自分しかできないことをやればいい・その7

南北首脳会談

国境には何もない

そこにあるのはただ人の心の壁だけである

人の心で、戦争も、平和も 生まれる。

人の心で 人生の喜怒哀楽が生まれる

 

昨年まで、海外なんか行く気がしなかった。

近所を散歩するだけで十分満足だったが、

中国とモンゴルに行く機会ができ、そこから

モンゴルやフランスの友人、ヤングフレンドができたことで

海外の旅がこれほどの楽しさが広がることを改めて知った。

 

畑の植物と会話しているだけで十分満足していたのだが、

人との会話、とくに、年齢差、国の差、男女差を超えての会話に

植物とは異質の面白さ、楽しさがある。

 

人の死というのは、個人の死ということである。

いわば、氏名も、出身も、性格も、才能などが変わるだけで、人そのものが無くなるわけではない。

人の肉体だって、名前がなければ誰が誰だがわからなくなるようなものである。

南北の長の二人だって、その肩書が無くなれば、ただの青年とおやじに過ぎない、

人の違いも、人の生死も、人の心が生み出すと思っていいだろう。

 

散歩途中、

ブドウや桃の木に 厚ガッパ着て 農薬散布したり、

果樹にかからないように、周辺の雑草に除草剤を撒いていたりしているのをみる。

自然農法を勉強していると、

それらが金と時間の無駄で そんなことをしないでも同じ結果だと思えるようになってきた。

病虫害にならないように農薬を撒くのだけれど、うちのブドウも桃も、何もしなくても実る。

樹木の雑草だって、そのままにしても、また回りの麦を植えてても、ほとんど樹木の栄養を害さない。

農薬はただの取り越し苦労の産物としか思えないのである。

 

それは北朝鮮が核ミサイルを持つようなものだ。

核ミサイルを持たなくても、十分他国に侵略される危険はないし、同格に渡り合える。

それはいわば北朝鮮の取越し苦労という心である。

 

無い国境を有ると思い込むのは

無い神仏を有ると信じ込むのと同じで、

人は現実にない国境や神仏を有ると思って、取り越し苦労する。

 

無いものを有ると思い込むことは

有るものを無いと信じ込むことと同じである。

 

人の心を平和と平安にするには

無いものを無いと、

有るものを有ると、

その事実を認めるだけで得られる。

その事実は信じようと信じまいと、変わらぬものである。

だから、人は事実を共有できる。

共有しにくいのは人の心である。

性質が大きく違う男女・民族・国・宗教なんかは特に難しいものである。

 

人はその事実を共有したときに、経験が生まれる。

そのため、同じ経験をした人同士はその心を共有しやすくなる。

 

はたして南北の長は 国境なんか無いという事実を

今回経験しただろうか?

その事実を認めれば平和と平安は近い!

 

日本のパスポートで唯一北朝鮮だけは外交がないと記されている。

その除外が無くなる日が 今日で一歩近くなった気がする。

そうなれば

北朝鮮を旅したい気持ちがすぐに沸いてくるだろう!

 

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