこ]の子[こ]、スーホは、ある日[ひ]、草原[そうげん]で怪我[けが]をした白[しろ]い子馬[こうま]を助[たす]け、家[いえ]に連[つ]れて帰[かえ]った。

何年[なんねん]かすると、子馬[みっ]は速[みっ]さでは誰[だれ]にも負[ま]けないほどのりっぱな馬[うま]に育[そだ]った。

そのころ、スーホは競馬[けいば]に出[で]ないかと誘[さそ]われたんだ。

優勝[ゆうしょう]すると、領主[りょうしゅ]の娘[むすめ]と結婚[けっこん]できる。そしてスーホは白[しろ]い馬[うま]に乗[の]って優勝[ゆうしょう]した。でも、領主[りょうしゅ]はスーホがまずしい羊飼[ひつじか]いだとわかると、約束[やくそく]をやぶって、娘[むすめ]をスーホのお嫁[よめ]さんにしなかった。それだけじゃない。

自分[じぶん]の兵隊[へいたい]に、スーホをいためつけて白[しろ]い馬[うま]を盗[ぬす]むよう命令[めいれい]したのだ。
ひとりで家[いえ]にやっとたどりついたスーホが傷[きず]の手当[てあ]てをしていたころ、白[しろ]い馬[うま]は領主[りょうしゅ]のところから逃[に]げ出[だ]した。

残酷[ざんこく]な領主[りょうしゅ]は兵隊[へいたい]にこう命令[めいれい]したんだ、

“お前[まえ]たち、何[なに]が何[なん]でも白[しろ]い馬[うま]をつかまえろ!つかまえられなければ殺[ころ]してしまえ!”。

[しろ]い馬[うま]はスーホのところに必死[ひっし]でたどりついた。

けれども傷[きず]が深[ふか]くて、とうとう死[し]んでしまった。スーホは悲[かな]しくて気[き]が狂[くる]いそう。

その晩[ばん]、スーホの夢[ゆめ]にあらわれた白[しろ]い馬[うま]が、こう話[はな]しかけた。

“ぼくのこと忘[わす]れないで。君[きみ]とずっと一緒[いっしょ]にいられるように、ぼくの体[からだ]で楽器[がっき]を作[つく]って”。 これがモリンホールができた理由[りゆう]だよ。

(「スーホの白[しろ]い馬[うま]」は中国[ちゅうごく][うち]モンゴル自治区[じちく]で有名[みっ]なおはなしです。)

 

スーホんが助けた白いハルハが矢に打たれ悲しむ曲

アニメと馬頭琴のメロディを合わせたもの・・白い馬ハルハが打たれたまで・・・だが

 

スーホーとハルハが、競争に勝つときの、軽快なテンポが魅力である。

万馬の轟

モンゴル小学生は絵が抜群にうまい

モンゴルは牧畜文化である。

馬羊牛駱駝それらの糞までもけして無駄にしない。

楽器も、馬の毛皮や尻尾で作られ、その柄は馬の形で掘られる。

馬と人の心が一体となったメロディとリズムと そのものの生活がある。

こうした動物と一体となった人の生活から生まれ出た文化様式、考え方、

それは日本の農耕文化とはまったく違った理解が必要だ。

モンゴルを理解するには、その自然、その歴史、その生活を思い浮かべながら ハートでとらえなくてはなるまい。

 

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